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【体験記】妊娠→流産→胎盤ポリープ→妊娠・出産

このnoteの記事では『胎盤ポリープ』の経験についてまとめています。

最近では、ちょっとした疑問などはインターネットで検索すると、専門家の方の解説から自分に近い境遇の方の体験や、色々な方の考えや意見も知ることができる時代です。
身近な人には訊き辛い事も、検索するとさまざまな情報を探し出すことができます。…とてもありがたいツールですね。
特に、妊娠・出産に関する情報は、人によって体質や環境があって、表面上ではわからない悩みや価値観・考えもあり、尋ね難い内容です。

そんな中、私が経験した「胎盤ポリープ」は症例自体も多くなく、WEBでも体験や経過を公開されている方は少なく感じました。

私の経験からお伝えしますと「胎盤ポリープ」を発症しても、UAEでの治療を経て治癒後に妊娠・出産することは可能でした。

その人それぞれ経過や体質・環境・感じ方の違いがあるかと思いますが、少しでも悩んでいらっしゃる方にお役に立つことがあればと思い記します。
※ あくまで経験の一つとして参考の判断をしてください。
具体的な治療に関しては担当の医師・専門家に納得いくまでお尋ねしてみてください。
きっと最善を尽くしてくださると思います。
もし万が一そう感じられないときは、セカンドオピニオン等相談先を増やし自分が納得の行くように行動されると後悔がないのではないかと思います。


はじめに

2023年11月。
紆余曲折ある中でしたが、結果的に胎盤ポリープの完治後、男児を授かり無事に出産することができました。

出産まで、2022年の妊娠から同一の病院でお世話になりました。
私がお世話になっている病院は総合病院です。
妊娠以前は、ほぼ風邪をひくなどもなく病院には健康診断以外は殆ど掛からない状況が続いており、病院通いはどれくらいぶりか…というくらいでした。
総合病院を選んだ理由は、万が一の際には専門の科との連携がスムーズなのではないか、という考えがあったためです。
どんな環境を選択するかは個人個人大事にしたいポイントがあると思いますので、産院・病院の連携が取れているようでしたら良いのではないかと思います。

また夫婦間で妊娠・出産に関して何かが起こった際の話し合いを事前にしていたのですが、夫としては「何かがあった際は母体を優先する」という意思表示を受け、私は合意していました。

2022年に17wで流産した際は、突然のことでとてもショックでした。
漫画「コウノトリ」やその他、妊娠・出産にまつわる情報は目にしていましたので、妊娠・出産が想定通りに行かないこと、命が掛かったことであることは頭では知っていましたけれど、「知っている」と「経験する」ことの大きな違いを体感しました。

「知らない人」「知っているだけの人」「実際体験した人」の考え・発言の深さ・重さも改めて体感しました。
自分本位の考えでしか発言・行動できない人について距離を取り、線引きをしました。
一方でそれまで同じ体験をしたことがあるかなど、聞いたことはなかったですが、自分の体験を話してくださった方も少なくありません。
病院でもグリーフケアをしてくださったり、周りにいる人たちのお陰で自分を責めるといったことを経験することなく徐々に回復することができました。

しかしながら、胎盤ポリープが完治するまでも色々あり、次の妊娠に前向きになれなくなりました。
治療の際、大量出血への対処・胎盤ポリープの治療でのUAE(子宮動脈塞栓術)の影響でもしかしたら妊娠しにくくなる可能性があることも説明を受けていましたので、自身の子供を授かることはないのかも知れないと覚悟もしていました。
夫婦二人だけで生きていく選択肢も現実的に考える中、思いがけず子供を授かりますが、最後まで何が起こるかわからないから、と先のことは期待せず、今できる事を淡々と後悔しないようする、という過ごし方をしていました。

経緯

出産までに辿った経緯は下記を参照ください。

〜2022年〜
 3月中旬 妊娠判明
 7月頭     17wで流産
 7月中旬 流産からおよそ2週間で外出中に大出血
     緊急でUAE(子宮動脈塞栓術)を受ける(出血多量で輸血も)
 7月末   hCG値が下がらないなど、経過が良くなく2度目のUAE
     再手術後もhCG値下がらず抗がん剤注射開始
 8月中旬  退院 通院にて経過観察
12月中旬  胎盤ポリープ完治

〜2023年〜
3月下旬 妊娠判明
8月下旬 切迫早産で入院
9月末  退院
11月下旬 妊娠高血圧にて誘発分娩にて出産

流産・大量出血

2022年妊娠をした際は、妊娠が確定した初期より、出血と血の塊の排出が続くなど、何かと心配な点が多く、健診以外にも病院に頻繁にかかっていました。
流産直前には出血が更に増え、腹痛も出ていました。
流産前日の夜、強い腹痛が一定間隔で続き(後に振り返ると陣痛です)夫の判断で病院にかかりそのまま入院となります。
その夜は診察・血液検査を受け、陣痛を治める点滴を投与され休むこととなりました。
翌朝、おそらく絨毛膜羊膜炎に侵されているとの診断となり、血液検査の結果、白血球の数値が高く高熱も出ており(自分では全く気がついていませんでした)妊娠の継続は不可能とのこと、流産となりました。
(後の胎盤の検査にて絨毛膜羊膜炎と確定しました)

