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芸のない善行はおそらく好ましくないのだという話。。。

おそらくそれは神にとって好ましい行為ではないのだということ。 差し当たり逆説的に考えるとすると、例えば犯罪。これは世の中から無くなることはありません。何故ならば、それを他ならぬ神が容認しているためです。 犯罪を冒すと多くの場合、裁かれますよね。 しかし裁くのは神ではなく、人間なのです。 犯罪を冒したものが急に病に侵されるなんて話はあまり聞きません。 神は明らかにこれを許しています。 そもそもの話、食物連鎖等というシステムを作ったのもまた神なのです。 始めから食って

    • 幸せってのはこの世が偽物であることを知った上で道化になれる奴だけにやってくる。本物を追い求める奴にはいつまでたっても幸せは訪れない。何故ならこの世に本物は存在しないのだから。崖から飛び降りられるのは偽物と確信出来るものにこそ出来る芸当。

      • 有りもしない幻想を抱かせ今日も人を欺く。元からあるものを奪い取って感謝をさせることでしか導くことができないこの世には始まりから本物が存在していない。

        • お前の言う通りにした方が良い人生にはなるかもしれない。だが仮にそうなったとしてそれはお前の人生であって俺の人生じゃない。やらせようとばかりしないでこっちに降りてこいよ。まあ殺したくなるくらいすかした奴なんだろうなどうせ。お前がやれ。

        芸のない善行はおそらく好ましくないのだという話。。。

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        • お前の言う通りにした方が良い人生にはなるかもしれない。だが仮にそうなったとしてそれはお前の人生であって俺の人生じゃない。やらせようとばかりしないでこっちに降りてこいよ。まあ殺したくなるくらいすかした奴なんだろうなどうせ。お前がやれ。

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          諦めることを選ぶことで諦めなかった場合の世界を目にすることになるが悲観する必要はない。諦めなかったところでいつまでも目の前の景色は変わらない。諦めなければよかったと思わせる為に見せつけられている。要はまやかし、偽物。搾取されていることに早く気づけ。

          諦めることを選ぶことで諦めなかった場合の世界を目にすることになるが悲観する必要はない。諦めなかったところでいつまでも目の前の景色は変わらない。諦めなければよかったと思わせる為に見せつけられている。要はまやかし、偽物。搾取されていることに早く気づけ。

          破滅したくないという不安を解消するために破滅することを選んでしまう、下意識。

          『下意識』とは自我の延長上にある、抑圧した意識のことを言います。恐らく感覚的には『無意識』に当たるものですが、『無意識』は自己を越えた領域に当たるので実際には違うということです。無意識にやってしまうといったことは厳密には下意識によるものということです。 我々は目標を達成するために色んな条件を設定するはずなのです。○○かつ△△といった具合に。結果を導くためには手段がありますが、その手段は自分が出来る現実的なラインへと落とし込むのが一般的です。 ただそうこうしているうちに向き

          破滅したくないという不安を解消するために破滅することを選んでしまう、下意識。

          蛾が自分の部屋にやってきてから勉強にすごく集中出来るようになったので蛾は学問の神かもしれない。

          蛾が自分の部屋にやってきてから勉強にすごく集中出来るようになったので蛾は学問の神かもしれない。

          天もまた、私に執着をしている。

          一体何を期待されているのかが分からない。 こっちは手放すもの手放しているわけだが。 高みの見物決め込んで、さぞ気持ちがいいことでしょう。 何度も何度も言いますがこちらにはこちらのやり方があるのです。 それを受け入れられないのなら、私である必要はありませんよね。 むしろ執着されているのはそちらの方ではありませんか。 そんな気に入らないのなら…さっさと殺したらどうでしょう?

          天もまた、私に執着をしている。

          人の救いとなりたいという思想は心からの欲求であるのか。

          天からの介入が多い今日この頃です。 自分はそうしたいにも関わらず本当のお前はそうじゃないと分かったように全て台無しにされてしまうのです。 もう自分の人生を生きることは出来ないのだと思います。 この人生に未練が無さすぎるので死ぬのが楽しみです。 ただ安らかに死にたいという欲求があるので、その時を心待にしております。 結局のところ、自分の意志などというものは全てがある特定の段階のためのまやかしでしかなく誘導にすぎないのかもしれない。 正直何が何だか分からない。 天に

