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66 しいたけに導かれて
綺麗だなぁ…と、実家から見える山々を見ながら幸せを感じた。深呼吸。いい匂い。また深呼吸。不思議だ。めちゃくちゃ嫌だったあの山も田んぼも、18歳でサヨナラした時から変わってない。ってことは変わったのは私の方で、オイオイどうしちまったんだ!と戸惑いながら一年半が過ぎようとしている。
東京友達との感覚や情報が徐々に合わなくなってくのは寂しくもあるのだけれど、そこに固執せず、変化を面白がってくれる人
64 今のところUターンがうまく行ってる5つの理由
私の宮崎Uターンが思いの外うまくいってる理由を考えてみた。
1.Uターン者かIターン者と繋がるから
繋がる人たちがとにかく面白い。特にいま、宮崎には人が集まってる時期らしく、新しいお店や「第1回◯◯」みたいな会も増えてる。2年後くらいがまた楽しみ。
2.自身のタグ力が強まるから
県外や海外に向ける場合、東京在住の◯◯、よりも宮崎在住の◯◯の方が記憶に残る。まさか拠点移動が自身の価値を高
62 宮崎に帰る1年前~1年後までの記録
>2年前の今日の投稿
「なんの人なの?」と「今どこにいるの?」が最近聞かれる二大質問。私は、ダンサー断念してジュエリー営業→イベントディレクター→カフェ店員経て2年後に地域ビジネス起業と結婚出産がしたい31歳アルバイトで、今は東京のとあるカフェでビジネススクールのテキストに頭を抱えています。
>1年前の今日の投稿
「なんで宮崎帰るの?」が今の一大質問。「東京でしかできない(と思い込んでた)事はぜ
61 家族が近づくとき
「まー!あんげ寒いとこにいくとけ!」と都城行きに反対気味だった祖母(91)ですが、今では「この前テレビに市長が出ちょったが。あんたが住んじょると思うと親戚のごつあるわ〜」とポップに大転換。
「テレビやないけど、はよ"相棒"を連れてこんと!」と釘を刺されたのは数年前のお正月なのですが、彼女の希望も叶えず、たまーに風のように帰ってきて去る孫をニコニコと迎えてくれる度量の広さは、本当にリスペクトで
60 これからを支えるであろう発見
東京を去る時に「すぐ帰ってくるよきっと、笑」と多くの友人に言われた。「そうなったらセルフ歓迎会するからまた来てね〜」なんて言ってたわけだけれど、帰ってきて7か月、宮崎に一度も飽きてない自分に心底驚いている。
もっと広い世界を見たい!の一心で、埼玉、東京をはじめ、ダブリン、ロンドンにも少しいた。
その14年の中で身につけた、コミュニケーション力、お酒や運転技術などを伴って帰った地元の景色
59 虫が出ても、ひとり
am3:40、シャラシャラ・・・不思議な音がすると思って目を覚ますと、スタンド照明のフードの中で、蛾よりしっかりした何かが暴れていた。2日前に部屋に現れ、いったん落ち着こうとトイレに行った間にいつのまにか消えていたヤツだ。
こ・・・怖がるな、考えろ・・・
まずフードに端を破いた封筒を被せて後退の道を塞ぎ(手術後の犬みたいな)、窓をうすーく開けてフード&封筒を挟む。都城の冷気が一気に流れ
57 恥ずかしいことは学びになる
そこもっと掘るとこやろー!と反省したり、相手が乗ってきてるのがわかって嬉しかったり、インタビュー書き起こしは、本当に恥ずかしいけど、学びが多い。コレを数多くやってるから、ライターさんて会話してて楽しいんじゃないだろうか。
普通に会話のクセとか知れるので、営業さんとかもやったら良いのでは?と思う。
ちなみに、私の昔からのクセは、"相手の言いたいことを先に言ってしまう"こと。
これは、"私知ってる
56 てげてげスタンスの重要性
ぐわっと搔き回し、上辺だけすくって(もしくはすくうの諦めて)去るんじゃなく、いったんぐぐっと潜って、見えたそのものを愛してみたい。
その思いが、まさに宮崎に帰ってから実現してる気がする。
仕事もプライベートも。
でも根がクソ真面目なため、ゆるゆる自由に、を心がけてます。
このスタンスを得たのは、辛く楽しい20代があったから。
ありがとう、かつての私。
てげてげでい
54 挨拶が救うもの
入社MTG行くのもGoogleマップを使うくらい土地勘がないため、まずは歩いて情報を集めている。こんな挙動不審であろう30代にも「こんにちはぁ!」と元気に言ってくれる小学生に、じんわりくる夕暮れ。
この「挨拶文化」は、宮崎が誇るべき文化だと思っている。
仕事で地方に住むのは小田原と岡山で経験してるんだけど、やっぱり最初は孤独なわけですよ。そこに来ての、"知らない子どもからの挨拶"っ