文化人物録78(芝祐靖)
芝祐靖(作曲家・雅楽演奏家)
→1935年東京生まれ。奈良系の伶人の家に生まれ、宮内庁楽部予科、楽生科に入学。横笛、左舞、琵琶、古代歌謡などを修め、55年卒業。宮内庁楽師(総理府技官)として主に龍笛で活動。古典雅楽の演奏のほか、現代雅楽、現代邦楽の作曲・演奏を行い、雅楽廃絶曲の復興も手掛ける。84年宮内庁を退官し、横笛演奏を中心とした活動を始める。85年伶楽舎を結成し音楽監督。国立劇場の正倉院収蔵楽器復元に参加し、敦煌琵琶譜などの復興にも携わる。86年よりソロ、伶楽舎等のアンサンブルで海外公演も行い、古典・現代雅楽の紹介活動に努めた。2019年7月、83歳で死去。
僕自身は芝さんと面と向かってお話したことはなかったが、公演やCDで伶楽舎の音楽や芝さんが作曲した音楽はかなり聴いていた。芝さんは日本に残された雅楽の復興や普及に努めただけでなく、作曲家としても突出した存在だった。ただ雅楽の曲を作るのではなく、クラシックなどとの融合を図って新たな雅楽の音楽を創造する。このような作曲家は雅楽界では芝さんを置いてほかにはいなかった。雅楽は世界最古のオーケストラとも言われるが、その言葉通り、芝さんの音楽は各楽器の個性を生かしつつ、演奏者の一体感をも高めていた。代えのきかない人ではあるが、雅楽のさらなる発展のため、芝さんの思いを継ぐ人が少しでも多く現れてほしい。
*芝祐靖さんお別れの会(@サントリーホールブルーローズ、2019年8月)
(笙奏者・宮田まゆみ)先生、今日は先生のことが大好きな人が大勢集まりました。お別れの会ではありますが、お別れの会ではありません。先生は太陽であり高い山であり、深い海でありました。山頂にいるはずが、いつも山の麓まで降りて私たちを導いてくれました。先生の曲は古典雅楽の深遠な世界から子どものための雅楽まで、心底わくわくする曲ばかりでした。先生がどう教えるか、どう考えるか、私は問い続けたいと思います。私たちに素晴らしい音楽の世界を教えていただきありがとうございました。
(作曲家・細川俊夫)2013年7月、私の声明と雅楽のための曲で芝先生に中心に座っていただきました。素晴らしい笛を吹いていただきました。初演は1986年イタリアでしたが、ほとんどすべてに芝先生が関わりました。ベニス、ベルリン、トリノ、ルツェルン、韓国、ザルツブルク、東京などで公演しました。私は29歳のとき、1985年に雅楽に出会いました。国立劇場の委嘱作を書きましたが、伝統音楽を芝先生に学びました。当時私は西洋の最先端音楽に夢中になっていましたが、雅楽に衝撃を受けました。私の音楽活動はここから始まったと言えます。プネウマというのはギリシャ語で「息」を意味しますが、一息が生み出す響きで、一音でこんなにも豊かな音を生み出す。一息の後、人間の息音を聴く。自然のような響きです。芝先生の笛のプネウマの響きは今も私の中で響いています。芝先生から超自然的な響き、日本の音の本質を教えていただきました。
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