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文化人物録71(小林和男)

小林和男(ジャーナリスト、元NHKモスクワ支局長)
→東京外国語大学ロシア語学科卒業後にNHK入局。モスクワ、ウィーンで14年にわたり特派員や支局長を務めた国際派。1991年ソ連崩壊の報道で第40回菊池寛賞。1993年ソ連ロシアの客観報道でモスクワジャーナリスト同盟賞。NHK解説主幹も務めた。

僕はロシア関係本の著者として小林さんとお話しする機会があり、その後も気にかけていただき大変お世話になっている。ジャーナリストとしての視点や着眼点に加え、文化芸術への素養もあり、同じ道の大先輩、人生の大先輩としてとして大変勉強になる。

*ロシアの指揮者ワレリー・ゲルギエフについて
・ゲルギエフがよく言っていたのは、「芸術家は船の沈没を予知するネズミ、あるいは地震を予知するナマズのようなものだ」ということ。特にショスタコーヴィチにはそういう思いが強かった。ゲルギエフの記憶力はとんでもなく、メモなど取っていなくても日時などきっちり覚えている。私が初めて彼に会ったときのことは忘れない。すぐに朝4時頃まで飲みに行ったのだが、ゲルギエフのギョロ目で見つめられると魔法にかかりその気になる。人を射すくめるような目つきだ。彼はよく指揮をいい加減にやっていると指摘されることもあるが、14歳の頃から指揮が体に染みついているから何を言われても気にしなかったようだ。実際、彼が指揮台に立つだけで雰囲気が変わる。顔つきも変わり、オーケストラのプレイヤーも彼に期待を持とうとする。

・ゲルギエフはロシアの少数民族オセチアの出身で、ピアニストのデニス・マツーエフ、ソプラノ歌手アンナ・ネトレプコなどの才能を見いだしたのがゲルギエフだ。ロシアの教育システムは田舎出身の才能ある人たちをきちんと教育する伝統があり、ゲルギエフもまさにその一人だった。これが優れたロシア文化の土壌を生んでいるといえる。だから共産主義でも帝政でも現在でも、素晴らしい文化が途切れず続いていく。ゲルギエフと会った当時、ロシアは混沌としていて商品なども変えない状況だった。そんな政治経済の状況にもかかわらず、ロシア文化がある。

・ゲルギエフは14歳の時に父を亡くし、若くして一家の大黒柱とならざるを得なかった。ロシアには苦しいときは家族や仲間で支え合う人が多く、家族をまとめてきた経験がある。母親も尊敬していて、ゲルギエフは母がアコーディオンやバヤンを弾いていたことで音楽に興味を持った。ロシアとしても彼の才能を見逃さなかった。文化の力を知っていることがロシアの強みだと思う。彼はプーチン大統領と親しいことから音楽と政治の関係の近さをよく言われるが、むしろロシアはゲルギエフを通じてロシア社会やロシア人のメンタリティーを描きたかったのだろう。

・私はロシアでは、取材先と家族ぐるみで付き合うことが多かった。ゲルギエフともそうで、彼は私に対して音楽家は何ができるかが大事だと語る一方、企業家としての側面を強く打ち出していた。音楽家としても単なる指揮者ではなく、プロデューサーでもある。ゲルギエフが普遍的な価値観を持ち、ロシアの原動力が文化にあると認識してきたことこそがロシアの一番の宝として扱われてきたゆえんだ。

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