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自分のメンタルブロックを探ってみた

あるセミナーで「あなたは腰が引けている。そんな人からは誰も買いたいと思えない」と言われた。
ショックだったけど、最初は、私のことをうまく理解されなかったんだろう、と思った。「自信がないように見えちゃうんだな」と。

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2019年に独立して、1年間は戦略的プータロウとして勉強を中心に過ごした。20年いざ個人事業主としてスタートしようとしたところでのコロナ。動きづらさを言い訳に、方向性を探る猶予が与えられた気がした。
そして21年。もう言い訳しようがない。しっかりビジネスの基盤を作ろうと動いていた。いい調子で進めていた矢先の言葉だったから、なおのこと素直には受け止められなかった。でも。。。

自分を止めている本当の原因から、目を背けていた

そんなに気にしてなかったはずなのに、その日から気分が上がらない日が続いた。仕事やプライベートでもマイナスな出来事が起きた。「このままではうまく進めなくなりそうだ」そんな焦りを感じ始めた。
友だちの力も借りて内省を繰り返した。その度に何かを乗り越えた気がしたが、一方でずっと何かを誤魔化しているような気分もあった。

そして、ついに発見した。無意識のうちに私を制限し続けてきた原因のひとつ。当時も今までも、なんの問題もないと思っていた出来事が、実は自己否定を生むキッカケになっていたことに。

赤レンジャーではなく青レンジャーでいたい病

私の価値観は小さい頃からずっと同じ。
「赤レンジャーではなく、青レンジャーがカッコいい!」
自分がセンターに立つのではなく、メインの人をサポートしたい。

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編集者の仕事はまさにそうだった。スポットライトを浴びて誌面に登場する人たちを、最高にカッコよく見せるための黒子の役割だったから。名編集者(プロデューサー)としてたくさんのスターも輩出してきた。

学生時代から先生に指名されて委員長をやったり、センターに立つことはあったけど、自分で立候補したことはなかった。社会人になってからも、センターポジションはひたすら避けてきた。

編集長を任されるようになって、少しずつ考え方も変わってきた。自分がセンターだからこそ、自分の思う「会社をもっと心地よい場所」「社会の笑顔を増やす」ことが実現できるとわかってきたから。
「私らしい赤レンジャーになるのもアリ」そんなことを思い始めていた。

人生初! 自分からセンターポジションに立候補!

社内で「ダイバーシティ研修の参加者」公募があった。1年間、社外の女性たちと共に学びを深める研修だ。ちょうど編集者の卒業宣言をしたタイミングだったので手を挙げてみた。

が、私は同じタイミングで1年間の社内研修メンバーにアサインされていたため、今回はあきらめるように言われた。自分が立候補した方をあきらめることはめっちゃ悔しくて、実は人事部長に泣いて訴えたw 
でも、2年後にこの願いはちゃんと叶ったし、社内研修での学びは、私の人生を変える大きな出来事にもなったからラッキーだったと言える。

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そう。その2年間で私は大きく変わった。社内研修やその後の異動などで、自分がセンターに立つことも許可しようと思い始めていた。何に対しての許可なのかわからないけど、なんとなくそんな気分だった。

2年後、社外の女性メンバーが300人くらい集まるダイバーシティ研修で、私はそのメンバーを率いる幹事会にアサインされた。さらにそのメンバーの中から幹事長を決める際、生まれて初めて立候補した。「私にはできる」そんな気持ちになれるぐらい自信をつけた2年間だったんだ。

「責任を取りなさい」と幹事長を退任させられた事件

私が幹事長(リーダー)を務める1年間の研修が始まった。まず幹事会というメインメンバーとの関係性を構築し、そこでビジョンを描き、参加メンバーに伝え率いていく役割だ。

私が目指したかったのは、当時は知らなかったけど、ティール組織的な誰もが活躍できるフラットな組織。幹事会は私が目指した心理的安全な場となり、メンバー間で情報は共有され、みんなで全体をまとめるための素晴らしいチームになった。

