スターバックス、皆さんはご利用されるでしょうか。 かくいう僕はここ何年かで、4ヶ月に1回ぐらいのペースでやっと行くようになりました。 そのスターバックスにて僕は、小さな、本当に小さい戦いを繰り広げています。 戦場はモバイルオーダーです。 注文した物が置かれている状態で、どうやら自分のを持って行っていいようですが、僕はスマートに持っていくことがなかなかできないでいます。 普通ああいうのって、例えば注文番号みたいので注文した人であることを確認した上で受け渡しをするもんなんかと思
おじさんのくしゃみってうるさいですよね。 なぜあんなにもシャウトしながらくしゃみをしてしまうのか。 10代の頃は疑問でしかありませんでした。 でも最近、自分もおじさんへと近づいていくにつれてなんとなくわかるようになってきた気がします。 座るとき、立つとき、なにかしらのアクションを起こすときおじさんは声を出すことがしばしばあります。 代表的なのは「よっこいしょ」でしょうか。 あれはたぶん出しているんじゃなくて出ているものなんだと思います。 若い頃に比べて身体は重くだるくなってい
自分ではまったく悲しいことと思っていなかったのに悲しくさせられることがたまにあります。 散歩が好きで、この前は海を散歩していました。 すると友人から電話がかかってきて、今なにしてるかと問われました。 「海を散歩しよるよ。」 そう言った僕に対する友の反応は、 「え、ごめんじゃあ誰かとおるんや」 いいえ、1人です。 「いや、1人やけど。」 僕は何の気なしにそう返しました。 するとこう言い放ったのです。 「1人で海?え、寂しくない?」 それまでまったく寂しいとは思っておらず、むし
僕は現在24歳、年齢的には一応大人です。 でも未だにわからないことがありまして、それは大人って何して遊んでんだろう、ということです。 例えば、天神行って遊ぼうとなると、正直僕の中でゲーセン、ラウンドワン、カラオケ以外に選択肢が浮かんできません。 浮かんでこないというより存在してません。 そもそも天神に限らず大人ってなにして遊ぶものなんでしょう。 お酒を飲むなんて言う人もいますが、あれは食事にカテゴライズされる気がします。 もしかすると、大人はもっと気楽にいるのでしょうか。
この前植物屋さん、、、正しい名称がわからないんですがとにかく植物を売ってるお店に行ったときにちょっと感動したことがありました。 こういう植物ないかなと思い店員さんに聞いてみたのですが、その店員さんがすごくナチュラルに「この子は〜」と教えてくれました。 「これ」とか「こちら」じゃなくて「この子」! 植物をちゃんと生き物として扱っているのがまざまざと伝わってきました。 ワードもだしそのスーパーナチュラルさに感動してました。 結局その日は買わずに帰ったのですが、買うと決まったときは
時たまにされる、「なんて呼んだらいい?」という質問が苦手です。 苦手というか呼ばれ方に関しては執着がないというか自我がないというか。 本当に心の底から一点の曇りもなくなんでもいいのです。 さん付けでも君付けでも、あだ名でも略称でも、もはや1ミリもカスってなくともいいんです。 その人が僕を認識するならなんでもいいと思ってます。 逆に僕が人を呼ぶとき、伝わっていないとは思うんですがけっこう意味が含まれてたりします。 仲の良さに限らずさん付けをする場合は、その人の雰囲気が「〜さん」
ここ3日ぐらいずっとテンションがハイに寄ってました。 何故か、 というと理由はありません。 これといっていい事はなく、かと言って悪い事もなく。 可もなく不可もなくな日々のなか、テンションだけがひとりでに爆発していきました。 僕は飲酒をすると段階的に、 テンションがあがる→ヘラヘラしながら大人しくなる→余裕がなくなる と、なるのですが第一段階が3日間続いているような感覚でした。 その間酒は一滴も摂取していないのに。 今は落ち着いてきたので3日間おかしな挙動言動をしていなかった
最近になってブラッシングがマイブームになりました。 髪の毛をとくのが気持ちよくて延々とやってしまいます。 動物がブラッシングされると嬉しそうにする気持ちがわかりました。 この前は朝起きてブラッシングしながら映画を観始めて、終わるまでずっと続けていました。 髪の毛はサラサラ中のサラサラ、ヘルメットでも被っているのではないかというぐらいツヤツヤのツルンツルンになっていました。 最初こそ見たことない自分の髪の毛にゲラゲラ笑っていたものの、くせっ毛で人生を過ごしてきたものですから気持
