隠れ内向型にんげん達の憂鬱
おはようございます。いつもタツオの300秒で目を通せる「おはnote」
先日、副業的なものの繁忙期が終わったので、頻繁に趣味のnoteを更新できるようになって嬉しいね。
じゃあ早速、「おーい!!」
イチモツ・コタロー:「タツオ先生お久しぶりです」
いつもタツオ:「あれっ。コタローって眼帯してたっけ??どこの戦で破れてきたんだ?」
イチモツ・コタロー:「…。私のキャラ力に疑問が生じたとかって、先生が私の顔に落書きしたじゃないですか。どうせ三国志とか戦国大名とかの影響を受けたんでしょ」
いつもタツオ:「まぁ90%は正解。10%は僕が飽きっぽいからだよ。しかし、眼帯も良いがへの字の口元もイカしてるよ。営業マンには不向きだね」
イチモツ・コタロー:「仰る通りです。人は驚くほどにパッと見で判断しますからね。しかしながら私は外向的な性格では無いので、これはこれで結構気に入っております」
いつもタツオ:「ほぅ。心理療法士のカール・ユングってオッサンが、人間には外向的な人間と内向的な人間の2種類がいるって説いてたな」
イチモツ・コタロー:「私は内向的です。疑う余地がありません。タツオ先生は営業マンでもありますし、小中高大と集団スポーツのサッカーをやっていた点からも外向的な方ですよね?」
いつもタツオ:「そう思う?それが実は超内向的な人間なのだよ。そうだなぁ、隠れ内向型にんげんとでも言っておこうかな」
・今日は「隠れ内向型にんげん」について、ちょこっと深掘りしてみよう。
そんじゃ習慣として、一先ずググる前に自分の頭で考えようかな。まず、外向的と内向的。この二つは根本的に脳の構造が違うと推測する。
思考の進行が自意識(自分の主観的な世界)の方に進んで行くのか、外側(自分の外の世界の事実)に進むのか。この認識は、昔ちょこっとだけユングの本を読んでたから、僕の場合はその影響が強い。
他人と一緒にいると元気になるのか、ひとりで散歩している方が元気になるのか。それぐらい違う。
じゃあ早速「内向型 外向型」とかでネット検索で調べると、記事の量も豊富。中でも目を引くのは診断テストの多さだ。
上から順に3個くらい目を通すと似たようなテストが載っていた。
このテストの正確さは僕にはわからないんだけど、僕はやや内向的だったな。
質問の中には、外向型の人は集団でいる方がエネルギーが充電される的なことが書いてあったけど、マジで理解できないもんね。
僕の場合は集団でいるよりも2、3人でいる時が一番楽しいし、エネルギーチャージなら絶対ひとりでいた方が鋭気を養えるでしょ。
職業柄、努力の賜物によって外向的に見せている人は沢山いると思う。
だけど、僕の狭い世界では、根っからの外向型にんげんって少ない様に思われる。(これは勝手な見解で客観的なデータを基にしていない。イメージとして日本人は内向型の方が多いんじゃないか?)
時として、人から見える自分の姿と、自分から見た自分の姿とのギャップに疲弊してしまう人もいるのだろう。
そう、ピンときた人もいると思うけど「ジョハリの窓」だっけ?それだよ。(スマン、いい加減で)
心とは裏腹に、どうしてもビジネスになると外向型を装わなければならない時が多々ある。(僕の場合は「超絶くそ野郎の流儀」なんて打ち立てているので、日々「フェイク力」を磨いていることもあって近頃はストレスも感じなくなってきた。)
こうして内向的とは思われない様に外向的に振舞っている「隠れ内向型にんげん達」が、日々この日本社会で大量生産されているのだ。
ただ、ひとつ朗報があるとすれば、近年のsnsなどが広く普及したことだ。
勝手な見解だが、ブログとかnoteとかって内向型の人の方が多い気がしていて、あながち間違いでは無いと思うんだ。(根っからの外向型の人だったら、ブログ書いてる暇あったら人と会ったりパーティーに出かけちゃうよ)
色々と弊害はあるのかもしれないが、自分本来の姿を誰もが発信できるようになったんだと思うよ。
僕の様につい最近までネットアレルギーだった「ネット原人」ですらも、匿名アカウントを作ってこうして持論を発信してるんだから。(毎度、僕の造語だらけでスマン)
最後まで読んでくれてありがとう。
皆んながアウトプット(情報発信)をもっともっと手軽に楽しめる世の中になるといいね。
余談だけど、もしかして現代はコタローの様に自他共に認める「内向型にんげん」の方が、「隠れ内向型にんげん」よりも抱えるストレスは少なかったりして…。
さて、「内向型の人」も「外向型の人」も、果て又「隠れ内向型の人」「隠れ外向型の人」、今日も1日張り切っていきましょう!
-おしまい-
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