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旅立ちの春

寒の厳しい1月末
梅花のつぼみが膨らみ
数輪ほころび始めたころ
大きなリスクを承知で
父を自宅に
連れて帰れました

この機会を逃すと
二度と帰宅は叶わない
そんな
ぎりぎりの決断でした

<回想>
昨年の9月・・
私がムカデに噛まれ入院し
呑気に大騒ぎしていた
同時期に
父は東京で心筋梗塞を発症
緊急入院し
ステントを3本入れて
一命をとりとめました

本来、成功率も低い
危険な施術にもかかわらず
奇跡的にうまくいき
僅か2~3日で
退院したのです

そこで、末期がん宣告と
余命が限られていることを
知らされたようですが
私たちには
話さなかったのでした

しばらくして
左半身のマヒが起こり
脳腫瘍が出来ていると判明

あれよ、あれよ
という間に
容体が悪化し、またしても
緊急搬送されたときは
手の施しようのない状態

その時点で
初めて
私たち家族に
知らされたのでした

世間は
クリスマスムードに包まれ
誰もがハッピーなイベントに
ウキウキとしているとき

私は次男と一路
東京へと向かうのです

ある日
突然の電話で

末期がんで
亡くなりかけています
時期的に
大変だとは思いますが
お身内にはどうしても
御来院いただかなければ
なりません

そう告げられて、混乱しながら
空路を急いだのです

到着してみると

コロナにも罹患しており
肺炎も併発している
全身癌なので
面会はできません

???
え・・・・
いや、よくわからない

今にも
亡くなろうとしている父に

駆け付けたのに

会えないの・・?

コロナだから・・?

じゃ
なんで、なんで
呼ばれたの

会えないのに
なんで
呼んだのよ‼️

わずか5M先の病室に
父が居ることは
わかっていました

苦しい息の中
携帯に電話がはいり

声というより
息・・で話しているの

「お水・・お水が飲みたい」
と・・・

大急ぎで購入し
看護師さんに
託した・・

電話の向こうで
ピーピーピーピー
と、
アラートが鳴りやまない

不安にさせる
嫌な音に聞こえる


胸の前で手を祈るように組み
ローカから声にならない
「頑張って」を送り続けた

しばらくして
担当Drから呼ばれ
別室に入り
説明を受けました

簡単に言うと
「延命措置をするか
しないか」
でした

回復の見込みがあるのなら
全力で取り組むが
その見込みのない方に
施しても
苦痛を与えるだけ
なのだそうです

父はすでに
亡くなってもおかしくない
身体状況らしい

心肺蘇生で肋骨骨折したり
人工呼吸器をつけると
簡単に外せないことは
叔父のことで承知していましたから
お医者様の
言わんとするところは
理解できます

本人を苦しめるだけだ

生きていて欲しいけど

苦しんでは欲しくない

何より、すぐそこに居て

絶え絶えでも
携帯で話せるなら


コロナにかかっても
いいから
会いたいと
心の中で叫んだ・・

でも、口から出たのは
「はい、希望しません」
でした・・

コロナ禍で会えない家族は
これまでにも

これからもいる・・


理性が何とか冷静な
判断をし
答えを出しました

帰りの道すがら

近くにある神社に
お参りし

どうか、せめて
父の苦しみを
軽くしてあげてください

そう願い
泣きながら来た道を
泣きながら帰りました

クリスマスの晴れやかな
音楽と街並み
どれも灰色に見え
違う世界から
のぞき込んでいるような
錯覚すら感じ
無為な時間を
心に貯めていきました

あきらめにも似た
憔悴から
ふと
覚めると

今日か、明日かと
言われていたのに
父からは電話が来ます

もう何日も
お水しか飲んでない

ご飯を
食べさせてくんないんだ

1日500ccのお水だけ

もうガリガリにね
痩せちゃったよ

と・・・

点滴が外れてばかりで
痛くて仕方がない

とも・・・

あれ・・?
なんか可愛く
元気になってきてないか?

ぶちぶち、イイながら
甘えた感じなんです

そうこうするうち
新年となり

「きょーねー」

「お粥が初めて出たっ!」と

嬉しそうに話す声は
「声」になっていた

不思議なもので
これまでは
「息」の音でしたが
わずかでも食事したことで
「声」になる
元気が出たのです

「ただねー」
「障子張りのノリ」
なんだよぉ・・・と

「米粒は3つぐらいしか
    入ってないんだ」
ですって…www


それでも
どんなに嬉しかったことか

これまでは
なにか食すと
下血となり
輸血を度々していましたから
食べさせたくても出来ないと
聞いていました


それが少しずつ
米粒の入るお粥になっていき

そんなある日
またしても突然
受け入れ先の病院が
決まりました
お父さんの病状も
わずかながら
安定しているので
今スグなら、帰れます

との連絡に
何もかも
予定をキャンセルし
次男が迎えに上京しました

父の肺は気圧の変化に耐えられるのか

心臓は大丈夫か・・

先日のステントからの影響で
血栓が頭に飛べば
空中で亡くなる可能性がある

そうなると機は
引き帰すのだそうです

結果として、遺族には
そのかかった経費を
賠償せねばならない

そんなリスクを冒しての
強行軍であると記した
医師の手紙を
帯同しての帰路です

状況から
事件性を疑われかねない為
警察からの疑いを避けるための手紙らしいのです

先日のブログで簡易に
報告しておりましたが
このような危険の中
父を家族のもとに
連れて帰りました

長くなりましたので
つづきは
次回に・・


最後までご覧くださり
ありがとうございます

Bauntfulet
sennninnkame
亀井速水





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sennninnkame亀井速水
毎日の重ねから私なりの 「思い」を綴っております 少しでも「あなたの」琴線に 触れるものがあれば幸いです 読んで下さり、ありがとうございます