絵を見るのが好きでして、ジャンルはけっこうなんでもよかったりします。 別に絵の勉強をしていたわけでもなく、知識はないのですが自分の中でいろいろ思いながら見て楽しんでいます。 SNSにあげられているイラストも美術館に展示されてる絵画も、果ては落書きでも楽しめます。 描く方も好きではあるのですが、好きこそ物の上手なれということにはならずぜんぜんうまくはないので、描いてる最中は楽しくても描き終わって見るとテンションが下がったりしています。 そんななので絵がうまい人はけっこう無条件で
ゲームが好きでして、数年前にエルデンリングというゲームを買いました。 このゲーム、というよりこのゲームを作ってる会社のゲームはだいたいプレイヤーが何回もやられる前提のいわゆる「死にゲー」に分類されるものです。 例に漏れず、僕も屍の山を築きました。 築いて築いて築きまくりました。 そしてついにクリア、、とはならず未だに進捗20%ぐらいで止まっています。 たまに今度はいけるかなと思い起動しますが、結局できずにまた置くというのを繰り返しています。 ですが個人的にゲームをゲオに売るま
今使ってるイヤホンがもう何年も同じモデルを使っていまして。 モデルが同じなだけであって壊れたりしてもう5代目ぐらいにはなっています。 4代目まではまあまあの頻度で壊れていました。 半年から早ければ3ヶ月もたなかったのもあります。 そこで5代目を購入するときに変な思いつきをしてしまいました。 「どうせ壊れるなら変な色を買ってみよう。」 それまで白か黒の2択だったのですが、ここにきて水色を購入する暴挙に出ました。 水色が悪いわけではないんですけども、僕の中では通常ありえない選択で
世の中にもの申したい。 なんにでも卵をかければいいと思うなと。 飲食店なんかでたまに見かけることのある、「卵トッピングできます!」のような表示ありますよね。 あれを正義というか、神格化しすぎなのではないかと思ってしまいます。 そりゃ美味しいですよ、だって卵が美味しい物なんだから。 美味しい物に美味しい物を乗せても美味しいに決まっています。 偶数に偶数を足したら偶数になるぐらい当たり前なことです。 でも、それは本当に必要なのだろうか? 卵を乗せずとも完成されているのではない
自分の自転車が倒れてるのって思ってるより落ち込みます。 どんなにいいことがあって、ルンルンで帰路につこうと駐輪場で倒れてる自転車を見つけると台無しですし、逆に相当嫌なことがあった時なんか最悪です。 しかもよりによって毎回右側に倒れやがります。 片側スタンドでもないのに。 おかげで右ハンドルの先っちょはボロボロです。 もしや自転車が右に傾いてるのでしょうか。 右ケツの方が重いとかあるのかは甚だ疑問です。 今日は倒れていなかったのでルンルンです。 終わります。
昔から1人でいるのがけっこう好きでございまして1人で遊んだりしてました。 今でも1人で飲みに行ったりいろいろ行ったりはします。 そんな調子ですから勘違いされてもしょうがないとは思うのですが、人嫌いというわけでもないんですよ。 むしろその逆で人のことは人一倍好きな方だとは思います。 そりゃアホみたいに大勢で飲み会とかは苦手ですが、親しい人やや慕っている人と一緒にいるのは大好きです。 米が好きではあるけどパンもぜんぜん好きみたいなことです。 でも一日の中に絶対1人の時間が欲しくは
漫画が好きなんですが、好きな漫画の連載が終わるときは寂しさを感じます。 そして細かい話をすると「終わった時」と「終わる時」では後者の方が寂しかったりします。 最終話の1話前の最後のページに「次週、最終回」という文字列を見た時が寂しさのピークです。 よほどの急展開でなければ読んでて「この漫画もうすぐ終わりそうだな」というのは感じると思います。 そう思いつつも終わってほしくないなーとも思っているわけです。 そのザワついてる状態で叩きつけられる最終回確定演出で一気に寂しさが押し寄せ
暑い。 ここんとこ毎日1回は「暑い、くそったれが」と暴言を吐いています。 こうも暑いと普段は気にならないことでもイライラしてきます。 ひどいときは夏に夏とかいかにも暑そうな発音の名前つけたやつに対してイライラします。 それはさておき暑さってすごくいろんな名前がつけられてるなと思いまして。 猛暑、酷暑、残暑、メジャーなのはこんなとこでしょうか。 他にも激暑、極暑、炎暑なんていうのもありますね。 残暑はカテゴリがちょっと違うから置いとくとして、その他の暑たちは地震雷火事親父的な