100年先も|虎に翼
虎に翼の最終回を見ました。
自分の人生の糧になった特別な朝ドラだったので、まとめてみようと思い立ちました。
星 航一さん
恥ずかしながら、しかし堂々と言えるが、私はイケメンが大好きだ。
盆休み前の朝、出勤準備を終えてソファで会社に行く気力がないな~とだらけながら見ていたテレビに、星 航一さん(岡田将生さん)は現れた。普段8時には家を出るので、それまで見る機会がなかった。
自分のメモによると24/8/9(金)だった。ちょうど航一さんと寅子が惹かれ始めた?頃で、ロマンチックな描写があり、私は一瞬で航一さんがだいすきになった。
岡田将生さんといえばオフショットがSNSでもよくバズっている、年々魅力が増している俳優さんだ。私ももれなくいいねしてしまう。
そんな俳優さんが演じているのだから当たり前だが、航一さんはめろすぎる。
寅子との身長差も、物腰の柔らかさも、穏やかな人柄も全部が朝に見たい理想的な方で、有難さすらあった。
私が虎に翼を見始めたのはそんな不純な理由だった。
地獄の先の春
寅子(三淵嘉子さん)は女性の生き方をひとつ切り開くきっかけになった先人だ。ひとりの女性として、寅子のことを尊敬している。
自分自身、女性が少ない業界で働いている。社内に管理職の女性はキャリア入社の方しかおらず、総合職で女性を採用し始めてから10年も経っていない、そういう業界だ。大手他社で出世し定年まで勤め上げた女性の方の講演を聞く機会があったが、60歳を超えても若々しく、芯の通った強い方だった。
女性が新たな道を切り開くということは、先人として立つ強い女性が居る、ということだ。「女性初」を叶えることがどれだけ大変で、偉大なことか。今後、大変で、偉大ではなくなっていくことこそが望ましい未来だ。
そんな強い先人の背中・つけた足跡を辿っていくだけの自分ですら、ロールモデルのいない、将来の見えなさに絶望したことが幾度もある。先人たちの未来はどれだけ暗かったのか。それはきっと確かに地獄であったんだろう。
それでも寅子をはじめ、強い女性たちがそこで未来を信じて地獄を進んでくれたからこそ、現代に私がある。
最終回、寅子は桂場に「私だけが強かったわけではなく、時代がそれを許さなかっただけ 未来のために足掻くことはできる」(本当に朧気、すみません)と言った。
私には、地獄の先陣を切れるような強さはない。だが、強くなろうと望んだとしても、それを否定されることはない。
私たちは強くなることを許される現代に生きている。
そんな現代こそが、寅子たち自身が光となって照らし進んでくれた地獄の先にあった未来だ。
マイノリティへの「優遇」はて?
SNS上で、後半の登場人物の設定に不満を持った人が多かった印象を受けた。
何故、人々は所謂マイノリティの登場人物に反感を抱くのだろうか。リーガルドラマなのだから社会問題を織り込むのは当然のことだし、虎に翼はフィクションだ。しかし、世界観が壊れるだとか、時代背景にそぐわないだとか、そういった意見が多いように見えた。
昨今、マイノリティを取り上げる創作物はポリコレだと批判される傾向がある。確かに原作を大幅に改変すると不満を持つ人が出るのは必然かもしれない。
まず、マジョリティとマイノリティの立場は等しくない。民主主義においては、多数派が正義だからだ。ここでいう「数」は単なる数字ではなく、バイアスのかかった声(意見)の大きさも含む。かつては、女性も社会に対してマイノリティであった。多数派は時に暴力的なまでに少数派を差別する。そういった社会で少数派を「優遇」するということは、ただ立場を等しくしようとする努力だ。少数派を多数派より上に持ち上げるということではない。
例えば、SNSで虎に翼の登場人物設定に不満を持った人でも、「身近に居るマイノリティの方」や、「マイノリティの方が主人公ですと出されたドラマ」なら不満をぶつける事はないのだろう。前段でも書いた通り、虎に翼は女性が強く生きる様を描いた物語だ。かつてマイノリティであった女性の強さを描く物語で、現代のマイノリティの方たちを登場させることは至極まっとうで、当然の流れであると、私は思う。
私は数年前病気になった。「普通」に生きられなくなって、少数派となって初めて、社会における立場の弱さを理解した。現代の様々な仕組みや家族に支えられた。その際、同じ病気を抱える登場人物が出てくる小説や、ドラマなどに心が救われた。これはきっとマイノリティになった経験のある方にしか分からない感覚だと思う。私自身、マイノリティになる前は理解できていなかった。フィクションには、人に勇気を与える、希望を持たせてくれる力がある。
きっと、ずっと社会的多数派の人が、マイノリティが「優遇」されることに不満を持っているのだと信じたい。逆に、そういう人は一生分からない方が幸せなのかもしれない。おもしろい/おもしろくないの評価を簡単にしていい物事なのかと、真にこちらが受け取るべきことは何なのかと、少し考えることは出来ないだろうか。
「優遇」されていないマイノリティの方が「優遇」されているマイノリティの方にに不満を持つこともあるかもしれない。私から言えることは何もないが、無暗に人を羨まず、自分の芝を青く思うことで満たされることもある。
知らねえけれど!
このまま平和な時代が続けば、日本人は戦争を知らない世代だけになる。同じように、このまま時代が進めば、女性が差別されていた時代を知らない世代の未来がきっと待っている。
戦争の歴史を忘れないことが平和の大切さを伝えてくれるように、女性が差別されていた過去を忘れないことが未来の女性を明るく照らす。
寅子がそうしてくれたように、私もきっと未来の誰かの光になれる。
しかし、全て選択するのは未来の誰かだ。誰に対しても、強くあることを強制してはいけない。それこそ、知らねえけれど!のスタンスで生きていくべきなのかもしれない。
寅子ほど強くなれないと思ったとしても、結局皆それぞれの地獄を生きているのだから、それぞれの強さを貫く事が出来るのだと思う。弱さを認めることも、ある意味強さだ。
虎に翼と佐田寅子は、私に人生の糧となる希望と勇気を与えてくれた。
ありがとう、さよーなら寅子、またいつか!
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