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脳活性ツールとしてのピアノの3つの可能性 (前編)~音楽教育のゲームチェンジを目指して~ 



中国の急激なピアノ離れに思うこと

2024年4月14日、日経新聞にこんな記事が掲載されました。

『世界最大のピアノ生産国である中国で、ピアノの生産台数が急減している。2023年は約19万台と19年比で半減した。当局が教育政策を転換したことにより入試での芸術加点制度がなくなり、景気回復の遅れも加わってピアノ離れが一気に進んだ。(中略)

変調の一因は教育改革だ。以前は芸術や運動の領域で優れた実績があれば入学試験で加点される仕組みがあり、受験競争が過熱するなか、これがピアノブームに拍車をかけた。

だが教育省は21年、全国統一大学入試「高考」でピアノなど芸術やスポーツによる加点を24年からなくす方針を示した。大学入試に先行して、10年代後半から中学や高校入試でも優遇をなくす動きが広がっている。(中略)

教育の現場でもピアノ離れの影響が出ている。「新規の生徒は本当に少ない」。内陸部の陝西省でピアノ講師として働く王晟君さん(25、仮名)は肩を落とす。』


2019年の中国のピアノ生産台数は39万台 
世界のピアノ製造数の76.9%を占めていた



現時点で中国が世界最大のピアノ生産国である事は上記の事実をもってしても変わりませんが、一時期は中国だけで4,000万人の子どもたちがピアノを習っていた事を考えれば、状況はなかなか深刻だと言えます。

これについての個人的な見方については、経済的な事情については一定の理解を示しますが、「入試にメリットがない」という理由でのピアノ離れには「はて?」と思うのであります。

ピアノ教育が持つ学習効果については、教育意識が高い層の間では広く浸透していると言って良いでしょう。その証左の一つとして、次の本を紹介します。

開成学園の独創的な音楽教育


書籍『なぜ東大生の2人に1人はピアノを習っていたのか』

本のタイトルからして、ピアノ教育と学力との間に強い正の相関がありそうな様子がビシバシ伝わってきますが、本書の中に開成学園の音楽教育が紹介されており、大変興味深い内容につき以下に抜粋引用します。

『名門進学校として全国にその名が知れ渡っている開成だが、独創的な音楽授業を行っていることはあまり知られていない。(中略)開成では中学において生徒全員が授業でピアノを習うのだ。(中略)

授業は、演奏と創作(作曲)を念頭においたピアノ指導で、まず1年生の1学期に校歌の楽譜を書き写したり、和音(コード)の種類などの基礎を学ぶ。そして、2学期からはピアノの練習に入る。(中略)

2年生になると、1学期に創作の第一歩としてバッハのメヌエットを全員必須で学ぶ。そして、2学期には教えられた音楽理論をもとに自分で曲を作り、その演奏が期末テストとなる。』(引用終わり 本書P.129~130に該当)

ここで注目すべきは、創作(作曲)というゴールを目指し、そのために必要な理論的な基礎がしっかり教えられている事です。

音楽の持つ言語的・数学的性格

実は「音楽」は言語的な性格(ex. 統語的構造やモジュール性を持つこと)、数学的な性格(ex. リズムの規則性、和音の周波数比に見られる数学性)、双方の性格を色濃く反映した理論的な構造で成り立っています。

しかし、そんな理論的素養がまったくなくても楽しめてしまうのが、音楽の良い所でもあります。たとえば「曲に合わせて手拍子を打つ」なんてのは、簡単そうでサルでもできそうですが、実はこれが可能な霊長類はサピエンス(人間)だけです。

曲の背景にあるリズム的な規則を無意識に掴んでいるからこそ丁度良いタイミングで手拍子が打てるわけであり、あるメロディーが盛り上がったり落ち着いたりするのが感覚的に分かるのは、無意識に音階の構造を感じられていて、主音と従属する音の関係について無意識化での処理が働いているからです。


一般的なイメージに反して、サルにリズム認識の能力はない


このように、音楽を楽しむ能力の裏側には、かなり精緻な理論構造があるのですが、その大半が無意識化で自動処理されているので、私たちは普段そんな事を考えることなく音楽を楽しむことができるのです。

