※チョット重めな話をします。 僕の両親は平均寿命より低い年齢で、天国に行った(70歳前後です) つまり僕は平均寿命より低い寿命の遺伝子を、持っていることになる。 それを踏まえたら、両親より多少長生きすることが息子の勤めとしても、寿命は75歳前後かな? 健康的に動ける年齢を70歳前後だとしても、今の僕の年齢43歳から差し引いて、残り27年位になる……………折り返し地点どころの騒ぎではない、終盤に差し掛かりつつある(汗) 有り難いことに健康に生きている内に、やりたい事を見つけ
8月のバタバタが終わり、今までを色々と思い返していた。 これまで(2年前から)は日々の忙しさやストレスに振り回されて、日々動くことで精一杯だったと思う。 そしてふと落ち着いたときに、思った事は「アレ?僕って最近、愛する気持ちを使っていないんじゃない!??」だ。 家族への愛はモチロンあるのだが、天国の両親に届けるわけにもいかない(笑) 愛情と好きがゴッチャになっていた時期もあったので、相手に都合よく利用されて心が辛いときもあった(苦笑) ここらでようやく気づく「僕自身
自分自身への誕生日プレゼントを何にしようかな?と考えた時に、自分の今の状況を考えると、とある答えが出た「健康を土台とする安心安全をプレゼントする」だ。 というわけで「内視鏡検査」を受けます! 42歳(「しに」とも読める)だし、後厄だし、去年からデカイ厄災あるし、命について考える事があった。 「命」って一番大事、命あっての物種というのは百も承知だ、でも、その「命」過保護に守りすぎるあまりに、大人しくしていろ!何もするな!は違う気がする。 命は「守る」というより「使う」も
こんな時(酔)にしか語れない事なので、独り言を言います。 約3年前裏切られたような、ツライ事があった。 と言っても、相手側が100%悪いわけではなく、僕の思い込みや期待が絡み合ってのツライ事なのです😅 詳細は省くとして、そういう事があった時に、全ての人ではないという前提で、人は「利用価値のある人間」だから接する事もある、と気付かされた。 僕は、人と接する時に一緒に飲んだり食べたりすると「仲間意識」が湧いてしまうので、相手が「利用価値のある人だから接していた」という事実
ゴリ楽描き 夏休み ですね! 子供はワクワク! 大人はあまりカモしれませんが、僕は夏休みの雰囲気がとても好きです😄 楽しい思い出、今と昔、変わらず楽しみたいゴリラです😆 ここから真面目な独り言です。 かなり長いので読むも読まないは自由です😊 「絵と僕」 今にして思えば僕にとって「絵」って家族のような存在だと思う。 その時の僕の心持ちがどんな状態であれ、僕のそばに居続けてくれた。 子供の時に夢中で描いて、比べて落ち込んで離れていても、物言わずそばに居続けて、とある
「少しお話」 今日は鯖寿司 を食べました! かなり好物で、天国の母の得意料理でした😄 今更ながらに「レシピを聞いとけばよかった」と思いますね。 寂しい悲しいとか言う話ではなくて、「後悔するなら、しとけばよかった」 という話です。 この「後悔 」というのが曲者で、こちらが油断している時に不意に襲ってきて、キッカケさえあれば何回でも襲ってきます! 加えて「後から取り返す事ができる後悔」ならいいけど、大概は取り返すことが出来にくいです。 しかも当人は後悔になるかもしれ
とある人に謝られた。 その時にふと思っちゃった。 「謝る」ってなんだろう? 漢字の成り立ちとしては「言」は口を意味し、「射」は張りつめた弓わ離す様を表している。 つまり「言葉によって負担や緊張を緩める」と言う意味になる。 そこで「謝る」事そのものについて考えちゃった。 「謝る」って深くて広くて難しいね😅 必要だけど。 謝るとその時の嫌な気持ちを思い出す。 「謝る」って深くて広くて難しいね😅 必要だけど、嫌なもの。 謝る際の状況によって謝る人の気持ちを考えちゃう「謝っ
