「自分の子が可愛くない」
「産む前の生活に戻りたい」
そんなツイートを見て、前回「変わりたくなかった私が母親になって変わったこと」の記事を思い返していた。
前回の記事には「生まれてくるのは好きな人で、その好きな人のためなら変われる」というようなことを書いた。
その記事は、今から出産、もしくは妊娠、子作りをしようとする人で、「母親になれるかな。変わりたくないのにな」と思っている人に、「変わらなくていいんだよ。変わりたいと思えば変わればいいし、変わりたくないならそのままでいい。」ということが伝えたかったのに
例えば「自分の子供が可愛くない」と言う奥さんがいるご主人が、あの記事を読んで「生まれてくる子供は好きな人だから頑張れるよ」なんていう伝わり方をするかも知れないな、と思った。私の文章の拙さよ。
育児、特に新生児育児(そのツイートをした人はまだ生後1〜3ヶ月そこらだったと思う)は私が感じるに「育児」と言うより、誤解を恐れずに過激な言葉をチョイスすれば「飼育」に近い。新生児育児の時に思ったのは「猫を育てるのと似てるな」と言うこと。
もちろん「今なんか機嫌いいのかな」「今なんか怒ってるな」と思うこともあるけれど、それは言って仕舞えば想像でしかない。泣いてる理由なんかほぼほぼわからんし、多分理由なんかない時の方が多い。
いくら愛情を注いでも注いでも、よく寝るようになるわけでもなく、泣かないようになるわけでもなく、笑い返してくれることすらない。(新生児の赤ちゃんが笑う時は「生理的微笑」と言って、笑ってる風に見えるというのが実のところ。)そんな相手にひたすらに身を削って愛情を注ぐ。それが新生児育児。
そしてそんな過酷な状況で、一番精神を削られるのは「自分が倒れたら(逃げたら)他には誰もいない」ということ。逃げる気がなくても「絶対に逃げられない」ということを意識すると人は狂いそうになるもので、例えるなら右も左も後ろも切り立った崖で、常に前へしか進めない崖を歩いてるようなイメージです。平坦な道をまっすぐ歩く事はかんたんでも、崖を意識したとたんに歩けなくなるのと同じような事。
世の中のお母さんたちがかんたんに平坦な道を歩いているように見えても、みんな崖を歩いているのです。そこで踏み外した人がいて、踏み外さない人がいて、それはもう運なんじゃないかと思うのです。
私はラッキーにも踏み外さなかったけれど、それを当たり前だと思わないで欲しい。だからもし「子供が可愛くない。産む前に戻りたい」と言う奥さんがいるご主人はその崖を広げてあげて欲しい。逃げてもいいんだよって言って上げて欲しい。
からなずしも自分の子供が超可愛い、である必要はないんです。
よその子の方が可愛いなと思う時だってあっていいんです。
どうか苦しみと、時間の積み重ねと、その子の成長が少しずつ愛情に変わっていきますように。
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