朝の散歩
一日のはじまりは犬の散歩からはじまる。
毎朝と書くと身内から文句を言われそうなので、正確には出張等の用事がない日は「ほぼ毎朝」エルモ(我が家の犬=オーストラリアン・ラブラドゥードル)を連れて散歩にでている。
我が家は横浜市の郊外の住宅地にある。横浜と聞いて海をイメージする人も多いかもしれないが、「海」には住んでいない。
横浜は160年ほど前に江戸幕府によって開港されてから発展した。その前は横浜村という漁村であった。本牧のあたりだったと記憶している。現代、地元の人間が「横浜」と言えばその中心は関内駅周辺のエリアのことを指す。決して横浜駅周辺ではないのだ。
現在の横浜市は旧東海道や中原街道といった街道沿いに栄えたエリアや高度経済成長期以降に東京のベッドタウンとして新たに開発されたエリアを多く含んでおり、370万人いる横浜市民の多くはそういったエリア、いわゆる「丘」で生活している。
ぼくもそ「丘」の住人の一人である。私鉄沿線の新興住宅地にしっぽりと居を構えている。山を切り崩して宅地開発したのだろう。周囲を山に囲まれており、閑静な住宅街と言えば聞こえは良いが、まぁ、不便なところで、周囲にコンビニすらない。最寄り駅まで行けばカフェ、コンビニ、スーパー、ファミレスなど一通り揃っているが、徒歩で行くには微妙な距離で10分以上かかる。しかも、坂が多い。我が家からはまず谷を下り、バス通りに出たところで今度は丘を上り、駅に向かって再び谷を降りる。通勤とか通学とかであれば、日々の運動にはちょうど良い距離かもしれないが、ちょっとコンビニに・・という距離ではないのだ。
しかし、それと引き換えに環境は良い。山にそって小川が流れており、その小川に沿ってちょっとした遊歩道が整備されている。春には桜が咲き、それが終わると山肌に藤がみられるようになる。初夏には蛍が舞い、秋には落葉が綺麗だ。冬は山茶花が咲き、梅が咲き、椿の花が落ちるころにはまた春が来る。
水辺には小さい魚やザリガニ、カエルなどが生息している。小鳥もいろいろいる。詳しくないので、わかる範囲とはなるが、カワセミ、メジロ、ウグイス、シジュウカラなどなど。腹が鮮やかな黄色のも見ることがある。アオサギは川の主という感じで堂々としていて、運がよければシラサギを従えて出現することもある。一度だけカワウも見たことがある。
おそらく台湾リスだと思うが、リスもいる。エルモと一緒に走って追いかけたことがあるが、追いつかれそうになったリスはたまらず、川に飛び降りた。そして器用に泳いで対岸に渡っていった。その日、人生ではじめて、リスが泳ぐところを見た。(リスごめん。)
アオダイショウがのんびり道を横断しているところに出くわしたこともあった。エルモは全く同様することなく、顔を近づけるものだから、リードを引っ張ってやめさせた。
手のひらサイズのサワガニを見つけたこともあった。水の中でなにかが動いたので凝視したところ、岩の隙間に収まろうとしているカニを見つけた。幻かと思って、次の日も同じところを見たらまだいた。後でググったのだが、サワガニも大きく育つことがあるらしい。それまで、サワガニと言えば、500円硬貨くらいのかわいらしいものかと思っていたから驚いた。
そんな散歩コースだが、ぼくは子どもの頃からこの土地に住んでいるから、当時はこのコースを通学路として通っていた。現在では地域のアメニティとして綺麗に整備されたり、一部住宅が建ったりしているので、昔の姿とは多少違うのだが、それでも、当時の面影を色濃く残している。仲間たちとは毎日のように山や川で遊んだ。カブトムシやクワガタを捕りに暗いうちから山に入ったり、大木から垂れ下がる蔓にぶらさがったり、山道からはずれた藪の中に秘密基地を作ったり。ザリガニやカメやドジョウを追って川にもよく入った。まさに、野山を駆け巡る日々、そんな小学生時代だった。(中学生になってもそんなことをやっていた気もする。。)
大人になって思うのは、当時と今とではだいぶ視点が異なるということだ。なんというか、当時は自分も自然の一部という感じで、生身のままで山や川に浸っていた。今は一歩離れたところから見ている感覚というか、ゆったりとした時間の流れを感じながら日々の細々とした変化を楽しむゆとりがある。大人になったということかな。
桜も終わりの頃、よく晴れた休日の朝に小学6年生になった娘と一緒に散歩に出た。いつものコース。もちろんエルモも一緒だ。娘と二人、桜の木の下、風に舞う花びらをキャッチするという、高校生カップルのようなことをやったが、これは、父と娘の永久保存メモリアルだ。
都会的暮らしや利便性に憧れを抱き、本牧(横浜の中で言えば「海」)に済んでいた時期もあったが、気が付けばこの地に戻って来て子育てをしているというわけだ。この先、子どもから手が離れたら夫婦二人+ワンコで別の土地に住んでみたいという気持ちもあるが、やはり、都会よりほどよく郊外が良いと考えてしまうのだろうな。