よそはよそうちはうちの捉え方を考える。


他人の事を目が行ってしまう・考えてしまう・過敏になってしまう僕。

とある本に「自分が思っている程、周りはあなたに興味がない」と書かれていた、それならばそもそも周りは僕の事をそんなに見ているのだろうか?と考えてみた。

今年の事で言えば、ウイルスの対応について(事実確認は置いておいて)尽力した人とお粗末な人がTVで取り上げられ、称賛されたり、攻撃を受けたりしていた、でも最近では新しい事柄に上書きされて消えていく。

上書きした事柄も、例えば芸能人不倫報道で「アイツは最低だ!」みたいなコメントや注目も、夏頃には新しい事柄が上書きされて消えていくんだろう。

そうなると世間の関心や注目なんて、そんなにもたない、皆日々の生活が目の前に押し寄せてくるからだ。

そうなると周りの事を気にしているのは、周りのことが気になると、僕が抱いていたものが鏡に反射するみたいに、自分自身に帰ってきたんだと感じた。

周りに目や気持ちか行くときは、自分自身の事以外に気持ちが行く事つまり、自分自身に注目していない事、自分自身の事を他人のような気持ちで見ていること、自分の中で別れている事。

このままじゃあ「僕村で内乱が起こるのかもしれない」と感じたら、寒気がした。

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