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【ショート】怒れるエルメス

彼は激怒していた。

側から見ても分からないかもしれないが、確かに彼は激怒していた。
口元を真一文字にし、眉間に皺を寄せ、秋風に向かって足早に歩いていく。

彼は相手にされなかったのだ。
見向きもされなかった。
必死に、前のめりに、自分へと興味が向くように、懸命に話した。
20ほども歳の離れた相手に対し、身をかがめ、卑屈な笑みを浮かべ続けた。
音楽、服飾、スポーツ、文学について、長広舌をふるった。その知識にはかたよりが見られたが、それでも確信と情熱をもって、相手の気を引こうと奮闘努力した。
が、まったく、一顧だにされなかった。

屈辱。不条理。

彼の努力は認めるべきだと思う。
加うるに。
流行を上手く取り入れた、非の打ち所のない着こなし。この世でもっとも先端を行く足元。髪は、気を衒う事なく、自然にまとまっていて清潔感があった。

肘をテーブルにつき、指と指を顔の前で組み合わせ、物腰柔らかに、知的に、会話を進めたではないか?
なのに、だ。
彼女の目は、隣のテーブルでニヤけて女と話している金髪のだらしのない馬面男に、度々、向けられていた。
嗚呼、その金髪の全身の洋服代は、彼の靴下よりも安かっただろう。

それでも、彼は限られた時間の中で、誠意をつくした。うっすらと汗の滲んだおでこの下の両の目は、相手を見つめていた。確かに見ようによっては、下心があるようにも見えたのは否めない。
けれど、それがどうしたというのだ? そんな事は実に些細な事だ。

彼は時間ギリギリまで勝負を諦めなかった。彼の最後の執念の一言は、
「ラオケ(カラオケ)に一緒に行こうよ?」だった!
陳腐な一言! が、勇気ある一言!

彼女は退屈そうな目を、やっと彼に向けると、愛想笑いをしながら、さよならの挨拶をした。
彼女が席を立ち、背を向けたその時、彼は目を細め優しく投げキッスを送った。モードの帝王、アルマーニ御大が、ショーの最後に客席に向かってやるような投げキッス。
彼は最後の最後まで、紳士的だった。

彼は相席居酒屋を出た。
日が沈み、秋風すさぶ歓楽街。
彼はエルメスのダッフルコートのトグルボタンをとめると、不屈の瞳を前にだけ向け、力強く歩き出した。


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