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涙の向こうに見えたもの

「沈黙の伝道師」というものに心惹かれる。小川洋子さんの「沈黙博物館」という小説に出てくる人たちなのだが、相手の話をただ聞くだけで、返事となるもの、例えば感想もコメントも一切言ってはいけないのだ。

小学校に入学してからのニ年間ぐらい、わたしは学校にいる時は沈黙の伝道師だったことをなんとなく思い出した。小説の中の人たちとは少し意味合いは違うけれど、自分なりの解釈で、勝手に親しみを感じたと言う方が正しいかもしれない。

家では普通に家族と話していたから、今思えば場面緘黙症だったのだろう。その頃には知る由もなかった。学校に行くとなぜ声が出せなくなるのか、話せなくなるのかわからなかった。ただ人の話を聞いているだけ、人のすることを観察しているだけ。意志の伝達の必要に迫られたら、イエスとノーだけをうなずくことと首を振ることで示す。今思えば周りはとても困っただろう。
幼かったわたしは自分自身がつくり出した世界であるにもかかわらず、学校にいる間はその不自由さに苦しんだ。けれどもあの頃は沈黙の中でいろいろな感情を隠していた。不思議とその中にいるのは居心地良くもあった。

語りたい自分もまだ手にしていなくて、クラスメイトたちの話の輪の中への入り方もわからなかった。家で普通に遊んだり喋ったりしていた一つ上の兄とも、学校の中は元より登下校で会っても知らん顔をしていた。家とは微妙に違う兄の様子を見て、何かわからない異質なものを感じとって、なんとなく信用できないと思っていたのだろう。その頃兄も兄の事情を抱え、緊張しながら日々を送っていたように思う。

自分を守れるのは自分しかいなかった。できるだけひっそりと、目立たないように座っていたかった。立ち上がって動くことも怖かった。人の視線の先にいたくなかった。

こんなことがあった。授業中に校庭で大きな音がして、みんないっせいに席から立ち上がって教室の窓から外を見ようとした。わたしだけが表情も変えずに席に座ったままだった。
担任の先生は、そんなわたしを見て心配そうに顔をこわばらせた。
「‥‥ちゃん。どうしたの?」と聞かれて、どうもしていないので、どうしていいかわからず、真顔で固まっていた。

黙って気配を消して静かにしていれば、周りの子から、大人しいね、おしとやかだね、お上品だね、と言われた。実際そう言われているうちは誰も傷つけずにすんだし、誰からも傷つけられずにいられた。先生も気にかけてくれた。

入学式の後にそれぞれのクラスに分かれ、初めて教室で名前を呼ばれた時に、わたしは言葉を発しないことを選んだのだ。勇気を出してかすれた声でも出していれば、また違った日々だっただろう。でも勇気が出なかった。先生は軽く失望を滲ませながら、困ったわねという顔をしていた。
その後に続くだんまりの日々は、ただ意地を張っていただけのような気もする。何かのきっかけがあれば変われると、その瞬間を待っていたような気もする。


そして、その瞬間は小学二年生の夏に訪れた。ある時同じクラスの女の子が、いっこうに喋ろうとしないわたしにいらいらしたのか、「‥‥ちゃんは本当は喋れるのに喋らない。自分だけ先生に甘えてて狡い」と荒々しく言い放ったのだ。そして、怒りに任せてわたしの足を蹴って来た。
わたしは驚きながらも顔には出さず、知らんぷりをしてその場をやり過ごそうとした。何事も起こっていないように振る舞うことで自分を守ろうとしたのだ。それでもその女の子は攻撃の手を緩めず、わたしの足を数回蹴った。軽く蹴っただけなのでそれ程痛くはなかったけれど、周囲の視線が集まり出したことの恥ずかしさで顔が火照った。

涙がすーっと一筋流れた。それでもなんとか堪えようとしたが、無理だった。堰を切ったようにわたしは声を上げて泣いた。自分でもびっくりするくらいの勢いで、何度もしゃくり上げて泣いた。周りの子たちは、ただはあっけにとられて二人を見ていたように思う。

すると驚いたことに、その女の子は途端に蹴るのをやめ、瞬く間にすまなさそうな顔になり、ごめんね、ごめんねと言いながらわたしの頭を撫でて慰め始めたのだ。それでもわたしは号泣し続けた。
なぜあんなに声を上げて泣いたのか、今でもよくわからない。彼女が急に手のひらを返したように優しくなった理由も。ただ、そんな状態でも繰り返し頭を撫でてくれるその手は優しくて、心地良くさえあったように思う。
泣くことで彼女の得体の知れない怒りを鎮めることができて、ほっとしてさらに新たな涙があふれ出ていた。


そんなことがあって不思議なことにだんだんとわたしは声が出せるようになっていった。国語の音読や九九の暗唱などの必要に迫られた時に限られてはいたけれど。
三年生になってクラスが変わってからは、話しかけてくれるクラスメイトには少しだけれど言葉を返せるようになった。学年が進むにつれて徐々に友達のようなものもできるようになった。

感情を初めてみんなの前で出したことで、何かが吹っ切れたのだと思うと、あの時の女の子の荒療治も許せるような気がした。今も忘れていないということは、あの頃のわたしにとって相当印象的な出来事だったのだろう。人前であんなに泣いたのは初めてだった。感情を心の奥底に押し込めて歪に作りこんでいた自分から解放された瞬間だった。

自分だけの力で変わることはできなかっただろう。彼女からの刺激で、わたしの内部で何かが変容したのだ。





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