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高校1年生の息子、カナダへ旅立つ

息子が留学したいと言い出したのは、おそらくは、ニュージーランドに留学している親しい友人の影響があるのだろう。その彼は、高校にあがるところで旅立って行ったのだが、現代はLINEやらオンラインゲームやらで、地球の裏側だろうが、気軽に話したり遊んだりできる。その彼からニュージーランドでの生活やさまざまな体験を聞かされるうちに、自分も留学してみたくなったのだと思う。

じつは、息子は中学2年生の時に学校の短期留学のプログラムでカナダにホームステイしている。そのときは、良い経験になるからと、乗り気ではなかった息子を説得して半ば強引に送り出したのだが、今回は、息子自らの意志で留学したいと言い出したのだった。

いろいろ不安はあったが、息子のやりたい気持ちを尊重して、話を進めることにした。しかし、ぼくも妻も留学経験などないので、どう進めたら良いかわからず、まさに、手探りだった。学校の先生に相談したり、ネットで調べたりしながら、どうにかこうにか、進めてきた。なにしろ、コロナもあってそもそも海外への渡航自体が制限されている時期も続き、手続きは大幅に遅れて、断念した方が良いのではないかとも思ったことは一度や二度ではなかった。しかし、最後は、息子の熱意というか執念に支えられ、どうにかここまでたどり着いた。

留学手続きはエージェントを介さずにすべて、直接自分達で行った。ぼくたちの経験が今後参考になる人もいるかもしれないと思うので、簡単に手順を記録しておこうと思う。ただし、うちに限った特殊な事情もあるので、必ずしもすべての家庭で同じように行くとは思わない。注意していただきたい。

うちの場合は、現地でホームステイを受け入れてくれる家庭が先に決まった。じつは、中学2年生のときのホームステイで滞在したカナダの家庭にふたたび世話になることになったのだ。カナダの家とは、挨拶や礼などでなんどかメールのやりとりをしていて、「また、留学で来るなら歓迎する」ということを言われていた。もちろん、社交辞令かもしれないし、数年経って事情も変わったかもしれないし、向こうの状況はわからないが、とりあえず相談してみようということで、メールを送ってみたところ、快諾の返答が来たのであった。

カナダの家はカルガリーのあたりになるのだが、バンフ国立公園も近く、自然が豊かで、治安の面でも、英語の勉強の面でも、良い環境だと聞いている。当然だが、留学先はいくつもある候補地の中からどこか1箇所を選択しなければならい。留学斡旋の資料なんかも取り寄せて眺めてみたものの、どうにも決めるのが難しい。最後は、行ったことがあるとか、知り合いがいるとか、そうしたことが決め手となった。

次に、入学許可を申請した。息子の場合は、カナダの家の最寄りの公立高校への転校手続き申請である。書式はウェブサイトから入手できた。他に、添付書類としてCustodian(現地での保護者)の証明書も必要であったが、カナダの家族に依頼して弁護士立会のもと書類にサインしてもらい、スキャンした電子データをメールで送ってもらって、それを添付した。書式はカナダ移民局のウェブサイトからIMM5465という書式を入手して使った。学校にはまずメールで送ってその後原本を郵送したのだが、コロナの影響、夏休み期間などの影響だろうか、なかなかテンポ良くやりとりできなくて、やきもきもしたが、しつこくメール送るなどしてどうにか申請書は受理された。

入学審査の過程では、カナダの家族にも学校と直接やりとりしてもらう場面もあった。

入学審査が終わると、請求書が送られて来た。費用は12,800カナダドル。手続き手数料、1年間の学費、健康保険が含まれている。費用を振り込んだら入学許可書がメールで送られてきた。これで現地から取り寄せる書類は全て揃ったことになる。

