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複業スタートアップを立ち上げて~2019年を振り返るの巻~

こんにちは、いわあゆ(@iwa_ayu)です。
豚汁エバンジェリストを名乗りTONJIRU STANDという屋号を掲げて世界に向けて発信しています。本noteはその世界進出に向けプロジェクトメンバーとともに歩む変遷レポートとなります。

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メンバーを召喚し、プロジェクトを立ち上げ、早いものであっという間に6か月がたちました。

当初は想像のつかないことがたくさん起きた濃厚な時間でした。
2019年もそろそろ終わるこのタイミング、来年に向けての振り返りをnoteにしたためたいと思います。

ひとことで言うと、外に出せる成果物は何もありません(苦笑
ろくに事業経験もないド素人ながらも、半年もがいて、ようやくスタートラインが見えたかも、という雑感です。

来年の事業や自分をはじめチームメンバーへの布石として、また、せめてこのもがいた奮闘記が、誰かの気づきや勇気になればとその想いでnoteにしたためようと思います。

ひと足先に発足時から関わってくれているさだひが濃密な振り返りnoteを上げてくれています。メンバーが見てきた生々しい視点と、わたしがやってきたことのギャップなんかも感じて読んでいただけたらと思います。

なるべく端的にまとめたいと思いつつ、想いが強くて長文になってしまいました。あらかじめお詫びします。

またこれは「複業スタートアップのすべてがこうである」というには極端な事例なので、へー、こういうパターンもあるのだな、という程度に留めてご覧いただけたらと思います。

0.準備期間~エバンジェリスト普及活動~

2019年はじめのこと。
何者かになりたかった私。自分を強制的にコンフォートゾーンから飛び出させ、外の刺激を受けて、何者かになるヒントを探ろうと思っていました。

1月、Nサロンに入会し、1/31のキックオフのこと。
「なんでも好きなように書いていいですよ」と最初にネームカードが渡されました。そのとき、自分のキーワードに、種だけバラまいたのでした。

私が書いたキーワード、そこに「豚汁」がありました。

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Nサロンに行く前から、すでにTONJIRUSTANDという構想がありましたが、チャレンジ半ばにして本業が忙しくなり、自然とフェードアウトしたものの、いつかこれをどこかで形にしてみたいという思いが残っていたこと、その話が何か話題のキッカケになればな、と本当になんとなく書いたもので…

この時点で、私はここで豚汁の事業をしようとは一ミリも思ってませんでした。

Nサロン1期には複数のゼミがあり、その中でチャーリーさん率いる「ビジネスモデルキャンプ(以降ビジモ)」というものがありました。

5~6人のチームに分かれて、ビジネスモデル図解を完成させるというミッションを達成するゼミだったのですが、運営側からのルールで、各人、何かキャッチ―な「あだ名」を決めて呼び合おうという話から、私は満場一致で「豚汁エバンジェリスト」という肩書きが愛称となりました。

ここからNサロン内で、自分の存在=豚汁の人というブランディングが浸透し始めます。
ありがたいことに、ビジモのチームのメンター「ウォーリーさん」は、ビジモのなかでも飲み会隊長という役割があり、彼の声がけでビジモの懇親会で豚汁を提供させてもらえることになりました。
ウォーリーさんは私の初舞台を用意してくれたのです。

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普通に飲んでる周りからすると、突然キッチンの中で調理を始めるNサロン生が居る。ビジモの運営メンバーも楽しそうに話しかけてくれる。

チームが違う人から「なんで豚汁なんですか?」という話題がふられ、そこで色々とあることないこと話していくうちに、自然とその場が壁打ち場になっていきました。

ふと気がつくと、こんだけ食いつかれるってことは、豚汁はありかもしれんと、自分の中で勝手にむくむくと膨らんでいきました。

私はその日「いつか豚汁御殿を立てたい」とまで公言していました。
ちなみにこれは今でも野望の1つとして持ち続けています(笑)

1.豚汁エバンジェリストとしての公式ステージとKatyとの出会い

Nサロンがそろそろ終わりそう、というタイミング。
ビジモ懇親会での豚汁のうわさが耳に入ったのか、コミュニティマネージャーの水Pさんから、ちらほらと「いわあゆさんの豚汁が飲んでみたい」と言ってもらってました。
そのタイミングはすぐにやってきます。3か月を経て1期生修了のタイミングに出してほしいという依頼が来ます。

オーダーは奇跡の「80人前」
今でも息をのむくらいのボリューム…。
わたしは料理人経験もない、ただの、しがないサラリーマンです。
これはとても夜なべで出来るレベルじゃないなと、本業を休んで臨んだのでした。

