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INFJが、自分は人と違うかもしれないと思ったときの話


INFJの私が、初めて自分は人と違うかもしれないと思った時のことを書こうと思う。

「おジャ魔女どれみ」というアニメを知っているだろうか。
このアニメが放送開始したのは1999年。私は6歳だった。
天真爛漫でドジっ子な少女のどれみがある日突然、魔法使いになってしまうという話を簡略的に説明された予告CMをたまたま目にした。いかにも子供向けであることを全面に押し出されたソレを観た私は「うわー、なんかすごい子供っぽいアニメ始まるやん。つまんなそー」と思った。

と、同時にハッする。
「え?うち小1やん。絶対このアニメのメインターゲットやん。これをくだらんアニメやと思ってしまううちの感性っていったい…。」と。
今、あの時の感情を言語化するとしたら「愕然」が1番しっくりくる。私は、子供ながらにこれからの長い自分の人生を想って愕然としたのだった。

結局そのまま興味を持つことなく放送が開始したのだが、惰性で観たり観なかったりしていたので友達の話題にはついていけなかった。少しの疎外感はあったが、友達に合わせて観ようという気は起きなかった。
小学生の頃は、モーニング娘。が流行っていて周りの女子は全員好きだった。私はそれにもまったく興味がなく、女の子が女の子を応援するっていったいどういう気持ちなのかが理解できなかった。

どうしていつも、みんなが興味があるものを好きになれないんだろう。

これが私の悩みだった。正直なところ、なんでみんなそんなくだらないものに夢中なんだろうと見下す気持ちすら持っていた。

そんな私が当時好きだったものはなんだろうと思い返す。
おジャ魔女どれみと同じ1999年に小説の第一巻が発売された「ハリー・ポッター」は外せない。調べるとハリポタの対象読者年齢は10歳以上らしい。映画化された2001年以降は誰でも知っている超有名作品になったが、当時は、6歳で原作を読破している同級生はおらず、感想を言い合える相手が母親しかいなかった。母親自身も買い与えてみたものの、読み切れるとは思っていなかったようで、すぐ読み終わってしまったことに驚いていた。

周りとは話が合わず、いつも漠然と孤独感に苛まれていたのでよく自分がハリポタの世界に行ったら…と妄想ばかりしていた。そして11歳になったらホグワーツから梟がやってきて、入学の招待状が届かないかなー、なんて夢見ていた。

おジャ魔女どれみはくだらないと思う一方で、ハリポタの世界は心のどこかで本当にあるんじゃないだろうかと淡い夢を抱く精神年齢がちょっと高いマセガキの誕生である。精神年齢が中途半端に高いばっかりに、周りを見下してプライドばかり高くなるが、内向的で傷つきやすい繊細な子供だった。今思うと弱すぎて生きづらくて当然である。

この内面の高慢さと現実とのギャップが薄れ、少しずつ生きづらさが無くなってきたのはごくごく最近だ。むしろまだその渦中にいると言える。その一端として、MBTIを用いた自己分析や他者分析は大いに役に立つと感じている。だが、そもそもTe(外向思考)が弱くてまともに勉強をしてこなかったので、自分の得た知識がちゃんと合っていて活用できるのか自信がない。そこでこのnoteで、定期的にアウトプットしていくことで知識の継続、研磨を図っていこうという試みである。


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