【後編】ひじきが黒くてパサパサしてることに疑問を持たない僕ら。
ひじきってパサパサで、給食に入っている海藻っぽいやつ。当たり前のように食卓にあるひじきの裏にある汗と暑さは知られてなかったりして。
梅雨が明けた、ひじき作りは終わらない
前編で紹介したひじき採りは4月の上旬に行われます。それから日照りの日に何回か乾燥させたひじきは黄緑色のいかにも海藻っぽい色から、黒に変色していきます。黒くなった乾燥ひじきは漁業組合が一括で買い取ります。春の作業はこれで終了です。
そんな前編はこちら↓(note編集部さんに今日のおすすめにピックアップしてもらってました!嬉しい😀)
GWになる頃には作業が終わり、ひじきのことは全て終わったかのように話を聞かなくなりました。そんな5月・6月・7月、僕も和歌山県美浜町三尾での目まぐるしい居候生活を過ごしている間にひじきのことを忘れていました。
そして梅雨が明けた8月1日。朝の散歩をしていると、突然こんな光景が飛び込んできたのです。
草が茫々だった空き地が整備され、そこにはゴザが敷き詰められていました。ゴザの上には黒い物体が干されています。
4月中、「ひじき漁師」さんが毎日天気とにらめっこしながら漁業組合に下ろした乾燥ひじきは完成品ではなかったのです。
これは気になると思い、奥の小屋に進むと地元の漁師さんがいました。話を聞いてみるとその方は乾燥したひじきを仕上げる「リーダー」で、ひじきを担当して10年以上のベテランでもあると語っていました。その日から黒く焼けた肌にすらりとした体つきでゆったりと喋るリーダーさんと朝の散歩でお話をするようになりました。
梅雨が明けて再び始まったひじき作り。今回は乾燥したひじきを「炊き上げて」再び乾燥させる作業です。乾燥した夏場にやることで美味しいひじきを作ること、発送のタイミング的に盆の前後で販売することから、ひじき作りは季節を跨いだ長期間の作業なのです。
夏の早朝に炊き場は動く
ひじき作りが行われていた8月初旬、僕は漁師さんにと話すようになってから、作業の様子を見させていただくようになりました。流れで受け入れていただいたひじき作り見学は、作業が想像以上にハードで体力のいることを痛感させました。ひじき作りは一定の期間、一日中時間が取られてしまうので、漁師さんの中でもやる人とやらない人がいます。もともとは漁師さんや地元のおじちゃんおばちゃんがメインでしたが、高齢化で近くに移住したお兄さんが手伝いに加わっていました。6人ぐらいが先ほど紹介したリーダーのもとに集まり、作業をします。
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余談ですが、高齢化が進み、地域の仕事の担い手がなくなると「短期バイトを募集すればいい!」とか「体験コンテンツとして観光的な価値がある」という声が上がります。しかし、ひじき作りはそんな単純な仕事ではありません。ひじきを炊き始めるタイミングは「梅雨が明けた時」であり、数日天気が崩れるようなら後ろ倒しになります。どれぐらい炊き上げるかもその時の注文や天気によりけりで、働く人は「いつになるかわからないけど8月上旬かそれより前に作業をする」だけの余裕がなくてはいけません。日付を指定する必要があるいわゆるアルバイトや観光資源とは一線を画した存在です。
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ひじき作りの作業は朝5時ごろから始まります。目が眩むほどの量を炊き上げるのに3・4回は炊き上げる必要があり、朝早くからやらないと気温は暑くなるし、炊き上げたひじきを十分に乾かすことができません。
作業の内容は「乾燥したひじきを炊き上げて乾かす」とシンプルな作業です。しかし、その作業が大変なのです。
まずは、漁協で保管していた乾燥ひじきを真水で洗います。
水に乾燥ひじきを浸し、揉み洗いをします。
手でお米を研ぐように濯いだ後、プールのように水が貼られた槽の中に足を踏み入れ、自らの足で揉みます(水の色が茶色く濁っていることからすすがれていることが伝わるかと思います)
そして水で洗ったひじきを炊き上げ用の大きなセイロのようなものに詰めます。
このセイロのようなものは韓国のオンドルのような構造になっており、最下層で木粉を燃やしてその熱で蒸しあげます。ひじきの中に刺さっているのは竹筒で蒸気が回るようにしています。三尾のひじきの炊き方はむしろ「蒸す」に近い方法でした。
大量のひじきが炊かれている間に、外では乾かすための準備が始まります。ゴザをしき、すでに炊き上がったひじきをカゴに入れて置いておきます
炊き上がったひじきをみると、ついに僕らが食卓で見かけるような真っ黒な色(炊き立ては少し赤みを帯びる)になっていました
炊くのがひと段落ついたらいよいよ、ゴザにひじきを広げ乾燥させます。この作業がかなり大変で、一度直線にひじきを巻いたものを人の手でムラがないように広げていきます。
