美味しすぎる、感動の嵐
こんにちは、いわんです。 最近恐縮にも忙しくさせていただいており、、。 自分の時間が欲しいなーーって思うんですよ。 だらーっとして徒然に時間を浪費するような時間。 僕はこういう時間がないとどうにも歯車がうまく回っていかないというか。 いわゆる息抜きというか、暇な時間が欲しいというそういった願望が心の根っこのところにあるんです。 でも、よく考えたら忙しくない時にこういった時間の使い方をしたらすごくもったいない気がして、せっかくの暇を焦燥感に追われて過ごしてしまうんです
こんにちは、いわんです。 タイトルってすごい重要ですよね。 僕は普段短い文章を書くときには、内容よりもむしろタイトルに気を張るんです。 これはもっと色んな人に見て欲しい!とか過激なタイトルで釣りたい!とかそういうんではないんですよ。 100%の自己満足というか、ただ純粋に名前のないものに名前をつけるのが好きなんですよね。笑 名前っていうのは本当に美しいもので、内容とぴったりあう名前でも、全くそぐわない名前でも名前がついた時点でその名前と内容の中に文脈が生まれるんです。
こんばんは、いわんです。 先日旅行に行きまして、綺麗な景色を見たのでここに飾ってみました。 美を鑑賞するってよくよく考えてみると不思議な営みですよね。 美しさって誰が教えてくれた訳でもないのに、なんとなくわかる。 隣の人と同じ感性もあるし、自分にしかない感性もない。 文脈を伴う美しさが有れば、説明不要の美しさもあるってすごい不思議っておもうんです。 とにかくワタシはいいな〜って思うモノをもっともっと特別なモノにしたくて額縁に入れたい人間なんですけど、この額縁人間っての
なんだぁ、この細なげ〜魚は。 お前、これ恥ずかしくねーのかよ。 Ans. アリゲーターガー的な何か。特に恥ずかしくはない。 今の時代って、やれ" 実数解を求めよ " やれ " 公式を導出せよ " って答えを急ぎますよね。 もちろん私もそんな答えに取り憑かれた人間のひとり。 でも、答えよりも意義のある問い、問いそのものに意味があるってパターン実はよくありますよね。 哲学の領域でもどんな問いを立てるかってことにすっごいパワーを込めるんですって!スゴーイ! そんな大仰な話
自分の名前ってなんでこの名前なんだろうとふと考えた。 日本では主に漢字の響きや形(外見)と漢字の持つ意味(内容)を考慮して名前が付けられる。 前者を重視すれば、当て字の名前やいわゆるキラキラネーム(帝愛羅 ティアラなど)が出来上がる訳で後者を重視すれば馴染み深いシワシワネーム?(一般的ではないがキラキラネームの対概念として存在するらしい)となる。 海外での名付けの文化は日本とは大きく異なる。 キリスト教イスラム教圏では新生児の名付けに宗教上の偉人(マリア、ノア、ムハン
うまい。 洋食のソフトクリームを力業で和食のカテゴリにねじ込んでいる。 日本男児のますらをぶりを感じざるを得ない。
こんばんは、いわんです。 オノマトペって便利ですよね〜。 食べ物を頬張ればもぐもぐ、歩けばテクテク、眠ればスヤスヤ。 日常のあらゆる事をオノマトペで表現すると、短い言葉で高い解像度で状況を表現できるというか、表現に色がついて可愛らしく見えるというか。 とにかく、世の中の全てにオノマトペがあればいいのにな〜って。 さて、ここであったらいいなのオノマトペを考えてみましょう。 本を読む時あなたはどんなオノマトペを使いますか? ペラペラ?サクサク? どれもなんとなく上手く
獅子奮迅の俺も、アウェーに立つと子猫になってしまうなぁ。 準備不足、小心者の内弁慶の外地蔵。
ポジティブに生きて幸せになりたいな〜という気持ちと、ネガティヴゆえの感覚的な繊細さを大事にしたいな〜という気持ちでふらふらと今日も生きる。 どっちかに振り切れた時、1番遠くまで景色は広がるけど、中途半端な底の時が1番スリルを味わえる。 もうしばらくはブランコ生活かなぁ〜。
お降りの際はご注意ください。 私は今週人生の列車の一つを降りた。 20年足らず引きずって来た、父親との確執。 当時は当たり前だと思ってた、自分が悪いと思っていたこと。 ひとり暮らしを始めて、ひとりで生活するようになって分かったこと、気づいたこと。 全てを本人に告げて列車を降りた。 あなたのおかげで人生は快速だった、だけどそのせいで止まれなかった駅もあった。 ここからはひとりで各駅停車。 自分の足で進んで自分の足で止まる。 折りしも、降りるつもりもなかった、降りるべき
覆水盆に返らず。 人間、努力があればなんでもできる。 それは確かにそうだ。 しかし、決して努力でなんとかならないのが過去。 "どうしてこんな事をやってしまったんだ"という後悔はいつまでもつきまとう、決して触れられぬ存在。 人間は幸い後悔の先に反省という選択があり、転ばぬ先の杖的な転んだ先の教訓を得られる。 教訓を思い出すたび古傷に血が滲む、赤く赤く滲む滲む。 血が滲む限りは自分の傷は癒えてないわけだし、unretrievable な過去の誤ちに自戒を刻む。 後戻
煙突ってのは、謙虚な割に存在感がある。 煙突ってのはそれ自身のために生まれた筒ではなくて、煤混じりの煙を周りに撒き広げないように、という気遣い由来の筒である。 自己主張をするでもなくてただひたすらにひたむきに煙を吐くランドマーク。 町屋の景色に馴染むでもなく際立つでもなくただそこにある。 煙をもくもくと吐き続けるために。 そんな実直な人格に中に、上昇気流を生んで薪の炎に盛りをつける兄貴肌をひとつまみ。 人生の先輩、なんとなく尊敬、煙突"さん"。 いわん 2022/
川の流れを見るとあーー、人生という波に俺も流されてるなーーって思う。 川の流れをなぞる木の葉が川を遡れないように、俺という個人もシナリオ通りにピリオドまで流されていくんだろうか。 人生のピークを探して今日も流れる、今日も抗う。(抗いたい) いわん
こんばんは、いわんです。 境界線って面白いですよね。 自然界と人間界、あの世とこの世。 隔てているものっていつだって大したものじゃないんです。 自然界と人間界の境界は畑であったり、森であったり川であったり。 どこにでもある、でもなんとなく自然も人間もここが境界って分かる。 あの世とこの世、これは伝説上では"坂"によって隔たっているとされているんですって。 黄泉比良坂(よもつひらさか) 日本書紀ではイザナギがイザナミを死者の国から連れ戻すためにその坂を駆けたんだってさ!
言葉にするのってなんかいいなぁって最近思う。 ビシッと決まる批評、アンニュイな表現、多様な形容詞色んな言葉を使ってみるけど、そもそもが冴えない思考なんだから切れ味の悪い言葉でゆるっと生きていたい。 人生のモラトリアム期の生活記録。