子育ての基準
某SNSでこういった文章が流れてきた。仔細は伏せるが大まかにはこのようなことだ。
子育てをきちんとしてる人なら子どもが遊ぶ角ばったおもちゃ(ブロックなど)をすぐ拾おう。理由はそれを踏んで痛い思いをするから。それをしらない、やらないのは子育てに参加してない可能性あり。
これを見たときに私はヒヤッとした。
ブロックなんて拾ってない。
むしろ放置して痛いなと思いながらずっと放置してる。パートナーは器用に避けてる?のかな?
もちろん子どもを抱っこするときとかは足元になにかないか確認してる。
発信者は意図していなかったと思うが、これを読んだときに感じたのは自分は育児に参加していないのではないかと言う不安。いや、なにかとても自分が率先して全てのことをやってる自覚もないのだが、なにか自分はパートナーに迷惑をかけていないか?不十分なのではない?と感じてしまった。発信とは難しい。
意図せずにこれは子育ての境界を設けている。子育てが出来てる、わかってる親とそうでない親。
親としての正しさとか理想とか最低限とか出来てる出来てないを定義することはなんと自分たちを縛り付けるのかと感じた。
そりゃ出来てれば理想だろうことはたくさんある。正しいと言われる情報は日々更新だ。周りが出来てて自分は出来てないことは挙げればキリがない。それに縛られていく自分になりたくないと思いつつ、ただそれは子どもという自分のみに責任を負えない存在を育てることに繋がると思うと縛られたくないが気にしないことは出来ないのだ。
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