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"額縁に入る"ということ。


こんばんは、いわんです。

先日旅行に行きまして、綺麗な景色を見たのでここに飾ってみました。


美を鑑賞するってよくよく考えてみると不思議な営みですよね。
美しさって誰が教えてくれた訳でもないのに、なんとなくわかる。

隣の人と同じ感性もあるし、自分にしかない感性もない。
文脈を伴う美しさが有れば、説明不要の美しさもあるってすごい不思議っておもうんです。



とにかくワタシはいいな〜って思うモノをもっともっと特別なモノにしたくて額縁に入れたい人間なんですけど、この額縁人間ってのはなかなかに厄介なシロモノです。


"好きなものを額縁に入れることは必ずしも正義ではない。"



近代芸術の手法で"インスタレーション"というものがあるように、美しさってのは空間と調和して空間という文脈を持って真価を発揮するものであって、作品をごっそり手元に持ってきたってそれはもはや贋作なのかもしれない。

ちょうど動物園の動物を見て、その動物の生態を正しく知っていると思い込むような誤謬ですなぁ。

これって人間関係でもあるあるですよね。
いわゆる蛙化現象って、この自分の額縁に入れちゃう一連の流れで魅力を失うと思うんですよ。

その人が魅力を発揮していた文脈から切り離して無理やり自分の額縁に入れてしまえば、それはもはや光を失った贋作と成り下がる、というか、、。
蛙化っていう現象の本質は対象の置かれた文脈の変化なんだろう。

よくよく考えてみると気になる人が蛙化しようがしまいがその人の魅力の本質は変わらないはずで、蛙化っていう現象の本質は額縁化であって、これに気づけば蛙化って対策できると思うんです。



"ある人がある環境の中生きていて、その文脈において魅力を発揮していたとして、その人を乱暴にも手元に捕まえてきた時その人はもはや別人になってしまう。"

というのなら、いっそのこと額縁を外してその人を改めて見てみるのがいいんじゃないでしょうか。

その人にこうあって欲しい、こういう人間なんじゃないか、きっとこうだ。
そんな無意識に囲んでしまう額縁というバイアスを外して無邪気な瞳でその人の魅力に向き合った時、きっと蛙は王子様に戻るはず。

分かってても難しいけどね笑

そういう私も鑑賞家気取りの額縁人間なので、、笑

与えられた四角の中では、見えない死角がきっとある。

分かれば覗き込めるかも、額縁の外側。


いわん 2022/09/05

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