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ルソー『人間不平等起源論』解説(2)

はじめに

 新刊『NHK100分de名著 苫野一徳特別授業 ルソー「社会契約論」』出版記念として、ルソー『人間不平等起源論』の解説第2弾をお届けします。(『エミール』の解説もコチラでしています。)

 苫野一徳オンラインゼミで、多くの哲学や教育学などの名著解説をしていますが、そこから抜粋したものです。

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【第2部】

1.不平等の始まり

 第1部で詳論された、人類の幸福な野生時代は、しかしやがて終わりを迎えてしまいます。

 なぜか?

 ルソーは言います。

「ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人こそ、市民社会を創設した人なのである。」

 「富者」ひいては「王」の誕生です。

 なぜそのような人物が登場することになったのでしょうか。

 ルソーはその起源を次のように考えました。

 先述したように、人類は、ある頃から、洪水などの理由で限られた場所に共に暮らすことを余儀なくされることになりました。

 するとどうしても、互いに競争心が芽生えます。集団で暮らしていると、もっとも美しい者、もっとも強い者などが、尊敬を集めることになるからです。

「こうして公の尊敬をうけることが重要になり始める。もっとも巧みに歌う者や巧みに踊る者が尊敬され、もっとも美しい者、もっとも強い者、もっとも巧みな者、もっとも雄弁な者が、もっとも尊敬されるようになる。これが不平等が発生するための、そして同時に悪徳が生まれるための最初の一歩となったのである。」

 こうした競争社会では、侮辱復讐が横行します。

 そのため、諍いを避けるための共同体的な「道徳」が生まれます。

 ルソーは、この時代、まだ厳格な「法」はなくとも、「道徳」と「復讐の恐怖」から、人類はある程度共存することができていたに違いないと論じます。

 その意味では、この「世界の青年期」は、人類にとって最も幸福な時代だったと言ってもいいかもしれない、と。

 しかしその幸福は、二つの発明によって破壊されることになるのです。

2.冶金術と農業

 それが冶金術農業です。要するに農耕です。

 農耕が始まると、土地の所有、そしてその分配が問題になります。

 では土地所有はどのような原則でなされたのでしょうか。

 むろんそれは、「自らその土地を耕した者がその土地を所有する」です。

「耕作者がみずから耕した土地の産物を自分のものとする権利を獲得するのは、ただ労働によってのみである。労働によって耕作者は、少なくともその年に収穫を終えるまでは、土地の権利を獲得するのである。これが毎年つづいていくならば、土地は継続的に占有され、それは当然、私有財産になる。」

 ところがこの耕作の際、人びとの能力の違いや運不運が重なって、所有できる土地に差が生じてしまいます。

 貧富の差が生じるのです。

 いったんこの差ができてしまうと、もう元に戻ることはできません。

 富者は貧者を支配する享楽を知ってしまうからです。
 
 しかし貧者も、唯々諾々と富者に従っているわけではありません。

 こうして、富者と貧者による戦争状態が訪れることになるのです。

3.富者の奸計

 が、ここで富者は恐ろしい奸計を思いつきました。

 貧者の憎悪を、自分から外部にそらす手法を考えついたのです。

「こうして富める者たちは必要に迫られて、人間がかつて思いついたこともなかったような綿密な名案を考えだしたのである。それは自分たちを攻撃する人々の力そのものを利用するということだった。」

 外部からの攻撃から自分たちを守るため、自分に至高の権力を与えよ!

 そう貧者たちに向かって言うこと。これが富者の奸計だったのです。

「一言で言えば、われわれの力を自分たちに向けるのではなく、至高の権力へとまとめあげるのだ。」

 貧者たちは、これにコロリとだまされました。

「すべての人は、自分の自由を確保するつもりで、自分を縛る鎖に飛びついたのである。」
「社会と法の起源はこうだったか、あるいはこのようなものだったに違いない。これは弱い者たちには新たな軛を加え、富める者には新たな力を与えるものだった。」

 今や富者は、「至高の権力者」、すなわち王になったのです。

4.新しい自然状態

 こうして、不平等は次の経緯を通って完成することになりました。

「第一の時期は、法が定められ、所有権が確立された時期である。第二は、為政者の地位が定められた時期である。第三の最後の段階は、合法的な権力が恣意的な権力に変貌した時期である。第一の時期においては、富める者と貧しい者の身分が定められ、第二の時期においては強い者と弱い者の身分が定められ、第三の時期においては主人と奴隷の身分が定められた。」

 この第3段階において、王は人民を自らの家畜のように考えるようになります。

 こうなると、不平等は行き着くところまで行ってしまったことになる。そうルソーは言います。

 したがって残る選択は、革命か、合法的な政治になんとか再び近づけるかしかない、と。

「これが不平等の最終段階であり、それ以前のすべての時期はやがてこの段階に到達することになる。これ以後は、新しい革命が統治を完全に崩壊させるか、合法的な政治体制にふたたび近づけるかのどちらかの道が残されるだけである。」

 王による専制を、ルソーは「新しい自然状態」「腐敗の極にある自然状態」と呼びます。

「ここに残されたのは最強者の法のみであり、これは新しい自然状態である。最初の自然状態は純粋な自然状態であったが、ここで到達した自然状態は腐敗の極にある自然状態であるところが違うだけだ。」

 この「腐敗の極にある自然状態」を、いかに「正当な社会」へと変えていけるか。

 これが、続く『社会契約論』のテーマとなるのです。

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