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文化人物録32(清水一利)

清水一利(編集者・ライター、2015年)
→電通系のPR会社勤務ののちに編集者、ライターとして独立。スパリゾートハワイアンズで取材中に東日本大震災に被災した。もはや清水さんにとって、フラガールとは運命そのものなのだろう。

*「フラガール物語 常盤音楽舞踊学院50年史」(講談社)
・2011年3月11日、日刊ゲンダイの取材でスパリゾートハワイアンズにいた。昼のフラガールのショーを見た直後だった。夜はスパリゾートのホテルが避難所になり、私自身は13日に帰京した。東京方面のお客さんは約630人いてバス18台で東京まで帰したのですが、私がフラガール関係について詳しく調べ始めたのはそこからでした。

・当時のフラガールのリーダーが震災によって引退を延ばしたことで、きずなキャラバンが生まれた。スパリゾート自体は2011年10月に部分再開したのですが、そのあと11月に私が「フラガール3・11」という本を出した。被災地から立ち上がる中での取材だったので大変だった。ドキュメンタリー映画に合わせての刊行だったので本も注目され、今回は常盤音楽舞踊学院の50周年に合わせて出すことにしました。

・フラーガールを最初に観たのは仕事ででしたが、その後プライベートでもショーにはまった。元気になれるんです。新入生の入学式やデビューステージなども観るようになりました。本にも出てくるカレイナニ早川さんは蒼井優さんが主演した映画「フラガール」で松雪泰子さんが演じた女性のモデルになった方で、高齢なのですが何度も通って取材しました。そのほかフラガールのOG中心に取材し、全部で60人くらいには話を聞いたでしょうか。中には取材後に亡くなってしまった方もいました。認知症になってしまいご本人には話が聞けなかったケースもありました。

・映画の大ヒットもあって今でこそフラガールは人気だが、昔は嫁入り前の娘に裸踊りなんてやらせるのか、と言われていた。1988年にはメンバーが12人に減るなどして拝師の危機を乗り越えてきましたが、この時期はハワイアンズに団体客も来なくなり、舞踊学院が廃止される動きもあった。やはり復活は映画の影響が大きかったのですが、ショーを続けてきたことが大きかった。メークも衣装も昔とそれほど変わらないですが、今もステージはよくできていて面白い。

・ハワイアンズ自体、石炭からハワイに持って行った逆転の発想がまず面白い。常磐ハワイアンセンターを立ち上げた中村豊さんが邪魔だった温泉を有効活用したんです。中村さんは組織をちゃんと作り、今も施設を支えている人がいる。こういう人々にも取材した。フラガールはすごい。ショーだけでなく全国イベント、レッスンもある。彼女たちはタレントではないけれど、仏の人でもない。いったんステージを降りると磐城弁を話す子が多い。そのギャップがまたいいんですよ、素人っぽくて。

・いまハワイアンズは年間140万人が来て、ほぼリピーターです。3世代で行く人も多い。庶民相手の路線で行っていると思います。NHKが番組をやり、それが映画化にと長ったのですが、いろんな運命が重なり、ピンチを乗り越えましたね。僕にとってもフラガールはライフワークになりました。これからも彼女たちを追いかけ続けます。

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