もっと自由でよかった
毎年4月に入るのは緊張するけど、今年は特にしなかった。ずっと部屋の片付けをしてて、いつのまにかああ、4月1日だって。
久々に授業を受けにいく日々が始まるわけだけど、自然体で4月を迎えられたのは良かったと思う。
先日団体の引き継ぎがあったわけだけど、そこで気づいて愕然としたことがある。え、もっと自由にやってよかったということだった。
過去の活動を調べていくうちに、今とは全然違う自由度で楽しそうに活動していたのが窺い知れて、
「真面目」って「楽しくない」ってことじゃないのを忘れていた。何回でも履き違えてしまう。
そしてもうとっくにコロナ禍は終わっているのに、まだ自分の中に残り滓みたいなのがあったことに気づいた。
あの頃は来場者にビラを配るのも、声掛けをするのもダメだったから、SNSで今から新歓やります〜お菓子食べよう〜みたいな緩さが信じられなかった。ガッチガチにコロナ時代の方針しか考えられなくて、それ以外の方法があることを考えもしなかった。
そして何かに頼るのも下手になったし、分かりやすい方法でしか分かりにくい感情を計れなくなった。
私は軸があるようでないし、死ぬほど思い込みが激しいので決めつけも激しい。白黒以外にグレーで済ませとく、くらいの気持ちでいる大切さを知った。
何勝手にこれもやっちゃいけない、ああしちゃいけない、こうやらなきゃいけないって思ってたんだろう?去年は針の穴ほども心の余裕がなくて、視野狭すぎたんだなあとしみじみと思った。
そして自分にその資格はない、と区切りをつけてしまうのも勿体無いなあと改めて思った。やりがち。
受験期から見てる手羽さんの記事。
去年の入学式の記事も見てみたけど、格段に盛り上がってる感じがして、自分の時と比べると羨ましい限り。
雨で、教室で入学式の中継を見てて、何となくインターネットで繋がってて、みんなマスクしてて、あの「罹ったら終わり」のキツい緊張感。
少なくとも私にとっては、コロナ禍3年間の世相、緊張感は影響デカすぎた。なんかずっと緊張してた。
頭ガチガチになって頭でっかちだった。いつのまにか大学生活は苦しんで頑張るものだった。それでうまくいくわけがなかった。
だから今年は私にとって「解放の春」で、1番庭の花が綺麗に見えた。残り2年、苦しんで頑張りたくないと思った新年度でした。
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