娘の結婚式なんてクソくらえ!by黒板五郎
明日は敬老の日ですね。
私は祖母も祖父ももういませんが、ほとんど祖母に育てられた(共働き家庭だった)ので、実家に行ってこようか迷っています。毎日お線香はあげてるけど、とうしようかな♫
さて、ことばの森図書館の夏休みこども企画、たくさんご参加くださってありがとうございました。まとめはこちらからどうぞ。
記事にも書きましたが、「そうさくしゅうかい所」とは別に「おやこ」そして「かぞく」に特化したマガジンを作成しました。創作時期に拘らず、年齢にこだわらず、「親が子を想う」「子が親を想う」「家族が家族を想う」。そんな創作物をお招きして、疲れたときや少し休みたいときにほっとできるマガジンにしていきたいと思います。
ここのところ「北の国から」のDVDを何度も見ています。
テーマは「親子」「家族」。
見るたびに感じることが変わります。
1度目は「帰郷」から目が離せず、私自身が娘に対して「引け目を感じている部分、心の底で引っかかっている部分をクリアにする時期だよ」とでも言われている気がしました。
五郎は純を東京まで乗せてくれるドライバーに、五郎の手の泥がついたであろう一万円札を2枚渡します。ドライバーはそんなものは受け取れない。記念に取っておくよう純に渡します。純はそれを宝物にして東京で生活していました。
夜間の高校に通いながら働くわけですから簡単なはずもなく、仕事も何度か変えますがなんとか続けていました。周りの流れに抗うことなく過ごすうち、ある日盗難バイクをつかまされて警察に連れていかれます。無実は認められましたが、勤務先の上司が絡んでいたため目を付けられてしまいます。仲間がその上司と金銭トラブルがあり、大事にしていた五郎の土のついた2万円を盗まれてしまいました。「持ってたってお前なんかに渡してやるもんか!」って捨て台詞にプッツンしてしまい、近くにあったスパナで上司を傷つけ傷害事件を起こしてしまいました。
すっかり傷つき、疲れ切った純は富良野に帰りました。富良野、家族、知り合い、自然は、純を純としてそのままの純をすんなり迎えました。そこになんの違和感もありません。
五郎は聞きます。「その取られたものは、相手を傷つけても守りたいものだったんかい。」
純は答えました。「そうだよ。」
「なら、仕方ない。」(だったかな。。同じ意味のことば)と五郎は言います。
親は子どもになにがあっても、世間的に悪く見えることであっても全てを受け入れることができます。許すことができます。許すもなにも、怒ったり拒絶したり、受け入れないということ自体がないのです。
2度目は「時代」から。
事故で亡くなった草太が準備した蛍の結婚式。当日の朝、リムジンが迎えにくると新婦のたった1人の父、五郎は急にプッツンしちゃいます。「オイラへの当て付けかい!札幌からわざわざ。もったいない。オイラはオイラなりに子どもにできるだけのことをやってるんだ。他人にそこまで、哀れまれることはない。」←台詞はあってないと思いますが、こんなようなことを言いました。そして結婚式へは行かないと、さっさといつもの作業着に着替えちゃいました。五郎の親友のなかちゃんと純へ自分の怒りをぶつけ、どうにもコントロールできない自分への怒りをぶつけ、寂しくてどうにもならない気持ちをぶつけ。
五郎を説得するのに2時間半かかり、なんとか結婚式場へ連れて行きました。が、不機嫌なのは言うまでもありません。草太が生前にスピーチの練習をしていたカセットテープが部屋から出てきたと、それを流すことになります。「蛍ッ!お前忘れたらバチが当たるぞ!お前が今生きてーーーーいっちょまえになってーーーー幸せのてっぺんに今いられるのは、みんなお前のオヤジさんのお陰なンだ。」(DVD裏表紙より)これで少し五郎の気持ちが浄化し、ほんのわずかですが平常心を取り戻します。
実は私、次女の結婚式のお色直しの衣装を選ぶとき、せっかく次女が声をかけてくれたのに、どうにも気分が乗らず「うーん、どれでもいいんじゃないかなー」「ママセンスないからなー。うーーん、こっちもいいね」「あっちもよかったしね、次女がいいやつでいいよ」みたいなやる気のない返事ばかりしてました。とうとう見かねた式場のご年配の方が出てこられ「お母さん、お一人で大事に大事にご苦労されて育ててこられたんですよね。」って。それを言われた途端、ぶわーーーーーーって涙が出てきました。あらやだ私、だからふきげんだったのか。。。。自分でようやく気づきました。