小説家の稲垣足穂はこんな言葉を残しています。『花を愛するのに植物学は必要ない』。これは音楽にも言えるのでしょう。『音楽を楽しむのに音楽理論は必要ない』とも。

しかし、私は稲垣足穂のこの言葉は好きではありません。

NHKの朝ドラのモデルにもなった牧野富太郎博士に見えていた植物の世界には、一般人の想像にも及ばない豊かさがあったと思います。


2023年前期のNHK連続テレビ小説「らんまん」 
写真は神木隆之介が演じた植物学者 槙野万太郎

音楽構造が分かるからこそ出来ること

同様に、音楽の背景にある理論的な構造が分かるからこそ楽しめる世界というのは確実に存在します。私がYouTubeでパッと聞かされただけの曲をある程度のクオリティで耳コピー演奏できるのも、「絶対音感」があるからではなく、私の脳内に音楽理論の体系が組み上がっていて、聞いた音楽の構造が即座に理解できるからに他なりません。

もちろん、全ての耳コピー奏者が音楽理論に明るいワケではありません。「私はそんなモンしらないけど、耳コピーはできるよ!」というプレイヤーも多いでしょう。私も昔はそうでした。

私自身も15年前を振り返れば、楽譜は超苦手、コード進行の知識が無いどころかコードの読み方さえ知りませんでした。耳コピー奏者にとって、音楽理論の顕在意識での理解は必要条件ではないのです。(しかし潜在意識では確実に捉えているでしょう。それは私達が日本語の文法構造を理解することなく、日常生活において流暢に日本語を使いこなしている感覚と似ていると思います。)

さて、ここから本題に入ろうと思いますが、そのために必要なポイントをまとめ直すと以下のようになります。

音楽は言語的な性格、数学的な性格、双方の性格を色濃く反映した極めて理論的な構造にて成り立っている。しかしその構造的理解は、我々の無意識化で処理されているので、そんな小難しい事を一切考える事もなく音楽を楽しむ事はできる。

されど、その理論的な構造に目を向けて、意識的な学習を積み重ねることで、音楽の理解力と運用能力はさらに向上させる事ができる。全国屈指の名門進学校の開成中学では自作の曲をピアノ演奏できる程度の音楽リテラシーを身に付けることが必須課題となっており、その学習効果は音楽にとどまらず、他の学力にもプラスの影響を発揮しているのは想像に難くない。

やや強引な論理展開だなぁ、と思う節もありますが、私の個人的経験に照らし合わせれば、今回の投稿のタイトルでもある「脳活性ツールとしてのピアノの可能性」については、その効果を十分に実感できていると断言できます。

まだ道半ばではありますが、現時点で私は「ピアノ」を通じて、以下の能力(脳力)が成長した実感を得ています。

脳活性ツールとしての3つの可能性

①全般的な学力向上

音楽構造の理解力が「※学習の転移」を起こし、様々な対象に対する全般的な理解力が向上した。

※学習の転移・・・学習者の習得した知識や技能,解決方法を異なる場面に活かすこと。平たく言えば「応用が利く」という事。

②連想力・発想力の強化

様々な即興演奏の実践(〇〇を△△風に弾く、絵画や動画のイメージを音楽で表現する、などのお題)を通して音楽的な連想力が高まり、それも「※学習の転移」を起こし、生活やビジネス全般の中で、以前よりも色々なアイディアが思いつけるようになった。

そして、まだ個人的な体験として実感こそしていないものの、「脳活性ツールとしてのピアノの可能性」として、次の要素も大いに期待できると思っています。

③アルツハイマーの有効な予防策


私がピアノから得てきた、これらの恩恵を、再現性のある形でノウハウ化し、一般化し、普及させる事ができれば、音楽教育の世界にゲームチェンジが起こせるのではないか!?

漫画ワンピースの世界において、悪魔の実に「覚醒」という段階があるように、ピアノ愛好家がピアノ演奏の目的の一つに「脳活性ツール」としての効果を意識し、ピアノへの取り組み方にイノベーションを起こせれば、自身の潜在能力を「覚醒」させて、より豊かな人生と、健やかな老後を送ることができるようになるのでは!?


悪魔の実は稀に「覚醒」し、能力の影響範囲を広げはじめる

段々と中二病的な感じになってきましたが(笑)、最近はこんな事を結構本気で考えています。

脳活性ツールとしてのピアノの3つの可能性

①全般的な学力向上

②連想力・発想力の強化

③アルツハイマーの有効な予防策


今回(前編)では前置きを経て、脳活性ツールとしてのピアノの3つの可能性について、その全体像をお話しさせて頂きました。

次回(中編)では、脳を鍛えたいと願う人に知っておいて欲しい5つの概念について

ラスト(後編)では、中編で補強した脳科学の知識を土台に、上記の3つの可能性について更に踏み込んだ考察を展開する予定です。

引き続きよろしくお願い致します!


江古田Music School 代表   岩倉 康浩

YouTube "らうんじPianist" チャンネル 管理者


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