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生存の記録 「陪審員2番」
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2024年12月21日にU-NEXTで見た。
クリント・イーストウッド監督の引退作とも言われ、そして劇場公開なしという公開前からいろいろ話題になっている作品。(といっても映画好きのあいだだけやと思う。)ここ最近はハリウッド映画の終焉やら映画に関してあまりいい話題がない。陪審員2番の劇場公開なしはその象徴的な出来事の1つやと思う。
クリントイーストウッドの鋭くて静かな眼差しが映画全体を支配しているようだった。冒頭から分かりやすくテーマを示し、終始無駄のないカットが続き、あのラストシーンへ。
私はまさに現代の社会を表しているように感じた。
弁護士と検察官の法廷バトルは大統領選のようにも見えた。正直、なんか子供の喧嘩かなと思うくらいスマートではない争い、陪審員にイメージで訴える様子、弁護士と検察官の個人的、制度的背景も絡む。そんな中で陪審員はジャッジをしなければならない。そんな陪審員も個人的な理由、植え付けられたイメージからまともに判断をしているようには見えない。実際、私もあの場にいたらまともに判断はできひんと思う。
正義とは何か、人を裁くことの重さを考えさせられた114分。
SNSをみても簡単に無責任に人を裁いている人が多い気がする。誹謗中傷なんか分かりやすい。人を裁くことは非常に責任の重い行為で、結果を受け入れる覚悟がないといけない。
正義の女神は剣を持っているように、人を殺す行為にもなる。
それでも判断を間違えるんやけど。