子どもをついつい叱ってしまっら。

細胞からの子育て そのニ

〜私の子育て振り返りの記〜

息子が2歳にもなると自我も出てきて自分の思いを通そうと全力でかかってくるようになった。
赤ちゃんの頃の要求は、ほとんど生理的な要求であったから振り返ればまだ楽であった。赤ちゃんの要求は、

お腹すいた。
眠たい。
お腹がもぞもぞする。
ゲップがつかえている。
しゃっくりがでる。
おしっこした。
うんちした。
おならした。
暑い。
寒い。 
音がうるさい。
光が眩しい。

甘えたい。
おっぱいにくっつきたい。
抱っこして欲しい。

 などなど。だ。

 2歳にもなると、もちろん上記の要求もあるが、それに加えて、
「思い通りにならない身体へのジレンマ」
 が生まれる。
 身体と心(思い)のアンバランス。それが思春期の特徴なので、2歳児の自我の芽生えもある意味の思春期だ。
 なにかをしようとするとうまく身体を使えなくて、

「できない、できないっ〜」

 と泣き叫んだり…。
 私の方でなにか行動を促すと、

「やだ、やだあ〜っ」

 と拒否してみたり…。

 いわゆる、世間で言うところのイヤイヤ期。

「なんでこんな子になったのかしら?」

 と自分の育て方が悪かったのではないか、と落ち込むお母さんは存外たくさんいる。または、 

「うちの子、なんてわがままなの?」

 となるお母さんも…。

 しかし…、

 整体では、この時期を「イヤイヤ期」とは呼ばない。成長の過程と捉えているからだ。自我が出てきたのだから、それは成長を意味し喜ぶことでもある。

 息子は幼い頃、エネルギーが半端なくて、私はかなり振り回されていた。
 ママたちの小さなお集まりや、地域のイベントに参加しても、大人しくしていることなどまずなくて、一人で脱走してしまうのである。私はつねに息子を追いかけていた🤣

 ほとほと疲れ果てていた私を思ってくれてか、そんな息子に対してT先生は、

「意志のはっきりした良い子です」

 と仰ってくださっていた。そして、

「大人にとって都合の良い子を育てても意味がありませんよ」

 と…。
 この言葉の示唆するものは、のちのち私の子育てに大きな影響を与えることになる。珠玉の言葉だ。

 毎回、先生のご指導を母子で受けるたび、先生は私を全面的に受け入れてくださっていたので、私はほろりと泣いていた。
 1歳半から3歳手前ぐらいまでの期間、息子は指導室ではやりたい放題だった。
 ゴミ箱を転がしてみたり、飾りで置いてあった黒電話で遊んでみたり。
 それより、一番私が目を回したのは、操法布団で個人指導を受けている方の周りを走り回っていたこと。私は毎度「あちゃ〜」と内心ヒヤヒヤしていた。
 しかしながら、先生はいつも、

「指導室では何をしても構いませんよ」   

 と笑ってくださっていた。
 操法を受けてらした方も、

「気にしなくていいですよ。愉気っ子は元気だけど、うるさくはないものです」

 と仰ってくださっていた。

「このぐらいの歳の子が周りを気にせず元気いっぱい振る舞うのは当たり前。だんだんとわかるようになりますから」

 とみなに仰っていただいていた。

 そして、息子の傍若無人ぶりのやんちゃな期間はあっという間に過ぎた。

 3歳にもなると、指導室での振る舞いを身につけた。操法を受ける際、互いに礼をして始まり、礼をして終わるのだが、私が教えたわけではないのに、自然と見様見真似でやるようになった。
 待ち時間も絵本を読んだりして過ごすようになった。

 子どもの成長の過程を知っていたら、1歳半から3歳手前ぐらいのまだ集団生活に馴染みのない幼な子は、世界の中心に自分がいて、そうした振る舞いをするものだ。そうした子どもへの眼差しがあるかないか。整体の見方は素晴らしいと思う。
 公の場に連れて行った時に、親としてどう振る舞うか。もし、幼な子を連れていくにふさわしくないと判断したら直ちに引き上げるのが懸命だ。無駄なエネルギーを使わなくて済むからだ。

 そうは言っても、この時期には、私もついついガミガミ子どもを叱っていた。叱っていたというより怒りを爆発させていたという方がふさわしいかもしれない。
 夕方、疲れてきた時分に、子どもがハイテンションになり、妙にしつこくなってきたりすると、私のイライラパワーは炸裂してしまう。余分な怒鳴り声をあげたりしたものだ。一度火がつくと子どもが謝っていてもまだ追い討ちをかけてしまう。私のエレルギーの過剰な反応だ。
 ふと我に返る。何がきっかけだっただろうか。発散したら気が済んだだけかもしれない。
 幼な子との暮らしは、自分が思うようにできることなんてゼロに近くなる。子ども優先の暮らしにならざるを得なくなる。そのため、日頃からストレスはたまる一方になる。どんなに可愛くても一日中一緒にいるのだから。自分を取り戻す時間などまるでない。
 これは、おそらく、毎日一日中一緒にいる母親(まれに父親がその役割を担う家庭もあるが)にしかわからない事実である。外に出て、いくらでも気晴らしができる立場の人には決してわからないだろう。
 虐待を肯定するつもりはさらさらないが、この時期の母親は常にギリギリのところにいることを、周りの人は認識し、サポートしてあげて欲しい。と常々願い、産後ドゥーラになった。

 話は戻るが、ついついガミガミと怒鳴ってしまった後、急激に、息子に対して申し訳ない気持ちに襲われた。

「さっきはごめんね。あなたが悪いわけじゃないけど、お母さん疲れていて、イライラしちゃった。ごめんね」

 と謝った回数は計り知れないほどある。
 その話をT先生にしたら、 

「わかりますよ。そうですよ。一日中一緒にいたらそうなりますよ。一生懸命子育てしてる証拠ですよ。たまには一人になる時間をわずか数分でもいいから作ってください。ご主人が帰ってきたら、ぱっと出かけて、何でもない無駄な買い物でもしたらいいですよ。離れることで愛情は新鮮になり、新たな気持ちでお子さんと向き合えるようになりますよ」

 とアドバイスを頂いた。またまた涙腺が…。うるっとした。そして、

「ガミガミ怒るのは、そう悪いことでもないんですよ。気が一気にお子さんに集注するのですから。一番良くないなは無視することです。無視されることが一番傷つくんですよ。
 寝る前に絵本でも読んであげればいいんですよ。眠りにつく前、潜在意識に絵本を読むお母さんの優しい声が入りますからね。昼間のこと帳消しになりますよ」

 と…。
 このアドバイスにはどれだけ救われたかは言葉には表せないほどだ。

 私自身がそうであるように、真面目なお母さんほど、思うようにならないジレンマも、叱ってしまうことへの罪悪感、自分への嫌悪感を感じてしまいがちだ。
 「それでいいんだよ」と肯定してくれる人間関係がないと追い詰められるだけであろう。 

 無闇に子どもを叱ってしまうことは良くないけれど、もちろん程度問題もあるけれど、そうしてしまった時の後始末というか、対処というか。
 それがあるかないかで、明日一日も優しい気持ちを裡にに秘めて、自然と湧いてくる愛情で、子どもと向き合うことができると私は思うのでした。

2021.10.9

つづく。

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