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もうすぐ猫が死ぬ
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
ってどんだけ遅い挨拶をするんだ、私は。
そろそろ寒中見舞い申し上げる頃だろ。
ふざけるな。
ということで改めまして寒中見舞い申し上げます。
イツキです。
クリスマス後くらいにうちの13歳の猫が飲み食いをしなくなり、
病院に連れて行ったらガンの末期と診断され、
もう手の施しようがない、
年も越せるかわからない、
と言われました。
あまりのショックに病院でそう言われた時は引くほど泣いて、
顔を大むくみさせながら翌日を迎えたのですが、
まあ覚悟らしい覚悟とは簡単にできるものではないですね。
私は2023年の夏にも一匹、当時13歳になったばかりの猫を腎不全で亡くしていて、
神様は2024年にも残りの一匹を連れて行くのかよ、
私から猫を奪ったら何も残らないよ、
頼むからやめてくれよ、
と思っていたのですが、
何とかかんとか猫は年を越すことはできて、
猫が死ぬのは2025年ということになりそうです。
ここは1年ずれたからなんやねん、という話ですね。
当然死なないでいてくれるのが一番いいに決まっているのですが、
もう食べ飲みがほとんどできず、
腹水も溜まりまくってる猫は、
正直もうそろそろが限界でしょう、
ということろに、います。
私の実家では動物らしい動物を飼ったことがなくて、
(謎に金魚とかフナはいましたけど)
私は一人暮らしをして初めて猫を飼って一緒に暮らしたわけなんですけど、
まあ、動物の尊いこと尊いこと。
猫は犬と違って、
感情がわかりづらいし、
懐かないし、
気分屋だし、
塩対応だし、
と思っていたんです。
飼う前は。
でもそんなことなかった。
猫は、めちゃくちゃに甘えん坊な生き物でした。
一匹目に飼ったのがロシアンブルーという種類の猫の「アナ」で、
昨年亡くなった猫なのですが、
これが超がつくほど甘えん坊でした。
寝る時は私に必ずくっついて寝ていました。
座っていれば膝の上に来たし、
寝ていればお腹の上にやってきた。
冬は同じお布団の中でくっついて寝ました。
常に私にくっついていたい子でした。
アナは感情がすごくわかりやすくて、
人間みたいな猫でした。
高貴で、
気が強くて、
プライドが高くて、
賢くて、
悪いことをして私に叱られると、
じっと私の目を睨みつけて、
足首に噛みついてくるような子でした。
自分が今叱られているというのがわかっていて、
そのままだと腹の虫がおさまらなかったようでした。
6歳の時に腎不全と診断されてからは、
毎日お薬を飲んだり、
自宅で点滴したりするのをじっと我慢してずっと頑張っていました。
投薬も点滴も自分には必要なことだとまるで理解しているようでした。
私のことは、
点滴で背中に針を刺したり、
お薬を無理やり飲ませてくるのに、
死ぬまでずっと大好きでいてくれて、
最期までお母さん大好きっ子でした。
噛み癖だけはずっと直らなかったけど。
それでもアナは私にとっては愛しい愛しい我が子でした。
初めて飼った猫だというのもあって、
思い入れが強くて、
私はお骨を未だに納骨せず、
骨壷のままリビングに置いてあって、
淋しくなったら骨壷から頭蓋骨を取り出して撫でています。
魔女?
アナが一歳の時に、仕事中一匹でいるのは寂しいかなと思い、
二匹目に迎えたのが今死にそうになっているアビシニアンという種類の「ティティ」です。
ティティはアナと違ってプライド0のアホの子でした。
ビビりで臆病。
食いしん坊で超健康体。
アナが高貴なお姫様、王女様という感じだったら、
ティティはおてんば町娘といった感じでしょうか。
でもすごく甘えん坊ではありました。
特にアナが亡くなってからは、
ずっと私にくっついていて、
家庭内ストーカー状態で、
お風呂にもトイレにもついてきました。
抱っこは嫌いだったけど、
私にずっとくっついているという点ではアナと変わりなかったです。
そんな、
そんな尊い猫が、
もうすぐ、死ぬ?
だと?
私は一昨年アナを亡くしていますが、
それでもまたこの時が来たか、
とは簡単には思えません。
すごく辛くて、
心臓が引き裂かれそうなほど痛くて、
胃も穴が空きそうだし、
ティティが死ぬことを考えたらすぐ涙が流れてしまうのです。
この、
初めて猫と暮らし始めてから、
猫がくれた幸せは、
あまりにもたくさんあって。
私は生い立ち的に
「私は一人である」
という意識がものすごく強くあるんですが、
それを和らげてくれたのは猫でした。
どんなに私が辛い状況にあっても、
変わらない深い愛情を注ぎ続けてくれたのも猫でした。
私は男がいなくても生きていけますが、
猫がいなくて生きていける自信がありません。
猫の存在は、
大きく欠けた私の人生の一部を担ってくれていたのです。
もふもふの体。
キラキラの目。
濡れた鼻。
香ばしいにおいの、ぷにぷにの肉球。
体にくるりと巻きつくしっぽ。
感情によって形が変わる耳。
ゴロゴロと甘える声。
そのどれもが、
あまりにも美しくて、
愛しくて、
尊くて、
それを失ったら生きていけないと思わせるには充分でした。
それを今まさに、
私は失おうとしているのです。
気が狂わずにいられる方がどうかしているんじゃないかとさえ思います。
猫に声をかけ続けています。
「大好きだよ」
「愛してるよ」
そう言って撫で続けています。
猫は人間の言葉を割と理解しているという研究を最近目にしました。
どれだけの愛がティティに伝わっているのかわからないけれど、
私は言うのをやめずに撫で続けます。
この手触りを、
抱いた時の重さを、
少し甘い匂いのする頭皮の香りを、
一ミリも忘れたくありません。
けれど私は、
ティティを失ったらすぐに別の猫を飼うと思います。
これを冷たいと思う人もいるでしょうが、
私には、
私の人生には、
どうあっても猫が必要なのです。
私の人生の足りない部分を補ってくれるのが猫だったのです。
猫の存在に大依存しているのが私なのです。
私の心には猫型の穴が空いていて、
それを埋められるのは猫しかいないのです。
日に日に弱っていくティティに、
何もできない、
ということがあまりにもつらいのですが、
この、
ティティの看取りを経験したら、
また私は一つ何かを得るような気もしています。
どうか少しでも苦しくなく、
最期の時を迎えさせてあげたい。
「愛してるよ、大好きだよ」
私は今日もティティを撫で続けます。