「山になっているほんのり暖かいひじきを玉にならないようにほぐしながら満遍なく撒く。」
文字にしてしまえばそれだけの話なのかもしれません。しかし、誰でもできるようなことでは全くありませんでした。
実際に何回か朝から見学をしていたら、前から気にかけてくれていた漁師さんとその奥さんが軍手を貸してくださり、実際に作業をお手伝いすることに!(当然、自分の作業で手がいっぱいで写真はない)
膝をつけるとひじきを踏んでしまうかもしれないので中腰のまま、ひじきを両手で拾い上げ、軽く擦るように手を動かす。周りの漁師さんや(特に!)その奥さんたちは目にも止まらぬ勢いでひじきを広げていく。かたや体が硬い僕は一列を広げるだけで腰が悲鳴を上げていました。
そんなこんなで、一通りひじきを綺麗に撒いて、風に飛ばされないように重しをのければ「午前中」の作業は終わりだ。作業が終わるのは8時半ごろでした。
漁師さん、奥さんたちは「またねー」と言って一度解散する。そう、作業はこれで終わりではない。乾かしたからには片付けなければいけません。
「また15時ぐらいにおいで」と言われていたので再び伺うと、ゴザの上のひじきをまとめて片付ける作業が始まっていました。
リーダー率いる6人はとにかく作業に無駄がなく、あっという間に仕事が終わります。15時に始まった片付けの作業は1時間もしないうちに終わり、夕方には何もなかったかのような空き地が広がるのみになります。
こうして全ての撤収が終わったら、炊き小屋の下で一服して解散。こうして朝と夕方の作業が梅雨明けの1週間ぐらい続く、非常に過酷な仕事なのです。
僕も2日だけお手伝いをして、腰は砕かれ、暑さにやられ、「こんな大変な作業を1週間ぐらいずっとやってるんや…」と2回り以上上の大先輩の力強さに唖然としました。
漁師さんたちのご好意に甘えて飲み物をいただいたり、写真を撮らせていただいたりなど、大変お世話になりました。
回収したひじきは再び漁業組合に運び、袋詰めをされます。
こうして4月から8月中旬までかけて名産品の「三尾のひじき」が出来上がりました。漁業組合で直接販売されていました。ふるさと納税や、はし長という御坊市にある産直でも売られているそうです。
実食して衝撃ーひじきってもちもちしてる
さて、そんなこんなで三尾ひじきができる様子を見学させていただいた僕ですが、実際にひじきを食べる機会に恵まれました。
もともと地元のおばちゃんから「ひじきってパッサパサちゃうんよ」と言われていた三尾ひじき。いざ食べてみてたまげました。
すごくモチモチしているんです。
その瞬間、学校の給食のはじにチョコっと乗ってるパッサパサであんまり美味しかった記憶のなかったひじき、いや、ひじきだったはずのものが記憶から消え去り、
程よくしっとりしていて、それでいて歯応えがある。ほんのりだしの味付けを引き立てる食感が残るうまくて黒いもの。という記憶にアップデートされました。
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その衝撃は、単に三尾ひじきが何度も天日干しをかけた丁寧なひじきだからもあるでしょう。でもそれだけじゃないように感じました。
自分が1年間お世話になった村で、自らの目で見学し、自らの体も動かし、ヘトヘトになって漁師さんたちには敵わないなと思った自分の経験、「ひじきができるまで」の当たり前のように忘却されていた事実を知ったからこそ、こう思いました。
「三尾のひじき、うめー!!!!!!」
ひじきが黒くてパサパサしてることに疑問を持たない僕ら。
日本食や定食ですらよく見かける「ひじき」、コンビニでもスーパーでもひじきの惣菜はよく売られています。食卓にひじきがあることは僕たちにとって当たり前なのかもしれません。
しかし、そのひじきがどんな海藻で、どうやって作られているのかを知る人はほんのごくわずかでしょう。僕自身、1年間いながら、ひじきの魅力に気づいたのは1年間の後半3ヶ月ほどでした。今ではスーパーでひじきを見かけるたびに三尾の海やお世話になった漁師さんたちの顔が浮かびます。
先日、秋田県の漁師さんのもとにお世話になっている時に、その漁師さんが釣った魚を捌いてもらいながらこう言いました。
「うまい魚を自分で釣って食べてもらう。それが1番の食育でしょ」
「食育」:生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの。
生きる上の基本であるはずの食べ物の由来を僕たちは知るきっかけを持っていません。それは「知育、徳育及び体育」以前の問題ではないかと僕は思います。食べ物を作る現場に寄り添い、自分の当たり前を見直す機会に多くのことを学ばせていただいたと改めて痛感しています。
そんな和歌山県美浜町三尾の海辺での思い出でした。