この時、なかなか出血が止まらず、大量出血となりました。
処置に時間はかかったものの、輸血までには至りませんでした。
この後、5日間の入院を経て、退院します。

退院後は夫と共に空に帰ってしまったお子ちゃまの死亡届やお葬式の段取りをし、病院に迎えに行き、荼毘に付しました。
手のひらに収まってしまうくらいに小さな体だったので、全て灰になってしまうものかと思っていましたが、大腿骨か…真っ白で綺麗なお骨が残っていました。(後々知りますが、小さな体に合わせて丁寧に対処してくださったのでしょう)
火葬場の職員さんが灰も全て丁寧に小さな骨壷に収めてくださいました。

大量出血・胎盤ポリープの診断

退院後およそ2週間経った頃、経過も安定していたので、入院に伴い預けていたペットに会いに夫の運転で、車で30分ほどの場所に外出します。
その際、急に流れるものを感じてトイレに入ったところ、流れるように出血していることを確認。
病院に連絡し、夫の運転でそのまま向かいました。

病院に到着し、診察前にトイレに行かせてもらうのですが、トイレから出た直後、迎えに持ってきてくれた車椅子に座らせてもらうのですが、座ってすぐ急に気分が悪くなり、意識を失います。
その間に診察台に運ばれ、意識を取り戻し、診察を受け輸血・点滴等の処置が開始、UAEを受けることになります。
UAEで血流を遮断する素材は、時間の経過で溶けてなくなるが、血流を遮断することによって、絶対ではないが、妊孕性が低下する可能性を伝えられました。
(ここで私が考えたのは、死ねば全ての可能性がゼロになるが、妊孕性の低下は可能性の話であって絶対ではない、前向きに捉えようということでした)

※ UAEの処置については、担当医師の説明や専門家の記事が正確です。
   以下は、記憶している簡単な流れと感想を参考までに記します。

UAEは、鼠蹊部の動脈からカテーテルを進め、出血に関わる子宮の動脈に詰め物をして出血を止めます。
まずは全体の把握のため造影剤の点滴・レントゲンを撮られ、その後UAEの処置が始まります。
UAEでは止血の際、造影剤で確認しながら処置を進めますが、造影剤を出した際、温かさを感じるので、処置の場所がよくわかりました。
なお、UAEはカテーテルを侵入させる鼠蹊部の動脈付近のみ局所麻酔するだけです。
ちょっとした違和感などは感じることはありましたが、痛みを感じることはありませんでした。
処置中もずっと輸血は受けているものの、状態は落ち着いており、処置中のレントゲンの映像も見られる位置にあったので、ずっと見ていました。
処置が終わると、鼠蹊部のカテーテル挿入部分の傷を圧迫して止血。
その後病室に移され、6時間安静にします。
安静解除後は歩行・お風呂などもOKになり、安静時は少し辛いですが安静の時間を過ぎると楽になります。
(大出血の影響からか、暫くの期間、血管が細く血液もなかなか取りづらい状況が続くことになります)

落ち着いたところで、MRI・血液検査の結果を踏まえ、大出血の原因は胎盤ポリープであると診断を伝えられました。
胎盤ポリープは、今回のUAEで血流が阻害されることで小さくなり、自然と排出されることを期待するとのことでした。

入院の経過は順調で、1週間弱で退院となり、通院で経過を見ることになります。

2度目のUAE・hCGホルモン下がらず抗がん剤投与開始

退院後は、通院で経過を診察してもらっていましたが、胎盤ポリープへの血流の状態とhCG値が下がらないこと、出血も続いていることから再度UAEを行うことになります。
再度UAEを行うのは大学病院でということになり、大学病院に転院、処置を受けます。
大方の流れは総合病院と大学病院での違いはなかったのですが、ただ、大学病院の手術室は壁の色や設備の配管など環境的に少し緊張しました。

また、処置後は産科の病室に入るのですが、妊婦さんと同室のためNST(胎児心拍数モニタリング)の心拍音が聞こえてしまうのですが、心を打ちのめされました。
17wでの流産は、胎児は出てきてからも暫くは生きていました。
その時対応してくださった助産師さんに事前に「出てきたら抱っこしたいか」を尋ねられており、せめて抱っこだけはしたい旨伝えてありました。
抱っこした時、小さな小さな手が動いた様に見えました。
17wでは胎児は生き延びることはできません。
胎児は生きていたのに、心拍も確認できていたのに、と思い出され、病室から出て、戻ることが出来なくなりました(安静の時間を終えていたのが幸いでした)
その後病室を変更してもらいますが、以後、食欲がなくなってしまいます。
NSTの音はないものの、移動先の病室内の音もうるさく…辛い入院期間となりました。