          人の救いとなりたいという思想は心からの欲求であるのか。

          グレーゾーンに見る責任の所在。。。

          世の中、公に許可をすることに都合の悪さがあることってありますよね。 その一つに所謂グレーゾーンにあたることがあると思うのですが。 なぜそのようなものが存在してしまうのかは、許可を取るという行為の本質を考えると分かりやすいかもしれません。 この行為そのものは、責任感ある行動ではありますよね。ちゃんと確認をとることで透明性を担保しようというわけですから。ただ、その行為の裏側に存在するのは責任の委託に他ならないと言えなくもないわけです。 つまり、許可を取る行為は、責任感をも

          グレーゾーンに見る責任の所在。。。

          自分らしさって一体何なのだろうか。

          欲望のままに生きることは自分らしさと言えるのでしょうか。恐らく違っていて、そうしていると現実的な側面或いは物質的な理由などから問いかけがやってくることによって本当は何をやるべきであるかに気づかされるのです。 では、欲を抑えて生きることは自分らしさと言えるのでしょうか。それもまた恐らく違っていて、破滅を畏れ欲を抑えようとする意識はやがて、無意識との分断を生んでしまいます。そうしているとその意識を取っ払おうとする力が働き、自分の身の回りにあらゆる誘惑がやってこようとします。そし

          自分らしさって一体何なのだろうか。

          やるべきことに躊躇してやらなくていいことを躊躇せずにやってしまうアレ。。

          よくよく考えてみると、不思議だなあと思って。 やるべきことは何をどれだけするかああだこうだと慎重に考えるのに、ならなくてもいいようなどうでもいいことには、考慮もろくに挟まず、手を出していることに。 対価ってとても大事なことですよね。だから、自分の努力や時間が無駄になることを恐れてしまう。で、手近にある自分の欲を確実に満たしてくれる方へと気づくと流れている。 それが一概にどうということではなくとも、同じように考慮すべきだと思ったんです。無意識的についやってしまう前にもその

          やるべきことに躊躇してやらなくていいことを躊躇せずにやってしまうアレ。。

          自分から幸せを奪っていくのはいつだって自分だったのだと。

          どんなに頑張ってもどうしてうまくいかないんだろうと思って、自分を変えてくれるような流れを待ち望んで。いざ幸せが不意に現れたときに心の準備が出来ていなくて、或いはそれが幸せそのものであると気がつくことができなくて。 きっと誰しもあるはずなんです、理想の形というものが、理想のタイミングというものが。 でもそんなものは幸せになるための枷でしかなかったのです。 こうでこういう形でなければならないという思考にいつまでも囚われているからそれが良さそうに見えたとしても目の前の状況を何

          自分から幸せを奪っていくのはいつだって自分だったのだと。

          「スランプ」は影響ベースで捉えることにより緩やかにやってくる

          なんか調子よかったのにいつの間にか調子悪いことになっていって調子よかった以前の状態にすら戻るのが難しい状態に陥ることって結構あるんですよね。 なので、色々試してどうなると調子が悪くなるのかとか、そういう兆候みたいなものを記録して自分で実験していたわけなのですが。 周りに影響されてだとか、こういう食べ物食べがちだなだとか、原因は色々あったわけですが、一番に影響が顕著だと思ったことはそもそもの話、影響があまりないから大丈夫というマインドそのものにあったということです。 実際

          「スランプ」は影響ベースで捉えることにより緩やかにやってくる

          いつからだろう。あらゆる物事に対して独自性を求めるようになったのは。。。

          ふと思ったんですよね。子供の頃って何かにつけてマネしてたなって。テレビに出てくるキャラクター決めポーズ、口癖とか。周りにいる友だちだったり大人たちの言葉遣いだとか。 いつからかそういったことしなくなったなって。 でもあの頃が幸せだったことのひとつにそういうこともあるんじゃないかって。 それは大人になるということかもしれない。まあ真似を辞めたひとつの理由に、自我の芽生えはありますよね。ああ、大人の言うことでも絶対じゃないんだなっていう。 そこから段々と周りを少しずつ疑っ

          いつからだろう。あらゆる物事に対して独自性を求めるようになったのは。。。

          「向き合い」の本質は「死」を常に意識するということ。

          自分が何のために生きているのかも忘れて気持ちいいことに浸っていると気持ちいいのに自己嫌悪に陥るのは何故なのでしょうね。 そういう生活をしているとふいに死にたくなったりするわけですが。きっと不意にやってくる死にたくなる感情は「死」から目を背けることに対するより戻しなのかもしれないなって。 いつ死ぬか分からない状況ならそういうことを思うことはあまりないのかもしれない。或いは身の回りに存在するものが当然にあるわけでないと強く自覚出来ていたのなら。 だから人生と向き合うことの本

          「向き合い」の本質は「死」を常に意識するということ。