現地調理で提供するとはいえ、80人前の仕込みは事前にやって持っていかねばなりません。こうなると、運搬という大きなハードルがある。
搬入搬出は容易じゃありません。そこで現れた救世主がその後プロジェクト発足のきっかけを作るKatyの登場です。

いわゆるお節介おかん(誉め言葉)のKaty。
「いわあゆ大丈夫?手伝うよ?車出すよ?何でも言って!遠慮しないで!」と、こちらが頼んでもないのにアレコレお世話しようと歩み寄ってきてくれました。

わたしは元々のあまり甘え上手じゃなく、自分ひとりで抱えがちで、かつ一人でだいたい解決してきてしまった過去があるので、誰かに頼るだなんて考えてもみなかったのですが、ありがたい提案と「そういうときは、おかーさんに頼って!」というKatyの気質に惹かれて運搬をお願いすることに。

慣れない中での仕込みは壮絶でした。1日中立ちっぱなし、刻々と迫る時間との戦いに必死で1分1秒でも惜しいとはこのことかと必死でした。
それでもなんとか下ごしらえが完了し、迎えに来てくれた神Katyの車に詰め込みいざ会場へ。
現地でもテキパキとサポートをしてくれたKaty。その日は2人ユニットみたいな感じで、多くの人に豚汁を提供することが出来ました。

卒業生たちも、「これが噂の豚汁!待ってました」と集まってくれ、みんなが嬉しそうに食べてくれたのは鮮明に残っています。
日経やPeace of cakeの皆さまにも「これが豚汁エバンジェリストか」と認知していただけたのは本当にありがたい機会でした。

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2.TONJIRU PROJECT始動

修了式を終え、あしたのジョーのように燃え尽きたGWがすぎ、Katyからは「いわあゆさん、豚汁どーすんの。Nサロンの場はチャンスだ。あなたはこれをやるべきだ。私も一緒にやるよ、作戦会議しよう」と言われました。

サラリーマンの傍ら、複業「カラダメンテキッチン」という発酵ワークショップの講師をやっていた私の生徒さんでもあるKatyと、その当時ヒカリエで催されていた小倉ヒラクさんの展示と発酵デパートに訪れ、ネクストアクションをどうするか、ランチを食べながら話をしていくうちに、私の中の使命感が芽生えました。

今具体的な構想プランはないけども、何か形に出来ることをゴールに、プロジェクト化して動いてみる、そして動きながら考えていくというのは自分の性分に合っているな、やってみようという気持ちになりました。

その日Katyからゴレンジャー(自分たちにはない能力を他のスペシャリストを巻き込むことで補填する)という提案も受け、周囲にどんなスペシャリストが居るかは分からないけど、仲間の召喚も含めて走り出そうと決めたのでした。

この後起こるチーム爆誕についてのnoteは以下をご参照ください

3.いきなり雲行き危うい”暗黒時代”の突入

チームメンバーのイエローから「いわあゆ暗黒時代だね」とイジられる7月~8月の夏のことです。
発足して1ヶ月も経たないうちに、私の中に違和感が芽生えます。

理想と現実のギャップが大きく、思うようなプロジェクト推進が出来なかったことへの違和感とそれを解消できないことへのジレンマに葛藤していました。

事業として本気で取り組みたい私と、チームメンバーの温度感(所属意識)のギャップ。
(後々、周囲から「仲間と楽しそうな部活に見える」と言われる所以だと思っています。)

「複業スタートアップ」とキャッチ―なフレーズを称していますが、中身はいわゆる「全員複業素人集団」です。

ゼロからの事業立ち上げ~グロースの成功経験者が居ないため、「こうあるべき」のセオリーを持ち合わせてない中で、いきなり自考自走のチームを目指してもうまくいくはずがないのですが、当時の自分はそれに気がついていませんでした。

私がメンバーを召喚してやりたかったことは、「事業としての可能性を探り、それを実現すること」でした。1人では思いつかないことや成し遂げられないことを、仲間とやることで実現したい。

「豚汁」というキーワードしかないところから、具体的な事業構想を練ることも仲間とやりたかったのでした。

私の理想としていたチームの姿は、こちらの素晴らしい記事をご覧ください。

わたしが指示を出さなくても個々人が自分のミッション(役割・使命)を自覚し、オーナーシップを持って適宜周囲を巻き込んで推進していく。足りてないことがあれば、メンバーからアラートが上がってきて、取りこぼすことなく、全方位網羅出来ている状況。結果、プロジェクト全体が活況しているイメージを描いていました。

