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主観と体験だけの発達障害の漫画37 お葬式ってさ
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今回何というかあまりにもあんまりな話なので、一応最初に注意が着させていただきます。
何年か前に祖父の葬式がありました。
何年か実家で一緒に暮らしていた祖父でした。
家族総出で葬式に出ました。
正直言うと泣けませんでした。
わんわん泣く、というのも微妙に違うのでは?と言われる人もいるかもですがあまり悲しいという感情が沸き上がってきませんでした。
むしろ葬式という重い雰囲気がしんどかったり、親戚がたくさん出入りするのでなんかだるい、といった感情の方が先行しました。
何年か一緒に暮らしていた祖父なのにですよ?
自分って思ってたより薄情だなーと思いましたが、それもあまり心の底から思えませんでした。
自分は感情が薄いタイプなのだろうかと思いました。
その後しばらくして映画鬼滅の刃 無限列車編が公開されました。
見に行きました。
泣きました。
おかしいですか?自分でもそう思います。
何故映画やアニメなどの架空の人物の死や悲しい運命で泣けて、実在のそれも親族の死で泣けないのでしょう。
若干話は変わりますが私の好きなドラマでこんなシーンがありました。
主人公の居候先の父親がご近所さんの通夜に言ってお線香をあげるのですがその場では一切泣かず、帰ってきて感動モノのメロドラマを見て号泣するのです。
それを主人公が失礼では?と言ったため思い直しまた通夜に行ってもう一度お線香をあげ、今度はざーとらしく号泣する、といったシーンでした。(その後、そのご近所さんは生き返ります)
なんというか、人間の心理のいい加減さを実感します。
虚構のフィクションでは心動かされて、現実のリアルでは心なんかよりほかのことに目が向いてしまう。
利益や実績を上げる前にもっと大事な感情を培う、そんな人として当たり前のことがどんどんできなくなっているのでしょうか。
手遅れになる前に心を大事にしたいです。
そして私は鬼滅では時透無一郎くんが好きです。