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高知ひろめ市場 誕生秘話 ラスト

高知ひろめ市場 誕生秘話-ラスト
翌日は台風一過の晴天!朝の7時にひろめ市場はオープン。
2日目お客さんはいません・・・(心配)
9時を過ぎる頃からお客さんの姿が多くなり昼前には満席、更にお客様は増え続け、立って食べる人、床に座って食べる人、客席500席が何回転もしている。

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1998/10/24 ひろめ市場新聞記事

ここで一番心配の食器センターが完全に容量オーバーでダウン!各テナントから「食器を回せ!テーブルを片付けろ!」と激怒して食器センターに飛び込んでくる。
「すみません。直ぐ行きます。」と答えれたのは最初の1時間ほど、後は幾ら怒って言ってきてもただ目の前にある何千個の食器を洗いテナントに運ぶ事だけしか出来ない・・・この世の地獄!いつになったら終るのか?

食器を集め・・・洗い・・・配り・・・また集めの繰り返し。私も食器センターのスタッフもこの状態が今日の一日で無くひろめ市場が営業し続ける間この戦場は終らない事を思ったハズ・・・・恐怖でした。オープンから毎日毎日お客さんは絶える事は無く、食器センターにとっては地獄の毎日が続いたのです。
私も本来これだけのお客さんを集める施設を創った事で、政界・業界・視察・など多くの人が挨拶に来て頂いていたのですがまったく時間を取る事も出来ず、ひたすら食器集めをしていました。

ようやく落ち着いてきたのはオープンして1ヶ月がたった頃でした。(私は8キロやせていました)
しかも食器センターはテナントより早く来て準備!昼夜お客が居る以上休めず、テナント営業が終了して後片付けそして明日の準備!朝6時出社・深夜3時に退社(もう限界)でもひろめ市場のお客さんは絶える事が無かったのです。

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1998/10/18 ひろめ市場新聞記事

快調にスタートしたひろめ市場!各新聞やテレビがひろめ市場効果をどんどんと発表。ひろめ市場出店テナントは「わずか4坪の店舗で1日の売上が60万円を越し驚きました、いまだに売れてます」近隣の商店街はお客さんの通行量が大幅に増えた。街の人の流れが変わった!など多くの人が絶賛している情報が高知の街を県下ををしてこの情報は日本中に広がったのです。

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私の思いつきがわずか10ヵ月で形になり、その形が力となりその力が大きなエネルギーに変わり、このエネルギーに多くの人が集まり人々は不思議な力をもらっています。


「ひろめ市場は高知の人の文化が生み出した最高傑作な市場なのです。」

ひろめ市場 誕生秘話-10

ひろめ市場 誕生秘話を最後までご覧頂きありがとうございました。次回から「高知ひろめ市場は私が誕生させた。0~7」記事掲載をします。

記事内容は、高知ひろめ市場が誕生するきっかけになった、平成5年からの現在までのエピソードを、時系列にまとめた回想録です。(誕生秘話と一部重複)

よろしくお願いします。

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