自分という標本
それでも創作をする。
現代、いやいつの時代でも表現することは冷笑の対象であり、馬鹿にされ続ける。実際自分も何度言われたかわからない。
歌が下手だから歌わないほうがいいよ。
君の声は通らないし向いてないね。
君の言葉の言い回しくさいんだよね。
バンドなんてやってるんだね。
売れるわけないのに。
ざっとこんな感じ。
先に言っときたいのだが、この文章はぜったいに売れてやるんだ!という
意気込みを孕んだものではない。売れるか売れないかは、創作をした後の話であり創作をするかしないかの話ではないからだ。
仮にも曲を作る身分であり、コードを、メロディを、言葉を探していく道を僕は辿っている。
人と生き、人と自分を生かすための行為だ。
別にこれをビジネスにしたいとかこれで可愛い女の子と結婚したいとかは本当にない。
ただ自分と人をつなげ、人生の傍らに音楽を置いておきたいのだ。
音楽はやはり不思議な力を持っている。
国家を転覆させるような力ではないが、今にも死にそうな人間に一筋の光を授け、背中を押すのではなくただ隣を歩いてくれるような光だ。
何人の人間がこの力に救われてきただろうか。
しかし音楽は決して神様なんかではなく、ただ人間が持つ光を音にしたにすぎない。
音楽は媒体だ。人の光をただ反射する鏡だ。
人間の輝きだけを僕は信じる。空っぽの鏡にはさほど興味がない。
ただ自分が音楽を作る側になることは、やはり簡単なことではなかった。
自分の中に存在する創作意欲、その炎が消える前にギターを手にとり、
スマホや手帳のメモを開く。なんとかコードを紡ぎ出し言葉を選ぶ。
そしてやっと思いで作り出した一曲は、自分の心にすら響かない悲しいノイズとなるのだ。
そして次にやってくるのはどうしようもない虚無感と周りからの視線。
だからバンドなんてやめとけばよかったじゃん。
歌わないほうがいいんだって。
何が言いたいかわからない。
才能がある人間なんてほとんどいないんだよ。
気づけばまた僕は、緊急手術室に運ばれたいた。
数々のメスが僕の心に入ってくる。
麻酔はまるで効いていない。
傷口は開き、頭痛は止まらない。
はあこんな世界はやっぱり終わるべきだ。
なんだが眠くなってきた。
目が覚めるとそこにはいつもの青い空が広がっていた。
また世界が生まれ変わったようだ。
傷口は無理やり塞がれている。
友達は笑い、自分の心に言葉が芽生え、写真の中の祖父は相変わらず微笑んでいる。
ああまた世界は変わっていなかった。
また僕は靴を履く。
お気に入りのドクターマーチンが玄関で僕を待っている。
また歩くべきだ。
学校へ、バイトへ、音楽へ。
目に見えない悪口と、目に見えるグロテスクを注視しながら道を歩く。
そういえば今日はビートルズが聴きたい気分だ。