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ワープロに見た夢

小学生の頃、
家が極貧すぎて地域の神社の奥(風呂無し)に一家七人で住んでいた。
「神社って住めるの?」
と、この話をすると100%聞かれるが、
私が住んでいた神社は奇跡的に住めた、という回答になる。

私には生まれつきの重めのアトピーもあって、
見た目的にはドラクエに登場する
「くさった死体」
に限りなく近かったので、
私はいじめの標的にするにはあまりにも格好のターゲットすぎた。

当然のように私はいじめられ、
「イツキ神社」
と呼ばれたり(私は神社には住んでいるが神社本体ではない)、
シンプルに
「臭い」
と言われて机を私からみんなが遠ざけて行ったり、
「臭いものには蓋」
と言われて頭からゴミ箱の蓋を被せられたりしていた。
プール授業の前日には
「お風呂に入ってくるように」
という通達がなされるのだが、
私の家にお風呂がないことを知っている男子たちが、
プール当日に
「イツキは風呂入ってきたか〜?」
とからかわれるのも日常茶飯事だった。
当時からずっとコミュ障の私は
「いや、入ったし」
とは返せず、
無言でその空気に耐えていた。
男子たちをはじめクラスの子たちはみな一様に笑っていた。

当時お風呂には週に2、3回しか入っていなかったし、
多分着ていた服も全てお下がりでボロボロ気味だったと思うし、
アトピーもひどいし、
くさった死体はそりゃいじめられるよな〜と今は当然のように思うけれど、
当時はいじめがあまりにも苦痛で、
私は毎日ひどい頭痛に悩まされていた。
頭痛もあって、教室から逃げたくて、私はよく保健室に逃げ込んでいた。

親に言えばよかったのでは、と思う人もいるかもしれないが、
うちの親はいわゆる毒親で、
「学校に行きたくない」
と言ったとしても
「いいから行け!!!」
と言われて殴られたと思う
「いじめに遭っている」
ともし言ったとしても、
「気にするな!!!」
で終了したと思う。
そんな親にいじめのことを話したところで何が解決するはずもない。
私の選択肢に「親に話す」ははなから存在しなかった。

いじめの主犯は男子数人で、
私は少年法で守られているうちにそいつらを始末しようか結構本気で考えていた時もある。
いじめは心の殺人というけれど、
私は本当に毎日ズタボロに何度も心を殺されに殺されていたのだ。
当時私はとても読書好きで、特に赤川次郎先生が好きだったので、
なんとかトリックを使えないか考えたりもしていた。
私は殺意をモチベーションにして生きていたので、
大人になってこの殺意が消えてしまうことを恐れてすらいた。
私の頭の中はいじめっ子に対する殺意といじめによる希死念慮が去来して忙しかった。

いじめとは話が逸れるが、うちの兄には知的障害があって、
「お父さんとお母さんが死んだらお兄ちゃんの面倒を見てくれ」
と言われて育った私は、
私には他の子みたいに普通の、幸せな将来は待っていないんだ、と未来に絶望して、
兄のことも少年法で守られているうちに完全犯罪で存在を消さなければ・・・弟妹にも迷惑がかかる・・・と思っていた。
小学生にして複数の完全犯罪に思いを馳せる日々。
どう考えても健全な心が育とうはずがなかろう。
私は見事立派に、『超絶生きづらい人間』に育った。

家(神社)にも学校にも居場所がない私は、
父が知人からもらったワープロが友達だった。
そのワープロに、
心から脳から浮かび上がる言葉たちを毎日書き殴ることで、
私はなんとか正気を保っていた。
ワープロにパッションのままに叩きつけていた内容は、
とてもじゃないがエッセイとも呼べないような、
とにかく辛い、苦しいということを書き連ねたものだったり、
現実逃避のように違う世界の話の小説を書いていたと思う。
私の中から浮かび上がる言葉たちは尽きることがなくて、
私は毎日毎日家に帰るとワープロに向かっていた。

もうあのワープロがどこに行ったのかもわからないし、
当時書いたものを保存したフロッピーディスク(若い人は知らないと思うけど、今で言うUSBメモリ的なものだよ)もパスワードを覚えていないし、
どうやっても当時の内容を読み返すことはできないのだけど、
多分今読んだら恥ずかしさと当時心が流していた血の痛みがリアルすぎて、
とてもじゃないけど直視できないと思う。
なにせ私は小学生にして厨二病にかかっていたから・・・

そんな元・厨二病の私は、
当時から39歳の現在まで『書くこと』をやめたことがない。

心から脳から溢れ出る言葉たちは、
程度の違いはあっても私の中に常に湧き続けて、
それを言語化するということは私のライフワークみたいなものになっていたし、
いつしか自然に書くことでプロになりたいと思っていた。

