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文化人物録92(茸本朗)

茸本朗(野食ハンター・ライター・ユーチューバー)
→1985年生まれ、早稲田大学教育学部卒業。以前は出版社の編集者だったが、現在は野食ハンターとして活動し、ブログやYouTubeなどで高い人気がある。野外の食材を採集して食べることを「野食(やしょく)」と定義し、「野食ハンター」「野食家」を肩書きに使っている。川崎市在住。

以前茸本さんが本を刊行したとき、川崎の多摩川河川敷などでお話を聞いたことがある。人がやらないことをやって目立とう、バズろうなどという魂胆の人は多いものの、茸本さんの場合は自分が目立とうということよりも、未知の野食をどんどん食べて開拓したいという極めて純粋かつ壮大なフロンティア精神がある。

こういう活動には死の危険含めリスクがつきものだが、茸本さんの場合はこれで死んだら本望、くらいに思っているのではないか。究極のフィールドワークといえるかもしれない。

*著書「野食ハンター七転八倒日記」(平凡社)について

・生まれつき食べる生き物に興味があり、小さい頃はキノコ図鑑をずっと読み、食べられる生き物や植物を探していました。高校生くらいからキノコなどいろいろ野生の植物を実際に採集しはじめました。

・大学卒業後は会社員をやっていましたが、退職後何かをしたいと思い、ブログを始めました。ウェブライターになりたいと思い、毎日記事を更新していました。その中の記事のいくつかがSNSでバズったことが大きな転機になりました。その一つがお尻から油が出る「ワックス魚」です。この記事のおかげでPVが月間100万くらいいくようになり、更新を続けていると声がかかりましたワックス魚の話から連載の話をいただき、書籍化にまで至りました。

・最初は植物に興味を持っていました。4歳の頃に初めて大人向けのキノコ図鑑を買ってもらい、虫も好きでした。小4の時には山菜図鑑を買いました。野草に興味を持ち始めたのは福岡に転居した小5の頃です。当時から野草でも食べられるものがあると考えたのですが、特にキノコは危険だということで、親からは高校に入るまで野草を食べるのが禁止と言われていました。親は何でも採ってくる子どもだと分かっていたようです。

・高校の頃は寮に入っていたのですが、途中から親が転勤で東京に戻ってしまいました。そうすると週末は1人です。何かやろうと思ったときに考えたのが野草、キノコを採ることでした。福岡には元寇の際の防塁が今も残っているのですが、そこの松林にはキノコがたくさん生えていました。キノコは危険なイメージがありましたが、ここから親は許してくれました。

・キノコに関する知識は採集が「解禁」されるまでにかなり蓄えました。東京で大学に入ると車の免許も取り、行動範囲が一気に広がりました。首都圏近辺でキノコがよく採れるのは富士山の麓や相模湾、駿河湾、三浦半島などです。身近な環境で食べられるものがあるか探すのが楽しかったです。

・ひとつ、野草などを採取する際、法律とかルールをしっかり確認することは重要だと感じました。(公共施設である)公園などは採取しても大丈夫ですが、河川敷なら河川法、森林なら森林法、さらに川の漁業権などいろいろあります。外来種については漁業権がほとんどありませんが、土地土地によって協力者を見つけることはかなり重要だと思います。

・初心者でも捕りやすい魚としては、海水性ナマズの仲間であるゴンズイです。これは毒気さえ抜けば大丈夫です。後はハゼであればOKです。野草ではハマダイコン、ノビル、ギシギシ、アカツメクサ、ヨモギなど、天ぷらにするとおいしいです。

・今自分が野食ハンターをやっていて思うのは、最初にタコやウナギ、ナマコを食べた人は相当偉いと思います。ウナギなど見た目だけ考えたら、最初は相当気持ち悪いはずです。一つ一つ食べられそうな植物を探しながら、試行錯誤を重ねてここまで来たのでしょう。食べたことがないものを代替の食材として食べると、おいしいものが結構ある。生態系の一員として、偏った食事はよくないと感じます。代替の食べ物でどうなのかをする必要があると思います。

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