3度目は「遺言」から。
行方不明だった正吉が住所を知らせてきました。蛍と快は富良野から正吉の元へと旅立ちます。お見送りのとき、五郎は恥も外聞もなく蛍と快を追いかけます。危険だからと駅員さんが止めるのもかまわずボロボロ泣いて追いかけます。純はやっと気づきます。みっともないと思っていた五郎の後ろ姿を愛おしく見つめます。
これまでの親子関係のなかで、純も蛍も最後には五郎に罪を明かし悔んでいる気持ちをさらけ出します。それを五郎は受け入れるんです。同化するというほうが合ってるかな。おんなじ気持ちになって声をかける。だから子どもは受け入れらたと実感する。それを繰り返し親子は親子となり、お互いを愛しく思う。親子ばかりではなく家族そのものにも言えるのかもしれません。
「やらなければいけないことをやれていなかった」という罪の意識を拭えないでいることがありましたが、決してそれはそうではない。そう思う必要がない。見方を変えれば逆に活用されたとも言える。無意識の中でそう思わせるような何かが働いていたのかもしれない。(抽象的な表現でわかりづらいと思いますが、とにかく私は気になる部分が浄化されました。)
子どもであろうと大人であろうと、この世に生きているということは親がいます。仲良くしていようといまいと、近くにいようといまいと、生きていようといまいと、ふと思い出すさまざまな想いがあることでしょう。
疲れたときに、楽しいときに、嬉しいときに、悲しいときに。
親が子が、家族がそばにいなくても、作品に触れることで少し元気になれるような創作をお招きしていきます。
今回、新しくマガジンを作ろうと思ったきっかけは、まつおさんからのお声がけです。
これは小寿々さんの記事について書かれています。私も以前からそうさくしゅうかい所にお招きしたいと思っていたのですが、作ったのはお嬢さんです。ご自身の創作物をお迎えしているのに当てはまりません。
じゃあ企画は?
夏休みこども企画はこの夏の創作限定でした。
そうか、親と子が想い合う創作物を別のマガジンに集めても良いのか。。
ご存知の方も多いこちらの記事です。マガジンへ1作品目としてお招きしたいと思います。
>小寿々さん、急にお呼びたてしてごめんなさい。ご招待させてくださいね。
それはそうとまつおさんは詩を書かれていますが、先日親御さんを思った素敵な詩をお誕生日に贈られました。
マガジンへのご招待2作品目です。
>まつおさん、いつもありがとうございます❤️
まつおさんは北海道にお住まいです。北の国からは北海道が舞台です。北海道繋がりといえば、この方。これまでの記事をKindle出版して3冊目が出たそうです。ご自身の自伝的エッセイですが、お子さまたちとのやりとりは徐々にこのあと出てくるだろうと想像しています。
yokoさんはお子さんを育てることに誠心誠意尽くしてここまでこられています。詳しくは割愛しますので、yokoさんの記事やKindle本を手にとってみてください。素朴さに魅了されること間違いなしで、その気持ちこそ親と子の間に流れる空気の源だと感じています。
3冊目のKindle本は今無料キャンペーン中だそうです。
そもそも、子どもは親を思っています。もちろん親も子どもを思っています。親はいつも必死です。必死であるが故に見えなくなることもあり、見失うこともあります。その親御さんに光を当てて、道に迷わないよう、疲れる前に休めるようにと心を砕いているのがこの方です。
わあー、こちらの記事では北海道にお住まいだったころに仕入れたレシピ?のご様子です。
メルマガはこちらから登録してみてください。初月は無料でお試しできます。
webマガジンでも紹介されたそうです。
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新しいマガジンとして、ことばの森図書館で紹介してくださいました。
お招きした作品はこちらのマガジンにご招待させていただきます。
たくさんの方に見ていただきたいです💕❤️💕❤️💕
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます! これからもていねいに描きますのでまた遊びに来てくださいね。