だらけた日にしかわからないこと
夢を見た。
14時まで眠りこけていた私の夢は、今では全く関わりもしない人たちで溢れていた。高校1年生のころに話したことのあるクラスメイト。小学校のころよく席が隣になった男の子。見知らぬコンサート会場、はたまたゴミ捨て場のような駐輪場。
人も場所も脈絡もない夢が終わり目が覚めたとき、どうしようもなく自堕落な部屋が目の前に横たわっていた。
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思えば、いつからか夢を見ることが減った。12月の今ごろは全く見ていなかったと思う。見てもすぐに忘れてしまう。忙しいと夢は見れない。
小学生のころは、眠りにつくのが難しくて、空想世界の物語を作るうちに寝る、というのが夜のルーティーンだった。いろんな夢を見ていたはずだけど、何も覚えていない。忙しいときの今と比較すると、小学生の私は相当ヒマだったのだな、と思ってしまう。
一人暮らしの今、小学生のヒマよりももっとひどい生活だ。もう見たことのあるゲーム実況を垂れ流し、買い置きしたお菓子を主食に寝転がる。そのまま夜が来る。12時に来ていた電話に気づいたのは17時で、さすがに外界の情報をシャットダウンし過ぎかとも思う。
「ほんと何もしてない私」
昨日、マックで友だちに愚痴った。大学行ってるじゃん、テスト受けたじゃん、えらいよ、すごいよ、と友だちは私を励ましてくれた。次の日の自堕落な私を見ても、そう言ってくれるだろうか。
それでも、だらけた生活は、なんだろう、私に必要な何かをくれるのだ。ちょっとこのままじゃだめだと立ち上がって掃除機をかけたり、お風呂を掃除したり、久しぶりに冷蔵庫の中身を整理してゴミを出しに行ったり。そういう、忙しいときには無視されてしまいそうなタスクたちがイキイキと輝くのは、だらけた日にしか味わえない感慨なんだと。
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お風呂を沸かして、きちんとお湯が溜まっていくのを見る。手帳に新しく買ったインクで試し書きをする。しばらくログインしてなかったゲームを開く。
毎日が新しい刺激の連続のときは気付けない、私が私としてつながっていく感覚が、そういう行動に潜んでいる。私はこういうことが好きだった、私はこういうのにうんざりしてしまう……、だらけた日は自分の気持ちの地図を作ってる日、だと思いたい。
ココアを入れるとき、「ホットミルクをつくるとできるこの膜はなんだろう」と思って調べたら名前が「ラムスデン現象」という案外ゴツい名前だった。そういう小さな発見を大事にしたい。