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13歳の猫が死んだ

こんにちは。イツキです。
先にお伝えしておきますが何も面白くはない猫が死んだ日記です。

先日、ガンで闘病中だった13歳の猫(ティティ)が亡くなりました。
死に際は大量の吐血をしながらだったので、
相当苦しかったと思います。
私が何もできなくてごめんね。。。
という思いでいっぱいです。
めちゃくちゃに悲しいのですが、
もうティティが苦しむことはないのかと思うと少し救われます。

腹水がかなり溜まっていて
最後の方は自分でトイレにも行けず、おしっこを垂れ流し状態で
ベッドでじっとしている下にペットシーツを敷いていました。
でも微妙に姿勢を変えるので
その度にペットシーツの位置も変えて。
ベッドはペットシーツが間に合わなくておしっこ臭くなっていました。
ティティが死んだらもうこのにおいも嗅げなくなるのかと思うと
おしっこ臭さですら尊かったです。
最後はもう飲み食いも全くしなかったので
いつまでこの状態が続くのが毎日不安でしたが
その日は呆気なくやってきました。

いつものように同じベッドで寝ていると
朝方ティティの吐く音が聞こえてきて、
パッと目覚めるとティティが大量の血を吐きながら横たわっていました。
瞳孔は開き切って、焦点が合わず
ああ、これはもう死んでしまうなと思いティティを抱き抱えましたが
体はぐにゃんぐにゃんで力が入っていませんでした。
すぐに寝ていた彼氏を起こして
一緒に看取りました。
(正確には彼氏が起きた時にはもう死んでいたかもしれません)

その後簡易的な段ボールのベッドにタオルを敷いて寝かせて、
お腹に保冷剤をたくさん置きました。
動揺していたのであまり覚えていませんが、
彼氏が血まみれのベッドの処理(洗濯など)をしてくれました。

その日は友達や家族ににティティが亡くなった連絡をして
お世話になった動物病院にも亡くなった連絡をして号泣し
主治医の先生に
「最期まで本人も飼い主さんもよく頑張りましたね」
と言われては号泣していました。

ペット葬儀の会社に連絡もして
その日のうちに火葬してもらうことになり
ティティといられる時間はあと数えるばかりとなりました。

私はこれまでのティティのことをいろいろ思い出しながら
葬儀会社の人に渡すティティの写真を選んでいました。
ティティの思い出は思い返せばキリがなくて。
うちに来たばかりの頃はゲージから脱走していたこと。
すぐに先住猫(アナ)と仲良くなり、いつもアナとくっついて寝ていたこと。
避妊手術をする前は細くて「猫界の佐々木希」と呼んでいたこと。
避妊手術後に手術着を着せたら立てなくなっていたこと。
避妊手術以降は太りすぎて「もっちり」「わがままボディ」と表現していたこと。
キッチンの三角コーナーからケンタッキーの骨や魚の骨を盗んで舐めていたこと。
しゃぶしゃぶをしていたら肉を盗まれたこと。
アナが病気で病院通いになったらシャーシャー言うようになってしまったこと。
それで友達の家に預けた際、アホの子なのですぐに友達の家でもリラックスしていたこと。
時々肛門腺を絞ってあげないとおしりがくさかったこと。
お風呂が大嫌いで通報されるんじゃないかというほどの鳴き声を上げていたこと。
私がお風呂に浸かっていたら「危ないにゃ!出るにゃ!」と言うようにお風呂場に来て鳴いていたこと。

本当に挙げればキリがなくて、
なんて可愛くて尊い猫だったんだろうと思います。

ティティはアビシニアンという種類の猫で
調べると賢いと出てくるのですが
本当に??????????
というくらいティティはアホの子で、
それがとてつもなく可愛かったです。

2023年にアナが13才で亡くなって
2025年にティティも13才で亡くなって
私は一人になってしまいました。

生き物の気配のしない家。
一人で眠るベッド。
ティティにあげるはずだったごはん。
ティティに試したおむつ。
ティティが使っていた食器、トイレ。
どれも目に映るだけで苦しくて、
涙が止まりませんでした。

猫が、私の生きる理由だった。
猫が私の全てだったと言ってもいいくらい
猫は私に多くのものをくれていました。
私はずっと一人だという感覚があって
それに寄り添ってくれたのが猫でした。
猫は私がいないと生きられなかったけど
私もまた猫がいないと生きられませんでした。
猫は私にとって我が子で
猫の形をしているけど赤ちゃんみたいなもので
ひたすら可愛くて、愛情を注げる存在でした。

それが14年ぶりにいなくなるという恐怖。

一人きりの部屋に私は発狂しそうでした。
喪失感、
なんて言葉では表現しきれないくらい
私には何もない、
死にたい、
アナとティティのところに行きたい、
そう思いました。

呆然としたまま花を買いに出掛けました。
ティティは元気な子だから
黄色とオレンジのお花を選びました。
友達や妹が
「私もその色のイメージ」
と言ってくれて嬉しかったです。

帰宅してそうこうしているうちに火葬の時間になり、
いよいよティティを火葬することになりました。
私はティティの手触りを忘れたくなくて
たくさん一眼レフカメラで写真を撮り
ティティを撫でる動画を撮りました。

ティティを抱っこしてマンションの下まで降りて、
火葬車にティティを乗せると
これでティティの体は完全に無くなってしまうんだと思い
涙が止めどなく流れました。

ティティ、幸せをありがとう。
愛してるよ、
大好きだよ、
とたくさん言いました。

おごそかに葬儀社の人が火葬車の扉を閉めると
私はその場に崩れ落ちそうになりました。

それから1時間半くらいして、
ティティの火葬が終わったとのことでお骨上げをしました。
当たり前ですがお骨になったティティは小さくて
5.3キロもあったとは思えないほどでした。

お骨になったティティはティティであるという実感が薄くて、
不思議と涙は流れませんでした。

葬儀社の方がティティの写真入りのカードと
お骨入りのキーホルダー、
写真入りのキーホルダーをくれました。

ダサいから使わないと思うけど笑、
大事にしまっておきます。

翌日、私は思わず友人にLINEしてしまいました。

「アナもティティもいない今日と明日と明後日を、どう生きたらいい?」

私はぽっかりと心に空いた猫型の穴が
苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。


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