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文化人物録40(新倉瞳)

新倉瞳(チェロ奏者、2018年)
→欧州を拠点にして日本国内でも精力的に活動する、いま日本で最も有名なチェロ奏者の1人だろう。モデル、女優のような美貌から音楽的には誤解されがちだが、堤剛に師事した本流のクラシックだけでなく、東欧系ユダヤ人に伝わるクレズマー音楽の専門家でもあり、音楽の中身も濃い。ファッション関係のプロデュースなども手掛けるなど、新たな時代の演奏家像を確立しつつある。
僕はもともとクラシックだけでなくジャズや民族音楽も好きなので、新倉さんとお会いした時はかなり盛り上がって音楽の話を延々としていた。

*ジャンル超えるチェロ奏者
・クレズマー音楽は趣味ですね。毎日が発見です。ドヴォルザークに通じるところもある民族音楽ですし、根本的に音楽を感じて楽しむ感じがある。私はこれまで(クラシック一本で)無趣味でしたが、違うジャンルとの出会いで心を開かれた感じがします。そしてこの音楽に心打たれた私は、クレズマーについて自分でいろいろ調べるようになったんです。

・クレズマーを一緒に演奏する仲間は全員プロの音楽家ではありません。ベーシストは弁護士です。彼らとやると、音楽は心で奏でるものだということがよく分かる。お互いがお互いの音楽だけでなく、仲間としてリスペクトしています。クレズマーのバンドメンバーにクラシックピアノを弾く人がいたのですが、その人にクレズマー音楽のライブに誘われたのがきっかけだった。ライブに行ってまさに心打たれました。

・クレズマーはポップだが流れるような旋律が懐かしく、演奏を聴きながらいろいろ調べてしまった。作曲家マックス・ブルッフの「コル・ニドライ」というチェロと管弦楽のための作品がありますが、この曲の一節がライブで使われていたのです。クラシックにもつながる音楽なのだと感銘を受けました。またクレズマーはジプシー、チャルダーシュなど近い地域の音楽の影響もうけています。

・ジャズも実はクレズマー音楽がもとになっているのです。いずれも皆で歌ったり踊ったり楽しめる音楽です。ユダヤとつくと宗教じみた感じがありますが、私も含めてユダヤ人以外の文化も吸収しています。違う宗教でも音楽によって一体化できます。これは欧州の音楽であるクラシックをなぜ日本人がやるのかという問いにもつながります。

・私が住むスイスは移民が多く、いろんな言語を話す友人がいる。イディッシュ語も残っています。クレズマー音楽をやる人の中には、イディッシュ語を話す人の他にヘブライ語のイスラエル人もいて、ヘブライ語の民謡である「ハバ・ナギラ」を演奏する。ロシアから来たクレズマーもいます。私のような日本人は少数ですがだんだん慣れてきて、意味を理解し、感情移入しながら演奏できるようになってきましたね。

・クレズマーの「クレ」は楽器、「ズマー」は歌うことを意味します。楽器は歌う、ということです。本当にその通りだと思います。クレズマーをやっていると他のジャンルの人とつながりやすいです。クラシックはコンサートに出るとキャリアはほぼ決まってしまう。クラシック界の外の人でフィーリングが合う人を探したい。これが結局クラシックにも還元されると思う。

・私は普段からクラシックはもちろん、ジェフ・ベックのようなロック、ジャズも聴きますが、結局演奏するときは自分と音に誇りが持てるかどうかだと思います。音楽家としての感受性、この言葉は私の中でも強くあります。日本は音楽もテクが先行し、これに対して反感を覚えていたところでした。スイスに行くと私のことは皆知らないし、表現の自由があるために練習が必要になる。テクと感性、どちらも重要です。感じるものとかかわっているもの、この答え合わせをしたいところです。

・作曲家の藤倉大さんには「OSM」というチェロの曲を書いてもらいました。クレズマー音楽などを通じ、民族音楽にも興味を持ったからです。結局はアイデンティティ、日本人としての性質を持つことが重要です。昔は海外ブランドを得意げに着ていた自分がいましたが、そうではなく「何人でもない自分」なのです。

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