推し活≒金マウント
上記noteの「現場が苦手だった理由⑤推し活≒金マウント」の項目が長くなりすぎたので、独立させて投稿します。続きのnoteですが、単独で読めます。
※全て個人的な考えです。
本人不在の○○
痛バに代表されるように、オタクは不言不語でマウントを取る。フラスタを出すオタクの見て欲しい対象が推しのみなんてことは有り得ない。
グッズや円盤をどれだけ買っているか、界隈によってはチェキを積む数だとか、推しの記念日に投稿する祭壇で、使っているお金をオタクは察せるし、それでマウントをとったりとられたりしている。
同担には舐められたくないし、他担には○○担すごいと思わせたい。界隈外には一目置かれたいし、金を使えるオタクのいる人気ジャンルという認識になってほしい。
あくまでオタクの矜持の話であり、自意識の塊のような話だ。人によっては理解できないだろう。もはやそこに推しはある意味関係ない。
戦場は現場に限らず、SNSもオタクのメインバトルフィールドだ。
星屑の王子様という漫画で、ホストそっちのけで客が煽りあってシャンパンを頼みまくるシーンがある。ホストは何もしなくても客同士で単価を競い合う。最初読んだときは理解の及ばない世界だと思ったが、この文章を書いてから推し活と本質は同じだと思い直した。
不文律のマウント
推しのオタクがダサい見た目ではいけないという意識ももちろんある。だが、これは身だしなみの話では無い。
snidelの服が何万でブランドバッグが何十万なのか、整えたネイルにいくらかかるか、よく見るヘアメイクにどれだけの時間とお金がかかるか、不文律のマウントがそこにはある。
Instagramの、𝕏の趣味垢に写っている全てが、文脈を理解出来てしまうオタクにはマウントとなり得る。
しかし、これは悪いことではない。その全てが楽しいのである。人生の主軸がそこになる。推しのために、お金を稼いだり貯めるモチベーションが出来る。推しのために、ビジュを良くしようと努力が出来る。
お金は努力とイコールである。お金を出して努力でかわいくなった自分が好きなのは何も悪いことでは無い。
平均的な収入と推し活
平均的な社会人の収入で過度な推し活をするのは難しい。
自分は平均的な収入の社会人だが、過去には何か月も給料がそのままクレカの支払いに出ていった時期もあった。自分のペースで追えるジャンルのオタクだったが、そんな風に多くのお金を使っていた。遠征やお金を積むタイプのオタクはどれだけの出費をしているのか詳しくないが、平均的な収入では補えないんだろうなと思う。
お金を出せるオタクが偉い
推しはお金を出せるオタクの方が好きだろうし、推しの愛(努力)とオタクの愛(金)が等価交換なのが推し活だと思う。推しからの愛が欲しければお金を出すしかないのも事実かもしれない。そんなお金を出せるオタクが偉いという風潮から、副業や短期的にお金を稼げる職業が偉いとされている。
「職業に貴賎はない。」
愛の不時着主人公のユンセリが、北朝鮮で父親の職業でいじめられている少年を庇い、いじめていた少年に言った台詞だ。個人的に、パワハラ気味だった財閥令嬢で大企業の社長の彼女がそう言ったのがとても意外で、記憶に残っている。
収入や仕事上の立場などに優劣は合っても、個人に優劣をつけてはいけない。他人にアドバイスなんて烏滸がましいことをする気もない。
直接推し活に関係のない話だが、所謂昼職、夜職に貴賎はないということが言いたかった。
つまり(まとめ)
初めに書いた通り、このnoteは別のnote(推し活と現場至上主義)の1つの項目だった。ここで書いたことのまとめは元のnoteで他の項目と含めて出している。
以下に、そのnoteで出したまとめを貼ってこのnoteを〆る。
金マウントを楽しめる人は楽しんだらいいし、振り回されて不幸になる人が減って、それぞれの形で楽しく推し活を出来ればいいなと思う。
推し活に正しい形とか、最低限なんてものはない。
お金を払わなくても、現場に行かなくても、時間を使わなくても、推しを好きだと言っていいはずだ。
自分はそう信じている。
逆にお金を使う、現場に行く、時間を使う推し活を否定してもいけないとも思う。
推しのために自分が犠牲になる推し活も1つの形だから否定は出来ないが、少なくとも誰かに強要された形ではなく、自分が望んだ形ではあるべきだ。
メディアやSNSを通し商業的な側面が表面化している昨今の推し活勧奨に、好きな気持ちを惑わされてはいけない。
画像は2019/12/14の京セラドームです。S°DAで撮っていた。懐かしい