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大切なものとは…
「心で見なければものごとはよく見えないってこと。 大切なことは目に見えないんだ」
大切なものは目に見えない。サン=テグジュペリはそう語った。星の王子さまの全体のテーマはいわゆるこれなのだ。
でも、僕は星の王子さまミュージアムでその価値観は少し違うのかもしれないと思った。
なぜなら、星の王子さまミュージアムで星の王子さまのグッズを買ってる人がいたからである。
一見普通のことだと思っただろうが、ちょっと聞いてくれ。
「目に見えないもの=大切なもの」がテーマの作品なのに、「グッズを買う」という「大切なものを可視化する」といった行動に矛盾が生じていると思わないか?
これでは結局、人は目に見えていないと大切にできないという答えに結びついてしまう。だからこそ「星の王子さま」の「目に見えないもの=大切なもの」が重要なのかもしれないが…
もちろんグッズを買ったファンは星の王子さまが好きだから買ったのだろう。でも、僕のように感じる人は少なくないはずだと思う。少なくなかったからこそ、グッズが売れず、星の王子さまミュージアムは廃園してしまい、皮肉にも目に見えないものになり、結果訪れた人の大切なものに昇華したと言える。
一方
僕の好きなクロマニヨンズのバンドはこう語った。
見えるものだけ
それさえあれば辿り着けない答えはないぜ
ずっとここには ずっとここには
時間なんかなかった
ザ・クロマニヨンズ
見えるものがあれば、答えは自ずと見つかる。そして、そこに時間なんか考えなくても良い。そういう解釈ができる。
これは、「グッズ」という「見えるもの」を辿れば、「好きなもの」つまり「答え」に辿り着くと解釈でき、そこに時間の概念は必要ないと言ってるように感じる。
「大切なもの=目に見えない」というテーマは「大切だったら目に見える形にしてはいけないのか」という問いとても弱い。
じゃあ大切なものってなんだろうか。
お金をかければ大切かと言われれば、そうなのかもしれない。でも大切なものをグッズ化して所有欲さえ満たせれば、飽きて別なものを好きになる人もいるように、大切なものがコロコロ変わってしまう人もいる。
そう言った意味では、「大切なもの=目に見えない」ってした方が、思いが強いからこそ、「目に見えなくても信じられるものが大切」ってなる気もする。でも「思いは見えないからこそ、どうしても可視化させたい。」という人もいる。堂々巡りだ。ここに答えがないような気がする。
そこで、考え方を変えるためには大切なものについての星の王子さまのもう一つの答えを提示する。
「君が時間をかけて育てたからこそ、そのバラは大切なんだよ」
「時間をかけていれば大切か」と言われれば、それについてはYESだと思う。これは大切なものを定義するいいきっかけになりそうな発想だ。
急に大切なものを見つける人もいるだろう。それは否定しない。でも、時間をかけてやってることはその人にとって大事なものだと断定しやすい。
なぜなら「命=時間」と考えれば、自分の命を犠牲してまでやっているからだ。
じゃあ一旦「時間をかける=大切なもの」としよう。
時間をかけてやっていること一覧
・仕事や勉強
・家族
・友達(恋人)
・趣味
・生活のアレコレetc
ご飯を食べたり、うんちをしたり、仕事をしたりすることは、生活の上で時間をかけてやることだが、でも大切ということじゃなく、どちらかと言うと必要なことである。
じゃあそこから、必要を取り除いていくと、浮き出るのは
・家族
・趣味
・友達(恋人)
ここらへんに行き着く。他に考えがあるかもしれないが、でもコレらは【大切なもの】と定義できそうだ。
「時間をかけてるもの−必要=大切なもの」
これが結論なのであろう。
だからきっと星の王子さまはこういう話なのだ。
星の王子さまにとって必要じゃないし鬱陶しいからバラを見捨てた。だけど必要じゃなかったからこそバラが大切だった。
目に見えてる見えてないは、本当は重要な要素ではなかったのだ。
だから一旦は
「時間をかけてるもの−必要=大切なもの」
ということで終わらせようと思う。