が、現実は上の記事のようにはいきませんでした。

全員複業メンバー、忙しいのは皆同じで、みんな、TONJIRUSTANDのために、時間を割き、前向きに、真剣に取り組んでいたのは事実です。

では、実際に何が起こっていたか。

複業スタートアップ素人集団の陥った沼

・いきなりディティールから入る(全体戦略がなく、戦術から話し始める)
・本質を追求していない(なぜやるのか、それをやるとどうなるのかが言語化できていない)
・結果、本質的な議論が出来ない(本質論の重要性が伝わらない)

個別の楽しそうなアイディアが散らかり、それらを片づけていくことに集中してしまい、枝葉から幹に戻そうと必死になるも、一度散らばってしまったものを戻すのは、正直容易じゃありません。

当時「せっかくやる気になってんのに、何を言ってもいわあゆに否定される」という風に感じたメンバーもいただろうなと思います。

私は、否定したかったのではなく、本質から話がしたかった。
自分の違和感を正直に言えずにいました。
うまく伝えられる自信もなく、何を言われても曲げない信念を持って、ぶつかる勇気がありませんでした。
複業ゆえ、時間の捻出が困難なメンバーたち全員を集め、本当は大事なことを、大事なことだと理解してもらうための機会を作るのを、どこかで諦めていたのかもしれません。

プロジェクト管理のために準備したtrelloは、オーナー不在のままタスクだけが残り、時間切れをむかえ、残タスクが山積みになっていく、、、そんな状況でした。誰が気にするわけでも拾うわけでもなく、なんとなく忘れ去られていました。

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4.ひとりで動く。個別アプローチで解を探る

わたし自身本業をやりながら、志向性もスキルもリテラシーも経験値もバラバラの5人をまとめて動かす度量も覚悟も足りてなかったため、メンバーの理解や意識を1つにまとめることから逃げ、ひとりで動き始めます。

(サラリーマン歴10年以上、会社の中で、スペシャリストとして社内フリーランス的に勤めてきた自分ゆえ、チームを率いるとはどういうことか、どうすれば良いのか、を経験して来なかったことも大きかったかなと思います。)

これが後々チームの空気を悪くし、亀裂が走る原因となります。
下記のnoteにまとめています。

一方、単独で判断して行動できるようになると、話は早いし色んな引き合いも舞い込んできます。
仮想店舗として発信ばかりしていても、、という思いもあったので、話に乗っかり、実店舗の運営をしてみることになります。


結果的に、この決断も「本質的」ではありませんでしたが、歩みを止めるのが怖かったし止めたくなかった。
何かやることで自分を保とうと思っていたのかもしれません。

「本質的ではない」とはいえ、この取り組みによって得られたものは非常にたくさんありました。このオリタ食堂をはじめ、のちに「スナックニューショーイン」や「Snack bar flat」「結城市プロジェクト」での提供の機会を頂けることになります。

実店舗営業で得たこと

・食べてくれた人=かけがえのないトンスタのファン
・ファンからの強い発信による波及効果
・自分たちの発信のネタ
・食べてない人まで豚汁が気になる存在になる
・「場」を持つことの価値実感

また、この時、チームとの関わりを無くしたわけではありません。
諦めて逃げたい気持ちの一方で、再生手段がないものかも模索していました。チームで唯一スタートアップ経験者のイエローには、要所要所で助けてもらいます。

5.チーム再始動。ゴール(成果物)を意識するようになる。

一度はバラバラになりかけたものの、個別で話してお互いの想いが一致するならばまた再生を試みてみる。
このタイミングに、なんと心強い仲間が1人増えることにもなります。

少しずつではありますが、このころから、何を目指すのかということが語られるようになり、チームとしての目指すゴールや個々人のミッションをKGIKPIとして語られるようになっていきます。

散らかっているものを再整理するというか‥
とりあえず動いてしまったものに対して大義名分を付けるというか‥(それって何のためにやってるのかを定義する)

メンバー揃えて合議する時間がほとんど取れない我々は、ひとつひとつを掘り下げていく時間がもったいない!ので、暫定的なものも含めて、まずは年内走ってみる、のはどうですか?というピンクのひと声で、10のKPI項目を頼りに、走り出したのでした。

