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医療の世界で生きてきた医師だから伝えられる、コンフリクトマネジメントの大切さ

私が独立した理由-永井 弥生さん-
医師という資格を持ち、世の中に貢献していた永井さん。あるセミナーがキッカケとなって、ライフワークと思える医療コンフリクトマネジメントに出会います。今は、大学病院を辞めて、自分がやりたい道を進むべく、邁進しているといいます。安定した生活や確実な収より、自分のやりがいや使命のための起業。そんな強い信念を持つに至ったお話を伺いました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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永井 弥生(ながい やよい)さん

Office 風の道 代表
群馬県出身
山形大学医学部卒業
群馬大学病院 皮膚科勤務
2008年 医療安全管理部門にて医療メディエーターのセミナーに参加
2014年 医療安全管理部門の部長として専従
2018年 独立

「資格が欲しい」そんな思いから医者を志望
マイナーな分野でトップを目指した

 小3のときに医者になりたいと思いました。親は普通のサラリーマンと主婦の家庭だったので、何か資格を持って働くということにあこがれていました。その中でいちばん強い資格といったら医者かな、みたいな軽い感覚だったと思います。医者になるなら勉強しなくちゃいけない、そんな感じで、勉強はきらいではなかったのでせっせと励んでいました。いい成績をとるのはおもしろいな、という感じでした。特に塾らしい塾にも通いませんでしたが、本人が楽しんでいると勉強はできるようです。

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 山形大学医学部卒業後、群馬大学病院に皮膚科の研修医としてのキャリアをスタートさせました。皮膚科を選んだのは、マイナーな科だったからです。自分に合う合わないもあると思いますが、私は、そのときはマイナーな世界で早く極めたいと思いました。当時、入った医局の人数が少なかったこともあり、早く一人前になれるかなと考えました。今考えるとあまり良い動機ではないかもしれませんが、入ってみれば学ぶことは山ほどあり精一杯でした。

 順調に皮膚科医として大学病院などで勤務をしていたのですが、2008年に医療安全管理部門のマネージャーに任命されて、医療メディエーションのセミナーに参加しました。このセミナーが、その後の人生を大きく変えるキッカケとなりました。
 医療メディエーションとは、医療の現場と患者さんやそのご家族とのコミュニケーションを埋めるための対話を促進する学びです。医療現場には、医療の結果が悪いときのクレームや、時には裁判になるケースまであります。それらの原因はお互いのコミュニケーション不足やギャップによるものもたくさんあります。
 この考えに非常に共感し、それから4年かけてコンフリクト・マネジメント(患者・家族と医療従事者が手を携えて生命と健康、生活の質の向上を目指して協働する営み)に役立つ医療メディエーションを学び、セミナーを開催できるトレーナーになるための資格を取得しました。

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 私がここまで医療メディエーションにひかれたのは、自身の経験も関係しています。2006年に私の6歳の子どもが急性腹症で入院したことがありました。痛がる子どもを看ながら不安になっているただの親の状態で病院に付き添っていました。そんな疲労困憊の状況で、専門外の当直の医師が対応してくれていたとはいえ、朝になって、現れた専門の医師の淡々とした説明が素直には受け入れられませんでした。
 自分の医師としての経験からも、納得できないこともありました。結果は良かったですし、医学的に間違っていたことをされたわけでもなかったのに、「もしも結果が悪かったら訴える」と思ったほどでした。
 このとき、一般の患者さんがどのように不安を持って過ごすのか、どれだけ医師を頼る気持ちを持つのかを実感しました。結果が悪ければクレームや、そのもつれから裁判にまで至ることがあるということも少し理解できました。この経験から、両者がきちんと対話をすることの大切さを知り、それを病院従事者に啓発する活動に携わりたいと強く思ったのです。

ご自身の経験があったからこそ、患者側の気持ちが痛いほど理解でき、また医師としての立場からわかる部分もある。そんな両方の気持ちがわかる永井さんだからこそ、この活動の意味を深く理解できたのだと思います。そして大きな運命が彼女を待ち構えていました。

医療安全の仕事に専念したい気持ちが増幅

 私は2008年から医療安全管理部門にいたのは2年だけだったのですが、その後医療メディエーション(医療対話推進)トレーナーとしての資格をとって、講演や研修の活動を始めました。そして、2013年から再び安全管理部門に戻り、その後、2014年4月から、皮膚科医としての仕事はお休みして、安全部門の仕事に専従させてもらうようになりました。

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 そんな2014年6月に、実は過去4年間に起こっていた病院内での医療事故に気づきました。その後の病院の対応の不備が重なり、メディアで大きく報道されることとなりました。私は遺族への対応、病院内の改革、外部事故調査の窓口、メディアへの対応など、約3年半に渡って行いました。当時、私は医療安全管理部長でしたから、病院側の人間ですが、医療メディエーターのような中立公正な自分をもって、ご遺族にも対応してきました。この事故の対応後、それまでの医療コンフリクト・マネジメントに加えて、医療事故の教訓を話してほしいと各地から講演に呼ばれるようになりました。

 一方、病院では、2017年に病院の医療安全管理部長を解かれました。皮膚科医としてほかの病院で勤務することはできましたが、独立の道を選びました。大げさかもしれませんが、このままでは死ぬときに満足しない、やるべきことがある、という思いがあったんです。医療コンフリクトに関わるようになってからも、今までの皮膚科医としての仕事や女性医師支援などのプロジェクトなども全力でやってきました。どれもやりがいのある仕事です。でも、当時、どうしてもこの仕事に関しては、人に譲るのではなく自分でやりたいという思いが強く湧き出たこと、そしてこのような大きな経験を経たことは意味があることだと思ったのです。

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▲2019アジアゴールデンスターアワードで女性起業家賞受賞したとき。

 独立に際して、改めてビジネスについて学び、会社設立とともに2018年に年に大学病院を退職しました。今は講演などを行いながら医療コンフリクト・マネジメントの大切さをお話させていただくとともに、より多くの人に伝えたいと思い、執筆も始めています。。コンフリクト・マネジメントは単なる苦情クレーム対応だけでなく、起こった出来事を客観的にみる、自分自身も俯瞰してみることであり、医療にとどまることではありません。高齢化社会において一人ひとりが考えるべきこと。ストレスを感じる人に満足した人生を送っていただくために世の中に伝えていきたいと思っています。

病院は患者の命を守る場所だから特別だと思いがちですが、企業と同じで時代変化の流れに合わせて変わっていく必要性があります。医療技術の発展や新しい治療法といった面にばかりフォーカスされますが、そこで働く人々の職場環境やガバナンスなども大事なポイントです。
永井さんの活動は、医療現場を中心にされていますが、じつは社会全体でも同じような考え方が求められていることがわかりました。意義のある活動のこれからを応援したいと思います。

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いわみん
下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!