最初は小説家志望だった。
ずっと小説ばかり読んで、書いてきたからだ。
エッセイを書こうと思ったのはだいぶ大人になってからで、
「小さい頃貧乏すぎて神社の奥に住んでたのって、面白くね?
と不意に思い、トラウマであるはずの神社暮らしに対していきなり開き直ったのである。
これは、自分がおばさんになっていったのが大きいと思う。
小学生からしたら自分が極貧神社暮らしというのは恥ずかしくて仕方がなかったが、
大人、というかおばさんになったら「何それめっちゃウケるやん」に変わった。
当たり前だが子どもと大人では恥ずかしいと感じる基準が変わるし、
なにせおばさんになると厚顔無恥気味になり恥ずかしいことが減ってくる。
言わば無敵の状態となるのだ。
私はいつしか神社暮らしを鉄板ネタとするようになり、
自分のことを覚えて欲しい人には積極的に神社暮らしの話をするようにすらなっていった。
そうして私は神社暮らしをはじめとした自分の生い立ちや人生の話を綴るようになっていった。
周りの友達や、少しずつ読者の人に評価してもらったりして、
私はその度にささやかな喜びを感じていた。

いじめ主犯の男子たちへの殺意は、
おばさんになるにつれ、いつの間にか消えてなくなっていた。
あの頃の私にはとても申し訳なく思うけれど、
きっとそんな気持ちは持っていない方が健全なのでこれでよしとする。

私が書くのをやめないでいるうちに、
noteという、ここのプラットフォームに出会った。
当時はブログとの違いをあまり理解していなかったけれど、
収益化が簡単そうというお金が大好きすぎる理由で選んだ。
一番最初に書いたのは、
初めて一人暮らしした場所があまりにも治安が悪いスラム街すぎて、
そのスラム街とスラム街に生息していたおじさん達のことを書いたのだが、
その記事がnoteの代表の方の目に止まって当時のTwitterで紹介してもらい、
初記事にしてバズった。
気を良くした私はそれからもnoteの更新を続けたが、
そうそう簡単にまたバズるはずはない。
それでも私はnoteの更新をやめなかった。

ある時、noteさんで
『8月31日の夜に』
という、夏休み最後に学校に行きたくないと思っている子向けに文章を書く企画があり、
私は過去に思い当たる節がありすぎるので全力でその企画に参加した。
書いた記事書籍に収録されることになり、
私はとても嬉しかった。
自分の書いた文章が、書籍になるなんて、夢みたいだった。

でも、それだけでは私の承認欲求は満たされなかった。

それからも私は書くことをやめなかった。

色々なエッセイを書いた。

難病にかかったこと、
友達のこと、
バイトで経験したこと。

そして今年、
『note創作大賞2024』
で、
神社暮らしのエッセイで『入選』をもらった。

他の受賞者の皆さんに比べたらまったく、大した賞ではないと思うけれど、
私にとってはとてつもなく、大事な賞だった。

生まれて初めて『授賞式』へ行った。
会場で席についたら両隣の人に「神社の方ですか・・・?」と聞かれ、
「そうです」と答えた。
私の書いたものが全く知らない他人に読まれているという感覚がすごくして、
嬉しい気持ちと照れが行ったり来たりした。
懇親会で、私のエッセイを入選に推してくださったメディアの方とご挨拶させていただき、
メディアの方に私のエッセイをとても面白いと褒めてもらった。
映像化はどうかなんて話もしてたんですよ、とも言われた。

私はその時、初めて全くの他人から自分を認めてもらえた気がした。
これまでの人生を、
私が思ってきたたくさんの想いを、
私の全てを。

お恥ずかしい話だが、
私はこれまで、
誰かに認められなければ生きている意味がないと思ってきた。
私は、それはそれはまるで醜い承認欲求の塊だった。
なんとかして認められたくて、
文章を書くのをやめられなかった。

結果、やめなくてよかった。
こうして、授賞式に行って、
自分を全肯定された気持ちになれたのだから。
私は、私が生きていることをちょっとだけ許してあげられる気持ちになった。

先日、賞金が振り込まれた。
たったの一万円だけれど、
これまで働いて得たどんなお金よりも尊くて、
価値のある一万円だった。
感覚的には一億円くらいの価値があった。

私は、かつて正気を保つためワープロに向かって、
支離滅裂であろう文章を書き殴っていた私に会いに行って教えてあげたい。
いつか、文章を認めてもらえる日が来るよ、と。

それでも、私はまだ満足していない。
まだ、私はただの会社員である。

私は私の文章で、人を救いたい、なんて大それた夢を見ている。
こんな人生でも生きられるのだ
ということが、誰かの希望になればいいと思っている。

まだ、届いてほしい人がたくさんいる。

私はこれからも、書くことをやめない。
いや、やめられない。
むしろ、やっとスタート地点に立てたような気持ちでいる。

これからも、私の人生には色々なことが起こり続けるだろう。
つらいことも、きっとまだまだあるだろう。
けれどそれらを全てネタ化して、
私は面白おかしく自分の人生を発信していきたい
私の文章で、笑ってくれる人のために。
私の文章で、救われる人を夢見て。












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