転んだ時の身構えと心構え
金曜日、仕事の帰りに成城学園の正門の前で派手に転んでしまった。
右掌をついて、右頬を打った。右膝も少し打った。頭の鉢が響いたし、首にもショックがあったのを感じた。首から下げていたiPhoneが跳ねたので、割れてないか、咄嗟に気になった。
ショックを感じながら立ち上がると、成城学園の正門の警備員さんが、
「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。「大丈夫です」と答えて気を取り直し、背筋を正して、警備員さんにお礼を告げて駅へ向かった。転んだ時、お昼に何を食べようか、考えていた。一瞬心が空になり、身体が捻れた感覚があった。
そうだ、今日は奇数日だ。師匠T先生の個人指導を受けに行こう。と思い立つ。
お昼はとりやめて、急いで小田急線に乗り込み、小田急相模原を目指すことにした。
車内で打撲の箇所に愉気をした。頰、対角上の頚椎、掌…どうやら、肘も打っている。脊髄行気も続けた。次第に打撲のショックは抜けてきた。
ショックは二種類…
ひとつは、転んだことにより肉体の打撃。
もう一つは、転んでしまったという精神的なショック。動揺というのがふさわしい。
「足がもつれて転ぶなんて…私の身体も老化したのか…来週からはシッターの仕事もあるから大丈夫だろうか」ということが頭を巡っていた。
しかし、実のところ、小田急相模原に着くまでの30分愉気と行気をしている間にかなりショックは抜けていた。
でも、野口整体では、打撲を警戒しているので、やはり、師匠に調整してもらおうという気持ちには変わらなかった。
指導室に着くと、私の前に一人操法を受けていた。私は正座をして、脊髄行気をして、それから活元運動の準備運動をして…しばらく活元運動をした。そして私の番になった。
師匠に会うとそれだけでほっとする。どんな風に転んだのかをまず尋ねられた。掌をついたと言ったら、掌に触れて、「血がでてますね」と。先生は目がお悪いので、愉気ですべてを感じとる。
「手首は腫れていますね。頰はたいしたことないけど、頸椎と背骨にショックが入って硬ってますね」
と仰りながら、どんどん身体を緩めてくださる。膝も軽く打ったので手を当ててくださった。
「膝は少し腫れているけど血はでていませんね」
と、掌ですべてを感じ取る。
打撲の時は、常にどんな角度で打ったか、ショックがどう入ったか。師匠はすべてわかるのだ。
全身をくまなく愉気で調整してくださり、「頭部は中までは響いてませんね」と聞いてさらにほっとした。影響は少ない。「上手に転びましたね」と褒めてくださった。
反射が鈍くなって転んだのだが、上手に転べたのなら、しかも、師匠の操法で弾力も取り戻ったのならまだまだ私も衰えてはいないだろう。と思えた。最後に家でできる手当てを教えてくださった。
あとは、いつもながらに、先生のおもしろいお話を聞いて抱腹絶倒した。
長年聞きたくていつも忘れていたことも質問できた。
指導室をでた自分が別人になっていた。軽やかだ。今日は転んだおかげで先生に会えたと思った。
翌朝、腕と首に痛みが出てきたので、よい経過と思う。怠さはやがて抜けるだろう。
しかし、この土日はおとなしくすることにした。
この一連の話を最近になってご指導いただいている整体武術家の先生にメッセージしたら、
「冷えると片足を巻き込むように歩くので、それで引っ掛けてしまったのでしょう」
とのアドバイスをいただく。
なるほど、季節と身体の使い方を一層学ばなければ。最近はこの先生との出会いで、気運が高まっている。
11月のほびっと村学校の講座で、その成果をお伝えできるだろう。
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