2度のUAE後もhCG値は引き続き下がらず、抗がん剤の投与(筋肉注射)が始まります。
ここで使われる抗がん剤は妊孕性や髪などへの影響はありません。
人によっては口内炎ができることもあるようですが、清潔に注意すれば防げるとのこと…私は口内炎など抗がん剤の副作用を感じることはありませんでした(マウスウォッシュを意識的に頻回に使うようにしました)。
なかなか思うようにhCG値は下がりませんでしたが、数回の投与後、効果が見え始め8月中旬に退院することが出来ました。

胎盤ポリープ完治

退院後は元の総合病院へ通院し、経過を診察してもらいました。
出血はだいぶん治ってきているものの、胎盤ポリープの異常な血流はなかなか途絶えず、5ヶ月に渡って通院は続きました。
なかなか変化が見られませんでしたが、12月中旬、急に出血が増えたタイミングでちょうど診察の日だったのですが、エコーの結果異常な血流がなくなっていました。
そして、出血が増えたと思ったのは生理が再開したためとのことでした。
(この辺りの記憶が曖昧になっていますが)もう大丈夫とのことで、通常の生活に戻ることになります。

その後妊娠・出産

流産後は、周りのお陰もあって自分を責めることをせずに過ごすことが出来ましたが、暫くの間、「自分は何のために、どうして生きているんだろうか」と自問していました。
答えが見つかることはなく、ただ目の前のやるべきことをやる、という過ごし方をしていました。

子供を無事に出産できた今でも、流産してしまったお子ちゃまを思い出すとただただ涙が出ますし、自分達の大事な子供の1人として、忘れることは絶対にありません。

一時はもう子供を授かることはないのかも知れない、と覚悟もしました。
夫の子供は欲しいと思いながらも、また失う恐怖を考えると全く踏ん切りがつきませんでした。

そんな中、2023年3月妊娠が判明します。
「まさか」と思いますが、迷いはありませんでした。
失う恐怖に負けないよう、先を期待しすぎないで後悔のないよう毎日を過ごすことに意識を向け過ごしました。
今回の妊娠は、出血もなく順調に過ごせているように感じていましたが、
8月中旬に定期検診の際、切迫早産の可能性を指摘され、翌週の診察の際緊急入院となります。
張り止めの点滴を24時間、先が見えない状態でスタート。
点滴のリトドリンは血管への副作用があるとのことで、もともと点滴のルートが取りづらい上に(何回も針を刺されることになります)、すぐに液漏れを起こしてしまい、頻回に差し替えなければならない状況が続きます。
そんな状況が2週間ほど続きますが、長期の点滴ということでPICC(腕から挿入する中心静脈カテーテル)への変更の打診をもらい、入れてもらうことに。
PICCは腕からの点滴と異なり、正しく管理し、感染など起こさなければ差し替えの必要性は半永久的にないとのことです。
これにより、ルート取り直し・液漏れのストレスから解放されることになりました。
9月末、子宮頸管の長さはほぼ回復することはありませんでしたが、進行が止まっていること、張りが収まっている状態なので、自宅でも病院と同じく安静することを前提に退院できることになりました。

その後は、妊娠期間特有の身体のしんどさ・辛さを感じることは毎日ありましたが、特に心配するような状況はなく週数を重ねることができました。

切迫早産で入院したこともあり、早産になるかと心配し週数を重ねましたが、いよいよ正期産を迎え、38wに入った頃の診察で妊娠高血圧症の診断となり、今度は誘発分娩で出産させることになります。
診断の当日入院、翌朝から陣痛促進剤で誘発分娩することになり、2023年11月下旬、無事に男児を出産することができました。

振り返って

私自身は普段、物事を現実化するために、計画を立て怒ることを想定して対処法をあらかじめ考えて行動するタイプです。
ですが…『子供は授かりもの』と昔から言われるように、望んでなんとかなる(場合もあるかもしれませんが)ものではないと実感しました。
『運を天に任せる』『流れに身を委ねる』様に過ごした2022年と2023年の2年でした。

また、結婚・妊娠・出産は本当にその人それぞれだと改めて感じました。
そもそも、したくない方もいらっしゃいますし、したい気持ちがあったとしても様々な事情があって、しない方もいらっしゃいます。
当事者が自分のことにどのように判断するかは自由かと思いますが、他人がとやかく言えることではありません。
とはいえ、好き勝手言う人は世の中にたくさんいらっしゃいます。
そういう方達とは、レイヤーが異なると割り切って付き合い方を分別しようと思いました。
たくさんの人に落胆しましたし(勝手に期待していたところがあったのでしょう)、支えてもらいました。

妊娠・出産にあたって、頑張って過ごしていらっしゃる皆様には、可能性を大切に、負担に感じない程度に、ぜひ前向きに考えて頂けたらと思います。
ただ、もし理想通りに行かなかったとしても、あなたの責任ではありませんから…とは言っても、色々感じてしまうのが人間なのでしょうね。

辛い時には辛い気持ちを我慢せず、涙を流せるなら流して、弱音もいっぱい吐いて、周りを頼りながら、力を抜いて、自分の心と身体を大切に過ごしてくださいね。

P.S.
なるべく早く公開しようと思い、見直しがきちんとできていないので、
文章の構成が変だったり、誤字・脱字が多いのではないかと思います💦
追って修正を加えていく予定です。

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