反体制派の攻勢は11月27日に始まった
イスラエルとヒズボラの停戦が発効した日だ。シャーム解放機構(HTS、旧ヌスラ戦線)は半年前に具体的な計画を立てていたと伝えられている。昔からの支援国トルコに対して、大規模計画を伝達、要望は「同意ではなく静観していて欲しい」というものだったと言われている。
トルコ外務省高官は、『シリア反体制派の攻勢はトルコが「黒幕」ではないし、同意を与えたわけでもない』と説明したとある。既にシリアはトルコと交渉の結果、断絶状態になっていた。シャーム解放機構は、政府軍は戦闘能力を喪失、戦闘の為の準備は出来ない状態(汚職で燃料不足など)だったようだ。
中東情勢は、ヒズボラの撤退、イランの静観、ロシアはウクライナ戦による疲弊からシリアに対する軍事援助どころではなくなっていた。「完璧な条件」が揃ったと判断して電撃的に進軍を始めた。ほぼ計画的に1週間をもって首都を陥落させたとロイターの記事は紹介している。