夏になりますね
英語の勉強をしていたら、いつの間にか夜になっていた。勉強といっても受験勉強のようなガツガツしたものではなくて、何となく問題を解いたり、シャドーイングをしてみたりといったゆるーい勉強。そういう計画性のないことをするのが、今の自分の特権だ。
考えなければいけないことはあるけれど、考えていたらきっと考えすぎて自分が腐ってしまう。それなら何かほかのことを、それがたとえ逃げだとしても、やっていた方がいい気がしているのだ。
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夏が来る前にという記事を書いたのが最近だと思ってたのに、もう7月1日になっていた。夏はすぐそこ、というか、もう夏真っ盛りに思える。連日の暑さに参ってしまっている人だっているだろう。日向に出ると「ああ、そういえば夏の日差しはこんなジリジリしたものだったな」と思い出した。
エアコンのきいた部屋から外に出たときの、あのモワッとした感じを久しぶりに体感して、だんだん身体が夏仕様にシフトしている気がした。夏の朝の少しだけジメジメした感じ、ラジオ体操に行くのを面倒くさがっていたときの気持ちが掘り起こされる。あぁ、夏なんだねと身体の感覚が理解していく。
それに伴って、冬までにはなかった「何かしたい」「ちょっと頑張りたい」という意欲がわいてきた。ずっと気分がふさぎ込んでいたし、何かを始めることなんてもう面倒くさくて嫌だと思っていたのに、最近はちょっとだけ調子がいい。「少しお出かけしてお散歩しようかな」みたいな余裕が出てきた。
余裕が生まれると同時に、自分が今まで考えてこなかったこと、考えないといけないことにも少しずつ目をそらせなくなってきた。春から大学を休学しているけれど、次の学期はどうするのか、この先何をして生きていくのだろうという、漠然とした不安がずっとどこかで漂っている。
それはきっと向き合うべきことだ。けれど、そういう不安をすべて取り除くことは、今すぐにできないし、複雑に絡み合ったその不安をぬぐい切れるような”はっきりとしたきっかけ”はどこにも落ちていないことを、学校に行けない時期を3回経験してみて、わかっている。
したいことだけして生きていくことはできないけれど、限られた人生の中でしたくないことをし続けて生きていきたくはない。自分は強欲だと常々思う。けれど、それを叶えたいとどこかで考えている。イユの新しいこと、Gaitouの夏仕様の文章たち、もっともっと、自分にはしたいことがあるし、それができるだけの気持ちが夏仕様の身体には備わっているみたいだ。
だから少しずつでも、外に出て行ってみたい場所に行く。食べたいものを食べる。なってみたい自分になるために努力するというと少し大げさだけど、頭だけで考えていると暑くてぼうっとしてしまうから、行動を先にしてみようと思っている。
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まずは夏のはじまりということで、私はOrangestarさんのHenceforthを聴いた。夏になれば向日葵が咲くのを楽しみにするみたいに、夏の音楽を聴くのもいいんじゃないだろうか。
どんな夏になるのか分からないけれど、自分がしたいことをできる限り叶えていけたら、なんて考えている。読んでくださったあなたとも一緒に、少しずつでもいいから夏を楽しんでいきたい。だからこそ、そういう暮らしにそっと寄り添えるような文章や写真(そして勉強記録たちも!)を更新していく。
とにかく、何を伝えたいのかというと、夏になりますね、というあいさつでした。