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馬鹿の山の効用

※長いって人はまとめの項だけ読めばOK

前置き

ダニング=クルーガー効果

度々、話題になったりもするので知ってる人もそれなりに居ると思われる認知バイアスの一つ。
縦軸が自信、横軸が理解度で、人は何事も学び始めたばかりは自己評価の精度も低く、自身を過大評価してしまうという話。

ダニングさんとクルーガーさんが行い、イグノーベル賞を受賞したこの実験、どうも近年では、そこまで極端に表れるものでもなくね、と突っ込み入ったりしているし、能力が低い人に限り陥るものでもないよ、と注釈も入ったりしている模様。

ただ、左から順に「馬鹿の山」「絶望の谷」「啓蒙の坂」「継続の大地」と名付けられた曲線は、なかなか言い得て妙でもあり、引用されることも多い。
なお、この曲線自体は論文に引用されていたものではなく、話を分かりやすくするために後から作られたものらしい。

スランプとプラトー

スランプはある程度、物事に熟達した人間が一時的に陥る不調。
プラトーは初心者、初級者が初期の上達しやすい期間を過ぎて、目に見えた上達がしにくい伸び悩み期に入ること。

昔、某野球監督がスランプと未熟は違う、スランプなんて超一流しか関係ないとか言ってた記憶が(うろ覚え。
その監督の基準だと超一流以外はプラトーということなのだろう。

絶望の谷とプラトーの重複

ここから本題。
初中級者の定義を馬鹿の山をギリ越えるか超えないか辺りのレベルとしてみる。

そうすると自分の実力を思い知り、絶望の谷に入った段階と上達が目に見えにくくなるプラトー期が重なるんではないかなと。
(上達の進度は人それぞれとは言え、時期的に重複する可能性は高いと思う。)

つまり、初心者は身の程分からず、勘違いしていられる所もあるからまだマシだが、絶望の谷から勘違い出来なくなった初中級者は、フォロー少なく、立ち位置を分からせられつつ、自身のプラトーにも向き合うような険しい状況になるのでは、、と。

昨今はネット対戦がスキルベース、同じくらいの実力でマッチさせれば良いよね、みたいな流れ。
また、ネットやSNSでいくらでも自分より結果を出してる人の姿は目に入る。
そうなるとプラトー期のプレイヤーはさらに上達を感じにくい。

初心者には入り口になる情報が用意されてることがある。
でも、その先の初中級者までフォローしてるケースが多いとは思えないので、今の環境では初中級者くらいの方が過酷かもしれない。
(サブアカ作ってランクマ回すようなスマーフ行為の類も、この辺に由来してそうではある。)

そんな状況でも継続していくには、「オレ、コレガスキ、タノシイ。」みたいな楽しいと好きの原体験、原始的な自分の動機のようなものが要る。

出来れば最初の方で身の程知らずに馬鹿の山を登りながら、純粋な動機集めておくのが大事かもしれなくて、その辺を原動力にするのが健全だよね、と個人的には以前書いた話と似たような結論。

現実はセンス〇だけでは乗り越えられない

何かにある程度の期間、取り組んでいると、あ、自分よりセンスあるとか、コツ掴むの早いなとか、そういう人に出会うことがある。
ただ、そういう人ほど急に見かけなくなることも珍しくなくて、あの現象は何なのかなと。

以下、それに対しての自分なりの推論。
センスある人ほど、あっという間に初心者から初中級者の段階に入る。
つまり、爆速で馬鹿の山を登り、駆け下りてしまう。


結果、取り組んでいる対象について、純粋に楽しい、好きの原体験を拾い集める間もなく、ストイックさも要求される段階に突入。
そうなるとモチベーション管理が難しくなるのは想像に難くなく、最初に早く上達出来る事には、それなりのデメリットもあるのかもしれない。

いきなりランクマは自己評価が歪む

未熟な状態では自己評価の精度も低い。
なのに、最近の対戦ゲームとか、下手したら、いきなりランクマッチに行くからあまり良い状況ではないと思う。
(バトロワ形式は、ある程度、それを緩和するための発明ではあった。)

馬鹿の山を登ってる途中の者同士、互いに自己評価の精度も微妙なプレイヤーで段位とポイント競って、さらに自己評価が定まらないからこそ段位やポイントに縋るようになって、と負のループになりやすく、それ歪んでない?と。

ランクマやるのが当然みたいなのは基本的に経験者だと思うので、初心者や数字の取り合いに疲れた初中級者は、目の前の対戦にだけ集中し、カジュアルマッチやルームマッチなんかを選択して、長く続けること、自分がそのゲームを好きでいることを何より優先しても良いはず。

数字や短期の期限といった有限の目標は焦燥感を加速させ、また達成後も燃え尽き症候群の原因になる事もあり、ただ辛くなるだけなら、それは目標設定を間違えている。

具体的な目標なんて所詮は手段に過ぎないわけで、そういう時は最も重要な自分の目的が何なのかを考え直す必要があると思う。

まとめ

 ダニング=クルーガー効果の曲線で言う所の馬鹿の山の段階で、ある程度イキってしまうのは、初心者のモチベーション維持にはメリットもある。(周囲に迷惑かけない前提で

 馬鹿の山を越えたら、もう勘違いは出来ず、フォローも少ない。
そこに目に見える上達が落ち着いてしまうプラトー期が重なる可能性も高く、その先はおそらく険しい。
加えて昨今はネットでいくらでも自分より上手い人たちの姿は目に入る。
初心者の入門よりも、その一つ先、初中級者が生き残るのに過酷な時代かもしれない。

 センスがある人は爆速で馬鹿の山を登り、駆け下りてしまう。
結果、楽しい、好きといった原体験の欠片を拾い集める期間が少なく、ただ険しい段階に突入する可能性がある。
センスある人のモチベーション管理が難しくなるのは、そのせいでは。

④ 馬鹿の山を登ってる段階の人間同士に段位やポイントを競わせるのは、あまり良い影響があるとは思えない。
何も考えず、自分が打ち込んでいることを好きでいられる、続けられる選択を優先して良い。

あとがき

ダニング=クルーガー効果の曲線は定期的にTwitterなんかでバズっては流れてくるのだけど、少し違う話と組み合わせてみたら、自分の中で疑問が氷解した所があったので書いてみた。

それと原体験の欠片の例として、タノシイ、スキとか前向きなものを挙げたけど、コイツ、〇スとか、殺意と憎悪の塊みたいな感情が混じっても構わない。というか、愛憎入り混じった強い感情と経験、それをコントロールしてなお目的を達成しようとする意志、その辺が人間の強固な理由になるとも思う。(きれいはきたない、きたないはきれい)

あと各方面、イキり警察の方達におかれましては、初手からMAX全力の棍棒で殴りにいくんじゃなくて、少し目に余るなと思ったら、小突いて黙らせとく、くらいで留めるのが時に優しさなんよ、とか思ったりもする。




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