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【FM店主日記Day85】マンネリズムを打破するためにマンネリズムのリズムをエンドレスリピートする

すぐになんでもマンネリ化してしまう。人生とは既視感との戦いであり、あれもこれもどれも割とすぐに飽きてしまう。そう、自分は極度の飽き性なのだ。

マンネリ化して来たら何かを変える。人間関係を変える、場所を変える、道具を変える、気持ちを変える、視点を変える、服を変える、靴を変える、音楽を変える、空気を変える、職業を変える、住むところを変える、心を入れ替える、言葉を変える、おたまじゃくしが育つと蛙。

それもダメならしばらくやめる。やめているとまたやりたくなってくるはず、と言い聞かせる。やりたくならないなら所詮そんなもんだった、と開き直る。やりたくないな、と思いながらも日々を過ごす。そのうち特に何も考えなくなる。別のことに夢中になる。そればかりしばらくやる、それにも飽きる、そしてまた違うことをやる。

忘れたころにまたやりたくなってくる。このエンドレスリピートでここまであらゆることをやってきた。noteの更新だってそうだ。あらゆることがマンネリ化してきた結果、それを打破する一つの方法としてこのnoteの毎日更新という意味があるのかないのか、意味がないとしたらはたしてどのくらい意味がないのか、これはやってみなくてはわからないし、憶測でものを言ってみたり、あるいは結果が見えていたとしても、全ての行動の根源的なドライブとなっているのはマンネリ化してしまった人生や気持ちを打破することでなので、マンネリ化を打破するためには、なにか行動に変革をもたらさなくてはいけないし、なんならそれを継続させなくてはならない。

と、ここまで書いてみて、そもそもマンネリ、という言葉がどういう語源の言葉なのか、ということが気になったので調べてみたところ、

マンネリとは、一定の技法や形式を惰性的に反復慣用し、固定した型にはまって独創性と新鮮さを失うようになる傾向を指します。俗にいうワンパターンです。

マンネリという言葉は、イタリア語の「マンネリズム」に由来しています。マンネリズムはもともと芸術家を対象に使われてきた言葉で、同じ手法ばかりを用いて独創性や新鮮味がない状態を指していました。そこから転じて、現状維持の状態や新鮮味がない状態をあらわす言葉として、マンネリ化という言葉が一般に広まりました。

AI による概要

と、一瞬にしてAIが教えてくれた。ChatGPTの到来と共にAIが便利だなぁというのはいやというほど思い知らされていて、なんならこのAIを使って何かを調べるという行為すらもマンネリ化してしまっている。吉本新喜劇やダチョウ倶楽部のネタと同じで、俗にいうワンパターンである。困ったことに安くて早くてクオリティが高いものが継続的に提供されてしまうと全くというほど新鮮味がないし、心の底からツマラナイのだ。そういう意味では、このnoteの毎日更新の投稿さえも、なんとなく内容がマンネリ化してきているような気がするし、何パターンかの話の広げ方とか説明の仕方とか、展開させて終わらせるまでの常套手段とか、ちょっと、というか割と結構マンネリ化してきていることが否定できないし、なんとかの一つ覚え、というか、もうちょっと斬新なこととか書けないのかよ、と思いつつも、まぁ、毎日のことなので、毎日斬新なことをすると斬新なことですらマンネリ化してしまうわけであり、斬新なことがマンネリ化すると、これまた不思議なことにワンパターンなオチの付け方が極めてフレッシュに感じられたりして、しばらくそのワンパターンの攻めで楽しめたりするわけなので、マンネリの打破は重要だし、ワンパターンの攻めも退屈ではあるのだけれど、結局どれもこれも気の持ちようなわけだし、そもそもの原因は自分が飽き性なことであり、しかし、飽き性だからこそ色々なことに挑戦してきたわけであり、飽きることも言ってしまえば一つのスキルでもあるわけで、飽きないことなんて世の中にはないのだけれど、まぁ、世の中の商人の方々は、商いというものは奥深くて飽きない、とか言うんだろうけど、その使い古された言い回しこそマンネリズムであり、今日ここで打破しようと思っていた敵に落とし所を持っていかれる、という救いようのない状態になってしまったところで今日のこの話は終わるのである。このパターンもまたこのnoteではよく見られる手法であり、いやはやこれぞザ・マンネリズムなのだ。

フェルマータ店主 KAORU


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