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「行きたい」から「行く」へ - こうして僕は東南アジアへ旅に出た

2022年11月某日、成田空港第二ターミナルの休憩スペースで、エアアジアの搭乗アナウンスが鳴り響くまで暇を持て余していた。

これから3ヶ月間のバックパック旅が始まる。仕事で使うMacbookProに1週間分の着替え、防犯用のワイヤーに南京錠、地元の神社で購入したお守りと共に日本の地を飛び立つ。



「11月から3ヶ月間、海外で生活します」


8月初頭、毎朝zoom越しに行われる会社の定例ミーティングでそう発言したのが事の発端。

同年4月に今の会社へ新卒入社。リモートワークのため、平日は家か図書館にひたすら篭っていた。仕事はやりがいがあって楽しい。日々成長している実感があり充実した社会人ライフを満喫していた。


しかし、どこか満ち足りない気持ちがあった。それは仕事面ではなく私生活において。学生時代と比べて人付き合いが一気に減ったこともあり、休日は自分の時間に当てていた。


有り体に言ってしまえば、彩が不足していた。休みは週2日、出かけるにしても家からたいして距離のない場所ばかり。変わり映えのない日々に飽き飽きしていた。


しかし、とある事がきっかけで日常に変化が現れた。


行きつけの日本酒バーに足を運んだ日の事。淡麗辛口が多い新潟にしては珍しい、南国フルーツを思わせる、甘い日本酒で有名な村祐常盤ラベルを飲んでいると、となりの席が海外の話で盛り上がっていることに気がついた。


どうやらタイ旅行の話で盛り上がっているようだった。やれ飛行機代がいくらかかったか、屋台のご飯がおいしかった、夜の街が素晴らしかったなど。日常では体験しえない話が次々と横の席から耳に流れてくる。


思えば、前々から海外には興味があった。今の会社も海外と仕事をしているから面接に挑んだ。しかし、仕事をしているのは日本である。憧れは憧れのまま、ずっと日本という土地で、想いを馳せるだけで人生が終わってしまうのではないかと、少し不安になった。



バーの帰り道。夜風にあたりながら海外で生活している自分を想像した。仕事終わり、大量のクラクションが鳴り響くメイン通りでトゥクトゥクを呼び止め、運転手に行き先を伝えてる自分の姿。日本では見かけない建造物を眺めながら目的地であるナイトマーケットに到着する。


日本の夏祭りを思わせる賑わいに心を躍らせながら辺りを見渡す。バックパックを背負った観光客や夕食の食材を買いに来た地元民、商品を買ってもらう為に呼びかけを頑張る店主。様々な目的で訪れた人々が醸し出す独特の雰囲気が一体感を生んでいる。


人混みをかい潜って道を進むと、美味しそうな匂いを漂わせている屋台を発見する。濃い味が特徴の鶏肉と野菜の炒め物、日本米と比べると水分が少ないライスがお皿一枚に乗っかった、至ってシンプルなメニューを注文。日本円に換算すると数百円。


お腹が鳴ったのを皮切りに、スプーン片手に食事を口いっぱいに頬張る。次はどの順路で店を回ろうか。そんなことを考えていたらもう最後の一口。ご馳走様でしたとボソッと呟いて店を後にする。

そんな東南アジアの生活。想像しただけでワクワクした。慣れ親しんだ、安心感のある日常とはかけ離れた、非日常の世界。海を渡るだけでその体験が簡単に得られる。


今まで海外に「行きたい」気持ちはあった。しかし、「行きたい」という言葉の裏には「でも」「お金が」「時間が」「仕事が」など、行かない言い訳が多く含まれていた。これでは、いつまで経っても「行く」という結果を迎えることはないだろうと思った。


あれこれしたいという願望は、裏を返せば今の自分には出来ないと、自分自身に対して枷をかけている状態だ。出来ない理由を探して、しない選択肢を選んでいることに他ならない。そう思った時、今まで自分が発した「海外に行きたい」という言葉が虚言であると感じた。



そして冒頭の発言に戻る。

「11月から3ヶ月間、海外で生活します。」

お酒に酔っていたからだと思っていた胸の昂りは、翌日起きてからも依然として続いていた。海外に行く算段はついていなかったが、今までの虚言を本当にするために、画面に映る上司に、半ば自分に言い聞かせる勢いで、海外へ行く旨を報告した。ダメと言われたら行くのはやめよう、そう思っていたが、結果はあっさりだった。


「いいですね。仕事は向こうでするってことですよね?是非楽しんできてください」



初めこそ驚かれたものの、すんなり背中を押してもらえた。海外に行くことが、一気に現実味を帯びた瞬間である。


そこからは慌ただしい日々が続いた。

まず金が足りない。チケット代にバックパック代、向こうでの食費や宿泊費。言語は通じるか?移動はどうする?向こうで病気になったら?思った以上に多くの課題があることに気づき、本当に海外に行けるのか不安になった。


猶予は3ヶ月。学生時代に愛用していたsonyのα6000と単焦点レンズ、そして型落ちのGoPoroをメルカリに出品した。ただでさえ少ない交友関係も一気に減らし交際費を抑えた。週一で通っていた家系ラーメンも行くのをやめた。狂うほど好きだったサウナも控えた。


初めはゼロに等しかったお金も徐々に貯まっていき、最初の1ヶ月を向こうで過ごすことができるだけの資金を調達できた。


スカイスキャナーで安いチケットを探していると、東京からバンコクまでのLCCチケットが2万円台で販売されていた。タイ周辺はカンボジアにラオス、ベトナムなど陸路で移動できる国が多いため、何かと都合が良いと思った。迷わず旅のスタート地点をタイに決定した。



そして当日。こうして、成田空港までやってきた。


初めはハードルが高いと思って諦めていた海外旅行も、あの一言から実現にまで至った。

お金や時間、自分の能力を言い訳にして「できない理由」を探していたが、「する」と決めてからは、どうやったら実現するのか、そこに視点が移った。

初めから可能性を閉ざすのではなく、ゴールを設定してから、達成する為の条件を探すことで道が拓かれていった。


回想に耽っていると、遠くの方から搭乗アナウンスが鳴り響いた。朝9時25分発の予定だったスワンナプーム空港行きの飛行機は、予定より30分ほど遅れて出発のようだ。


これから3ヶ月の旅がスタートする。1週間ごとに住む街を変えて各所を点々とする予定だ。行き当たりばったり、成り行き任せのバックパック一人旅。これからどんな出会いをし、経験をし、成長していくのか楽しみである。


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と、帰国した後ですが、当時の記憶を元に小説風に書いてみました。最後まで読んでくださりありがとうございます。


何か踏み出そうにも踏み出せないでいる人にとって、このnoteが少しでも前進しようと思えるきっかけになってくれたら嬉しいです。

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