引き続き私は、実店舗での飲食運営を全力で行いつつ、仲間を作るためのイベントの実行に向けてガシガシと走る。

実は7月に本業で昇進し、8月後半から稼働がキャパオーバーを超えるほどヘビーな状況でミッションタスクが山積みになっていきましたが、決して手は抜かない性分ゆえ、全身全霊を込めて走り続けていました。

6.熱量の高い声が波及し、広がっていく

がむしゃらに走り続けて、実施してきた間借り店舗営業。

「それって何のためにやってるんですか?」の本質に対する明確な解を持ちえないまま反射的に動いていた部分はあれど、動いただけの結果がちゃんと帰ってきたのはかけがえのない財産です。

豚汁に興味がなかった人が、興味を持ってくれたり、まだ食べたこともないのに、TONJIRUSTANDのことを考えてくれる人が出てきたり…

初対面の人から「豚汁!noteで見ました!あの世界の~って書いてる人ですよね?」とか「Twitterで見てました!」という声をいただくことが多方面で増えてきました。

7.本質に立ち返り、ようやく自分たちのミッションバリューを見つめ直す。

さてようやく締めまで来ました。長かった。

年内には事業の算段を付けておきたかったにも関わらず、その兆候すら見えない状況の危機感を覚えた10月…。

始動して以来、そのほとんどをチームビルディングの苦難に捧げてしまった自分の至らなさに飽きれながらも、藁をもつかむ思いで実施したメンタリングやアイデアソンが、迷走した私の目を覚ましてくれました。


皆さん大変お忙しいにもかかわらず、いやな顔一つせず時間を割いて話を聞いてくれました。そして、こう言ってくれました。

「まず、お前がやりたいことはなんなんだ」

チームをどうしよう、とか、メンバーがどうとかいう前に、お前がどうなんだ、という事です。私は、勝手に周りに振り回されて、自分を見失っていたのかもしれません。

アイデアソンの参加者の中から、帰り際にこう言われました。

「あなたが担がれる覚悟を持つことだよ。みんな(仲間)担ぎたがってるんだ。」

言い換えれば、”創業者として、ビジョナリーであれ”ということだと捉えています。誰が何と言おうと、自分だけは信じているその先の未来を見つめ続ける強い想い。

世界の経営者が見ている景色は違う、そんなことを学んだことがフラッシュバックしています。

仲間と、しっかりとビジネス性を捉えて構想を練り直すところからやりたかった私。
メンバーからは「どんな事業をどうしていきたいのか、そこで何をしてほしいのか教えて」と道しるべを求めらている状況のゆがみ。
これが、この半年間を迷走させてしまった大きな原因だったなと思います。

だいぶ遠回りはしてしまいましたが、結果的に仲間と動いたことで、「自分がやりたいことはなんなのか」「それはなぜやるのか、なんのためにやるのか」の解像度が高まったのも事実です。

動いていなかったら導けなかったことも、きっとたくさんあります。
すごく遠回りはしたけど、決して無駄ではなかったこの半年間。


相変わらず「助けようとしてくれる人」や「一緒にやろうと手を差し伸べてくれる人」が私のもとに集まってきます。
例えば、つい最近では、地域おこしの一環で豚汁を選んでくれた方もいました。

このように、豚汁には不思議な魅力があり、まだまだきっとこういった嬉しいお声がけをいただくことはあるかと思います。
ですが、まずは、いま自分がやるべきことに注力しようと思います。

いま私がまずすべきことは、ミッション・ビジョン・バリューの策定と、
やることを極力シンプルにすること、です。

自分がすることが明確になり、かつ判断軸の解像度が高まっている今、私の年明けは明るい兆ししかありません。

来年の今頃、どんなnoteを書いているのか想像もつきませんが、今よりもきっと、もっと、晴れやかな顔で、素敵な報告が書けていることと思います。

TONJIRUSTANDは、ただの飲食店ではありません。
それが、どんな場所なのか。

また次のご報告を楽しみに待っていてください。
こんな長文、最後までありがとうございました。

本noteには収めきれなかったプロジェクトの歴史はこちらのマガジンにあります。

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TONJIRU STAND|豚汁複業スタートアップ (@tonjiru_stand) | TwitterThe latest Tweets from TONJIRU STAND|豚汁複業スタートアップ (@tonjiru_sttwitter.com

また来年も、どうぞ宜しくお願い致します。
引き続き、応援宜しくお願い致します!

2019年12月30日 いわあゆ

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いわあゆ@TEllASU合同会社代表 | 東京沼津発 エグゼクティブコーチング|組織開発チームコーチ
ありがとうございます。日ごろお世話になっている周りの人たちへの恩返しのために使わせていただきます^^