【FM店主日記Day16】虚無との戦い 〜よく考えたら金太郎飴はあまり売っていない
人生は虚無感との戦いと言っても過言ではない。虚無感と戦ったり、退屈と戦ったり、常に何かと意味のない戦いを繰り広げていないと気がすまないらしく、今もこうして意味のないことをいかにして書くか、という意味のない戦いに頭を悩ませている。
日本社会は自営業の人間に冷たい。いや、冷たい、というのは語弊がある。もっと正確に表現するとすれば、日本社会は自営業の人間をそもそも人間だと思っていない。そもそも我々のような自営業の人間が同じ世の中に存在していることに気がついているのかどうかも定かではない。存在に気がついていたとしても、人の形をしているだけの何か別のものだと思っているに違いない。もしくは存在に気がついていたとしても何も思っていないのだろう。
大きな会社に新卒で就職し、その会社で働き続けている人たちに日本の社会は優しい。あたかも日本をよくしているのは彼らであるかのように至れり尽くせり彼らを保護し、まずは車あたりを彼らに購入させ、あわよくばタワーマンションの一つや二つを将来的には売りつけようとする。どんな職業についているかではなく、会社名が彼らの肩書きなのであり、そこに就職できたということは間違いなく選ばれし者の証なのだ。
新卒で良い会社に入った人たちはもう将来の幸せなんていうのは約束されたようなものだ。金太郎飴のごとくどこを切っても同じような約束された幸せはきっと手に入る。しかし、人間というのは残酷な生き物で、遠くから見れば恵まれている人たちも至近距離まで近づいてみると、顕微鏡で見ても確認できる時とできない時があるくらいのとても細かい不幸せを見つけ出し、自分が世界で最も恵まれない人間かのように騒ぎ立て始める。
何が幸せで何か不幸かなんて本人にしかわからない。周りの人がああだこうだいうのはお門違いだ。自分のことくらい自分で決めろ。どんなに金を稼いでも、どんなにおいしいものを食べても、どんなに立派なところで暮らしても、どんなに速い車に乗っても、虚無感は必ず追いついてくる。
一人だけ空飛ぶ車に乗れるんだったら特別感もあるかも知れないけれど、立派な新車に乗っても、ボロボロの中古車でも赤信号を見たら止まらなきゃいけないのは一緒だ。どんなに速い車でも仕事帰りの渋滞に巻き込まれたらその性能はまるで発揮できないわけだし、立派な新車の方が盗まれる心配をしなくてはいけない分だけ人生の質を低下させているかも知れない。立派な新車に乗っているとニコニコと周りの人が話しかけてくるかも知れないけれど、そういう金目の物に寄ってくる人間は話が退屈かも知れない。
体験とアイデアと熱量はどこにも売ってない。自分の時間は買えないが他人の時間は買える。どんなものでも値札がついてるものはお金さえ稼げばだいたい買える。満たされたいと思って高い物を買えば買うほど、虚無感は大きくなるだけだ。虚無感を埋めてくれるのはアイデアと熱量だけだ。
タワマンも、新車のレクサスも、ホストクラブのシャンパンタワーも、若い女からの褒め言葉も、やけに細部にこだわった金太郎飴も、はたまたアコースティックギターでTears In Heavenを弾けるようになりたい気持ちも、ハンドマイクでウルトラソウルを歌いたい願望も、どれもこれも虚無感の裏返しだ。欲しいかどうかは自分で決めろ。
フェルマータ店主 KAORU
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