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だが、この研修を運営している事務局からは否定された。私のフラットな組織づくりはビジネス的ではないと。多様なメンバーが意見交換することで、みんなの腹おちを目指すように時間をかけろと言われたのに、ある日突然、手のひらを返すように、時間をかけすぎだと叱責された。
私は注意されても素直には聞かなかった。だって、ダイバーシティを学んでいるのに、叱責されている内容は矛盾していると思ったから。そんな風に意見を述べたら、呼び出されて、その組織のトップ女帝から幹事長を降りるように宣告された。

他にもオトナの政治的な事情もあったらしいし、やり方がおかしいのは誰の目にも明らかだった。幹事会メンバーは猛反発したが、私はさっさと争いの場から降りた。価値観が違う人間と争うことほど無駄なことはないと、割り切ったからだ。そこそこに落ち込んだけどね。。。

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気づかずに植え付けてしまった自分への制限があった

この事件で、私はたいして傷つかなかった。自分が間違っていたとは1ミリも思わなかったし、周りの多くも私を理解し、支持してくれたから。多くのことを学んだものとして終わっていた。
だから、安心していたんだ。単なる過去の出来事だと。。。

その後も、私は何度か立候補したことがある。社内で提案したプロジェクトが「いいね」と承認されたので、「そのリーダーをやらせてほしい」と。その時に言われたのが「お前はでしゃばるな」というひと言。私のリーダーは当然と思われたのに、他のメンバーとの絡みで、私をリーダーにすると面倒だと判断された。会社の人事あるあるだ。

そんな出来事をぼんやりと思い出して、そして気づいた。
私がリーダーポジションを取ったのはいつも「誰かにアサインされたもので、自分から立候補したことはない」と思い込んでいた。

実は、この考えは自分で傷つかないように書き換えられていた。
「私が自分から立候補すると、いつもうまく行かなかった」
から、自分からは立候補していないと思うようにしていたんだ。

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「自分から売り込むと失敗する!」というビリーフ

無意識で自分にブレーキをかけていた思い。
「自分を売り出すと必ず失敗する気がしてしまう」
「誰かにアサインされた場合はうまくいった。でも、自分で手を挙げた時はいつも失敗している」
本当かどうかは関係ない。自分がどう思っているか?が問題なんだ。

確かに、私は人が私に何を求めているのかが非常に気になっていた。
「自分が何をしたいか?」より「相手が何を求めているか?」
だから、自分で決めた自分のサービスに自信が持てなかったんだ。

気づいたら、あとは簡単だ。
「必ず失敗したっけ?」「成功したことはない?」自分に問いかける。

目をつむって過去にさかのぼると。。。あるある。自ら動いたことで、ちゃんと成功した経験。そうだ。自ら動いた後に、認められてアサインされたんだ。本当に手に入れたいと思った時は、ちゃんと自分から動いていたんだ。

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さらに内省を進めてみた。
「私はなぜ、青レンジャーにあこがれたのか?」
簡単だ。親から目立たないことが美徳だとしつけられていたからだ。さらに
「赤レンジャーになる人は特別な人なんだ」
そんなことも植え付けられていた。

自分の人生さえ、青レンジャーを演じようとしていた

私はどこまでも”青レンジャー”精神が強かったらしい。
自分の人生でさえ、誰かに赤レンジャーを譲ろうとしていたw

私は確かに誰かをプロデュースするのがめっちゃ得意だったし、今でも人をプロデュースする仕事だ。でも、それは私の人生の主役を譲ることではない。

私は「人のプロデュースがめっちゃうまい自分」をセールスすればいいんだ。秋元康のように、うっちゃんのように、JYパークのように「あんなことができますよ」とアピールすればいいんだ。(ちょっと大きく出たなw)

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多分、私の美徳は変わらない。青レンジャーがカッコよくて好きだ。だったら、青レンジャーを主役にした人生を歩いていこうと思う。

ちっとも気づかなかった自分のトゲ。やっと抜けた気がする。たぶん。
だって、自信を持って売り出せる自分がいる。

「赤レンジャーを最高にカッコよく見せる
青レンジャー、いりませんか?」笑

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!