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「特別支援教育」は誰のためのモノか!?

「とりあえず走りだしてみる!?」

第2回目の投稿です。何を書いたらいいのか相変わらずわからないままでいますが、とりあえず…。
勤務校では、次年度から特別支援教育に関する新しい取り組みが開始されようとしている。新しい取り組みとなると、周到な準備が必要だと思う。

とある先生の「とりあえず走りだしてみないとわからないから」

もちろん、その通りである。
が、しかしである。準備とリスク管理をせずに走り出して、その場しのぎの対応をするのと、周到な準備とリスク管理、効果測定のための指導計画と評価の方法の検討などを準備してスタートさせるのとでは大きな差が出ると考える。

この「とりあえず走り出してみる」は大切だけど、今検討しているのは「教育」の話である。そう対象者がいるわけだ。それもその対象者は医薬品における治験者ではない。何らかの教育的な支援が必要と考えられる児童生徒が対象である。
児童生徒にとっての「この一瞬」は一回きり。先生にとっては来年度もあるかもしれないが。果たして「とりあえず」でいいのかと憤りを感じている。

「名前」と学校のミッション

教員になりたての頃、定年近いおじいちゃん先生に「学校はみんなが楽しいところじゃないとね!」と言われたあの場面を今でも思い出す。初任校は特別支援学校で、当時、障害児教育が「特殊教育」から「特別支援教育」への転換をしたばかりの頃であった。学校の呼び名も「養護学校」から「特別支援学校」へと変化するタイミングであった。あれから20年弱。勤務する自治体を変更し、やっと今の勤務地でも「養護学校」から「特別支援学校」へと名称が変更される。
名称の変更だけで終わらせてはならない。名前が変わるということはミッションが変わるということだ。
親がつけてくれた名前には「希望」が託されている。名前って重要だ。どう生きるかのヒントを名前で授けられているのだと思う。
「特別支援学校」のミッションは何か!?また、特別支援教育はすべての校種で行われるものである。特別支援教育視点の小学校でのミッションは?中学校では?高等学校では?
これは教員全員参加型の教育改革のはずだったのだが…。

「そんなことできる教員が実際にいるのですか?」

こういう意見をベテランの教員や管理職から聞いて、ドッと疲れがこみ上げている今夜の私なのであります。
特別支援教育は、子供たちのためのもの、保護者のためのもの、私たち教員のためのもの、共生社会の実現のためのもの…。
みんなに参加してほしい。

その舵を切っていく役割は、学校の教員にも担えると感じている。

写真はアフリカの小国で撮影した車屋の壁の写真です。
「OUR SERVICES」
私たち教員が提供するサービスってなんだっけ???
子供と社会の明るい未来を妄想して楽しめる仲間が増えますように。

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