いよいよ、ビザの申請手続きとなる。カナダの留学ビザはオンラインで申請できる。アカウントを作ってログインした後、あらかじめ用意しておいた書類をPDFで作成したり、スキャンデータを用意してウェブ画面からアップロードすれば完了する。留学ビザ申請書、顔写真、戸籍とその英訳版、銀行の残高証明、入学許可書、Cusotodian証明書(IMM5465)などが必要となる。戸籍の英訳はウェブで探して翻訳サービスをやってる行政書士事務所に依頼した。IMM5465はカナダの家族とは別に、ぼくと妻のサインも必要で、それは地元の公証役場まで行って公証人のスタンプとサインを入れて書類を作成してもらった。

ビザの申請が完了すると、間も無くバイオメトリク登録依頼の通知が来る。具体的には指紋の登録だと思うが、この手続きは浜松町のビザ申請センターで行う必要がある。訪問には事前予約が必要となる。手続きはその日のうちに完了して、すぐにビザ申請ウェブサイトのログイン後のマイページでもステータスが変更されたことが確認できた。

書類に不備があるとか、追加資料の提出の要請など、もろもろの案内はマイページにレターが届く仕組みになっている。メールでも通知されるが、うっかり見過ごしては嫌なので、毎日確認するようにした。

そして、待つこと1ヶ月以上。マイページに最終審査段階だと通知が来た。そのタイミングでカナダの家には滞在費を交渉した。交渉といっても、いくら必要かストレートに聞いただけだが、先方が地域での相場感を調べてくれて、だいたい月に1,000から1,200カナダドル程度だということだったが、以前から知ってるからと少し安い値段でオファーしてれた。ありがたい。

それからしばらくしてビザが許可されたというレターがマイページに届いた。改めてカナダの家と学校に相談して入学時期を2月から始まる新学期からに変更してもらった。もともと、9月からの学期からの編入を考えていたので、実に半年遅れということになる。

あとは、航空券を手配して、荷造りをするだけ。

・・と思ったが、実はその後、カナダの対コロナ入国制限措置の一環として、出国72時間前のPCR検査を受け、陰性であることが義務づけられるなど、直前まで気を抜けない状態が続いたのだった。

PCR検査についてもいろいろ調べたのだが、結果、出発当日に成田空港のPCRセンターを予約した。検査費用はもちろん自費だ。結果が出るまで数時間かかるということだったので、6時40分のフライトに対して、13時に予約をした。

出発当日、妻と息子と3人で車で成田空港まで向かった。空港周辺は生憎の天気でみぞれ交じりの小雨が降っていた。空港は人もまばらで、店も開いておらず、まるで深夜便で到着した時ような状態であった。

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空港についてすぐにPCRセンターを探して、息子は検査をうけた。受付やら書類の記入やらで30分くらいは待たされただろうか。検査後結果はすぐには出ないので空港内で時間を潰すことに。

3人で出発前最後の昼食を食べることにしたのだが、なにしろ、営業している店が少なく、マクドナルドかスタバか中華屋くらいしか選択肢がなかった。結局、中華屋で食事を済ませ、スタバでコーヒーを買った。

息子がPCR検査の結果を確認しに再びPCRセンターに向かったのが16時半頃。17時頃には陰性だったと、通知の紙を持って戻ってきた。その足で、チェックインを済ませてさっさと行ってしまった。

息子が出発してから、数日が経った。まだ、隔離期間がおわらないので、カナダの家の半地下の部屋でじっとしているらしい。たまにメッセージを送ってくるが、6日目には指定医療機関や薬局で再びPCRを受け、そこで、陰性なら晴れて隔離期間が解かれるということだ。また、カナダの学校の在学中のカリキュラムを組み立てるために、カウンセラーとメールのやりとりをして、選択科目でも質問されたのか、フランス語と体育に興味があると返事をしたとも送ってきた。

今はインターネットにさえつながれば地球上のどこにいても同じ様にコミュニケーションができる時代。昔よりは気が楽なんだと思うが、それにしても、寂しい気持ちはある。そのぶん、娘と犬に相手をしてもらって、気を紛らわすことにしよう。

息子の帰りの時期は年末を予定している。もしその頃までにコロナが落ち着いていて、再び自由に渡航できるような状況になっていたら、カナダまで迎えに行きつつ、いろいろと旅するのも楽しそうだ。

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