ある日You Tubeで「色弱の方に色盲メガネをプレゼントして、初めての色のある世界に感動し、家族全員涙を流す。」というような内容の動画を見た。 それを見た時に僕の心に、感じるものがあった。 そう言えば僕は「悲しみの涙」を、心の中の記憶を辿れば多く流してきた。 「永遠の別れ」「痛み」「思い通りに行かない」等の辛さが、僕に悲しみの涙を流させた。 ある時から生き辛さや悲しみの辛さを、愛や一所懸命や好きや楽しさを大切にして「心のままに生きたい」と願い、七転び八起きしてき
物事を解決するにあたり、意地なのか無知なのか凝り固まった手段で解決しようとする。 これではスムーズにいかない… 僕が何者にも負けない、強い武器と卓越した技術でもあれば、その一個の手段で戦えばいい。 世の中は広い! 僕が解決したいと思っている事に合う、僕の知らない武器や技術があるはずだ。 使えばいい!目指す所がわかってるなら😄
このタイトルにある様に、僕は「チョロい」(笑)「チョロくて薄い」(笑)と感じた。 自分自身と向き合ったり、過去を振り返ったりしたからなのかもしれない。 【チョロい・薄いが故の勘違い】 チョロいからちょっとの接触で情が移る、更に相手にそれを求める、反応がない人間を薄情と嫌悪する……… そもそもが間違い! みんな自分で手一杯なのに、愛する人以外にまで意識は回らない。 【チョロさ・薄さの弊害】 人・物・事への関わり方への全体的な薄さが、思いとの大きなズレを生む。 「
お絵描きをしてる 究極「僕を幸せにする為に」 絵とは評価の難しいジャンルです、算数とかみたいな正解!ってのが曖昧だから… 裏を返せば「評価を気にする必要がない」って事です。 思いのままにありのままに! ※絵の全景を見たい人は、Instagramのgorilakugakiまで🎵
自分自身のこれまでを振り返ると、ズーンと落ち込んだ。 でもこれは必要な落ち込みです。 落ち込むけど、僕自身の「性格」や親の躾なども含めた「環境」の影響を受けて、それを選んだ?選ばざるを得なかった?だから自分自身を卑下はしない。 「僕はこんなやつだ、このままの僕でオッケイ!」と受け入れた上で、なりたい僕に欲しいものに、身体と心を向かわせたい。 これまで僕がしてきたものの大部分を切り離したり、制限したりする、いやしてみせる! 【勇気をもった行動】に【学んだ知識】を混ぜて
お絵描きはなるべく毎日! それをすり込む。 自分自身の人生のハッピーの為に、できる事をする。 当たり前の事だけど、難しい。 今更だけど自分がグラつく、そこをドシンとさせる為にも「柱」を作っていこう! ※絵の全景を見たい人は「#gorilakugaki」で投稿してます(笑)
【デジタル楽描き100枚チャレンジ!】 理由は多々ある 「自分自身への発奮材料」「慣れる・使いこなす・自分の描きたいものを形にする」「100枚後に僕の描く絵の能力を確かめる」などなどだ! 未来に向けて今動く! また100枚後に何かが見えてくればいいけどね🎵
自分自身を振り返ったり、向き合ったりした1年。 「ハッピーエンドに向かう為に、【生き方】を変える!」 という結論に至った。 そこで今回は絵について考えた。 思っていると言うのとは、好きなのだ。 今持っている能力たちと比較しても、得意な方なのだ。 周りを意識しすぎて、重荷になってしまった。 だからお絵描きを、「周りを気にしない活動」にすればいい。 【歯磨き】のように。 歯磨きは周りを気にせず毎日している、それこそ無意識なほどに。 歯磨きはやらないと、気持ち悪
母親の死から感じた寂しさや孤独感などを、何とかしようと「Yさん」の勧めで始めたこの「note」も今日で1年を達成しました。 はじめはなんの目的もなく、ただその時の僕をつらつらと書いていたのですが、その中で見えてきたものがありました。 「自分自身の事に色々と気がついた」です。 自分自身を意識して見る・気持ちを意識する事で、自分自身の動きを引いて見る事が少し出来た。 なぜこんなに面白くないと自分自身で感じているのに、今までそのままで平気のフリをしていたり、あさっての方向の